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2024年01月01日

トークショー開催

あけまして、おめでとうございます。

昨年は京都仁丹樂會にとって、今までの研究成果を書籍の形でまとめることができた大きな節目の年でした。しかし、これで研究を終了したわけではありません。まだ解明できていないことも多く、引き続き、探究に勤しむ所存でございます。

さて、京都 蔦屋書店さんに続き、本日より大垣書店烏丸三条店さんでも実物が展示されました。書籍の販促の一環です。ビジネス街の烏丸通に面した場所なので、とても目立ちます。



これら展示されている実物は、今までの活動の中で、行き場をなくしたものを一時的に保護しているものですが、近い将来、環境が整ったら本来あるべき場所に現役復帰させたいと考えています。

そして、来る2024年1月20日(土)、大垣書店烏丸三条店さん主催によるトークショーが予定されていますので、ここでもご紹介します。
大垣書店烏丸三条店さんのHP  https://www.books-ogaki.co.jp/post/52854



今回の「京都を歩けば『仁丹』にあたる」の編集作業中にも新たな事実が判明しています。あいにく書籍には加えることはできなかったのですが、それらの紹介もさせていただこうと考えております。

なお、ご参加いただいた方には森下仁丹さんのご厚意により、次のようなキーホルダーが進呈されるとのことです。


~京都仁丹樂會~

  


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2023年12月16日

京都 蔦屋書店さんに琺瑯「仁丹」現る!

「京都 蔦屋書店」さんで、今、実物の仁丹町名表示板が展示されています。

そして、そのすぐ前には
京都を歩けば「仁丹」にあたる 町名看板の迷宮案内
が展開されています。

京都髙島屋に今年10月にオープンした専門店ゾーン「T8」の5階、芸術や建築、京都本などが並ぶギャラリーのようなお洒落な書店です。


日頃は家屋の2階に掲示されていることの多い「仁丹」ですが、ここでは間近で見ることができます。これが100年近く前のものかと驚く美しさ、琺瑯看板のなせるワザをとくとご覧ください。

見どころをご紹介しましょう。


<その1> 手書き文字であることが分かる
通り名や町名の黒い文字は墨やペンキではなく、これも琺瑯であることが分析により判明しています。しかも、すべて手書きなのです。まるで習字のお手本のような美しさ。筆に琺瑯の釉薬を含ませ、習字と全く同じようにササっと書いているのです。その筆使いの様子は、至近距離だからこそありありと見て取れます。


手書きでこれほどバランスよく書くなんて、今の時代なら至難の技です。しかも、謎だらけの仁丹町名表示板、どこで誰が作ったのかはまだ解明できていませんが、昭和3年に何千いや万単位かもしれない数を、手書きで一気に仕上げていく職人さんの技に驚くばかりです。
ちなみに、「区」「万」「寿」など、旧字体が使われています。

<その2>琺瑯看板の造りが分かる
琺瑯看板は釉薬の色の数だけ、高温での焼成作業という工程が必要です。看板の傷跡からは、先ずは白の釉薬がベースとして塗られて一度焼成、その上に青、または赤の釉薬が載せられてまた焼成、そして、最後に黒の琺瑯で住所を書いてまたまた焼成、というような工程がうかがえます。また、基盤となる鉄板は単なる平面ではなく、蒲鉾状に加工されていることも分かります。

<その3>京都市の歴史が分かる
右の2枚は現在は中京区のエリアですが、「上京区」と書かれています。昭和4年までの京都市は上京区と下京区しかなく、その2区時代に製作されたことが分かります。当時はおよそ三条通を境にして、上京区と下京区に分かれていました。


日頃、何気なく見ている仁丹町名表示板ですが、じっと眺めていると様々な謎が潜んでいることが分かってきます。しかし、記録はありません。その多くの謎解きに挑んだのが今回の書籍です。まだまだ面白いエピソードが満載、ぜひ、お読みいただければと願っています。


それにしても、昭和3年に登場した琺瑯「仁丹」、まさかミッフィーちゃんと並ぶなんて、“髭のおじさま”も想像すらしなかったことでしょう。なんという展開!


「京都 蔦屋書店」さんは“アートと文化の「伝統と最先端」が共振する場を提案します”と紹介されています。京都の仁丹町名表示板は、今や広告の域を超えた文化財だと私たちは発信してきましたが、ここで違和感なく展示されている姿を見て、さらにアートにまで昇華したのではないかと感じました。新たな発見ができました。


展示は新年を跨いで続けられるとのこと、この機会にぜひご覧いただければと思います。

~京都仁丹樂會~
  


2023年12月12日

「5/800」を探せ!

「800分の5」を探せとは、京都の市バス800台から5台を探し出せ、というミッションです。
このようなバスです!


実は、今回の書籍、出版社の青幻舎さんが市バスに広告を出してくださったのです。
車体後部の看板です。そのバスが5台あるとのこと。そして、市バスは約800台あるとのこと。

果たして、800台の中から特定の5台を見つけ出すことは、容易なことなのでしょうか?
途方もない数値に見えますが、単純計算では160台に1台、どこかのバス停で160台見送ったら1台は見られる計算です。でも、ひとつのバス停で160台も粘るのはあまりにしんどい。

そこで考えたのが京都駅前のバスターミナルです。ここなら、バスが色んな方向からやってきては、出ていきます。それも単なる通過ポイントではなく、ターミナルの中をぐるっと回るから、シャッターチャンスも増えるはず。これは効率抜群ではないか!と考えました。


そう高を括って、このミッションに挑みました。
12月11日、午前10時過ぎ、京都駅前のバスターミナルに立ちます。バスの出入りは凄まじく、良いアイデアだったと自画自賛。案の定、10分ほどで真新しい看板を取り付けた目的のバスがやってきました! しかし、より良い撮影ポイントへと移動している間にバスは姿を消してしまったのです。見事に、撮影失敗!

でも、この調子ならまたすぐに来るだろうと待ち続けます。東京の木製「仁丹」は”9万分の1”だったのだから、”800分の5”なんて楽勝だと、自分に言い聞かせながら待つこと2時間。全然、来ません。もうお昼、ちょっと心が折れてしまいました。


午後は仕切り直しです。
実は、青幻舎さんの公式X(旧Twitter)によれば、“四条通によく出没するらしい”と案内されていたので、素直に従ってみることにしました。そして、四条烏丸から四条河原町へとアテもなく歩き出そうとしたその時でした。すれ違った27系統を振り返って見てみると、付いているではないですか!探し求めている看板が。行き先は、太秦天神川。機転を利かせて地下鉄で追いかけましたが、残念ながら間に合いませんでした。先回りできると思ったのですが、またもや撮影失敗。

が、しかし、予期せぬことが。
太秦天神川のバスターミナルに入って来た75系統に付いているではないですか!
それが、冒頭の写真なのです。遂に、撮影に成功しました!


実に楽しくさせてくれるデザインです。周囲の青色も琺瑯仁丹を連想させてくれます。今回、この看板を探すのに随分と色々な看板を見てきましたが、センスはピカイチだと思います。


京都駅前で狙う、地下鉄で先回りする、と知恵を絞った作戦はいずれも失敗に終わり、何ら予想もしていなかった偶然に助けられたという、なんだか複雑な心境でした。

なお、四条烏丸で見かけた27系統(車体№4041)、撮影できた75系統(車体№3783)はいずれも梅津営業所のバスです。朝、京都駅で目撃したのも№は不明ですが75系統でした。少なくても梅津営業所には5台のうち2台が居ることは判明しました。北白川~松尾橋の3系統や循環201系統も梅津営業所ですから、これらのバスが充当されれば京都一の繁華街で見ることができることでしょう。

さて、残る3台は何処? 広告期間は来年1月初旬ぐらいまでのはずです。


今回は右京区役所の前での撮影でしたが、それまでに、四条通や河原町通、あるいは平安神宮の大鳥居などと一緒にカメラに収めたいものです。

目撃情報がございましたら、情報提供いただければ嬉しく思います。

~shimo-chan~
  


2023年12月02日

京都を歩けば「仁丹」にあたる 発売中!

私たち、京都仁丹樂會の過去10年あまりの研究成果をまとめた書籍、
京都を歩けば「仁丹」にあたる ~町名看板の迷宮案内~
が書店に並び出して1週間が経ちました。



定期刊行の雑誌とはちがい、エリアにより書店により登場時期はまちまちでしたが、ほぼ出揃った感じです。

京都市内の書店では京都本のコーナーに平積みされていることが多いですが、大阪や神戸では特に”京都本”なる分類はないようで、旅行ガイドの近くにあるかと思えば、歴史書に分類されていたりとまちまちのようです。
店頭の検索画面では、キーワードに「仁丹」「じんたん」と入力するだけでもヒットしました。

もちろん、ネットでも購入できます。

ぜひ、ご覧いただければ嬉しいです。

~京都仁丹樂會~
  


Posted by 京都仁丹樂會 at 09:56Comments(1)インフォメーション

2023年11月09日

11月下旬発売!

京都仁丹樂會のこの10年あまりの研究成果などをまとめた書籍、
京都を歩けば「仁丹」にあたる ~町名看板の迷宮案内~
はいよいよ今月下旬に発売される運びとなりました。

帯付きのデザインは、こんな感じになります。 なかなかのインパクトです。



書籍全体のデザインは、すでに600冊以上を世に送り出された画家・装丁家の矢萩多聞さんです。著書も、「インドまるごと多聞典」(春風社)、「インドしぐさ事典」(ambooks)、「偶然の装丁家」(晶文社)などがあります。

そして表紙カバーや本文に登場するイラストは、画集『神保町』(夏葉社)、『御所東考現学』(誠光社)、『本屋図鑑』(夏葉社)などの著書のあるイラストレーター得地直美さんです。

200頁におよぶボリュームですが、お陰様で、柔らかく読み易い素敵な仕上がりにしてくださいました。

すでに出版社である青幻舎のオンラインショップやAmazonなどでも予約が始まっております。
書店にも今月下旬から並びだすかと思います。

~京都仁丹樂會~
  


2023年10月17日

研究成果を書籍に!

京都を歩けば「仁丹」にあたる
~町名看板の迷宮案内~


株式会社青幻舎HP 近刊予告
https://www.seigensha.com/books/978-4-86152-936-8/




とうとう書籍を出版することになりました!

京都を歩けば、まちのあちこちで出会う仁丹の町名表示板。

いつしか関心を持ち、そして気が付けばその「魅力」と「謎」の沼にどっぷりハマっていた人たちが、2010年に集まったのが「京都仁丹樂會」なる同好会・研究会でした。

その目的は、実態調査にしろ謎解きにしろ、ひとりではなかなか難しい、だから集まってみんなで協力しようというものでした。

すると、やはり効果がありました。
当初は五里霧中に居るかのような状況でしたが、それぞれの研究成果を持ち寄り、共有し、そして様々な角度から議論しているうちに、閃きがあり、新たな発見があり、それらの相乗効果も働き、ぼんやりと描いていた想像が、次第にシャープな実像になっていきました。

今まで判明した事柄はその都度、当ブログなどで発信してきましたが、ちょうど結成10年を迎えた2020年、一度すっきりまとめてみようじゃないかと、書籍発行の動きが始まりました。
あれから3年経過しましたが、当会設立時より度々取材をしてくださった京都新聞社の樺山聡記者とコラボする形で、この度、株式会社青幻舎さんより出版の運びとなった次第です。

学術論文のようなまとめ方ではなく、ドキュメンタリータッチな読み物として楽しんでいただけるような体裁になっています。

11月中旬~下旬ぐらいに完成するよう、現在、最終調整に励んでおります。
書店に並んだ際には、ぜひ手に取っていただければと思います。

~京都仁丹樂會~
  


2023年08月13日

月刊「京都」9月号

京都の情報誌、月刊「京都」には近頃、2頁見開きで森下仁丹の広告ページがあり、京都仁丹樂會も協力させていただくことがあります。

8月10日に発売された2023年9月号は、創業130周年を迎えた森下仁丹の理念「広告益世」が今も生きている例として、京都の仁丹町名表示板が取り上げられました。もちろん全面協力させていただきました。大きな書店では京都本コーナーに平積みされていますので、ぜひご覧ください。猛暑のおり、京都らしいクールなスイーツも綺麗な写真で多数紹介されています。




~京都仁丹樂會~
  


Posted by 京都仁丹樂會 at 08:34Comments(0)インフォメーション

2023年01月01日

昨年を振り返って

あけまして、おめでとうございます。



京都仁丹樂會が活動を始めて、今年で13年を迎えます。思えば、最初は雲を掴むような謎多き仁丹町名表示板でしたが、次第にその全貌が見えて来たかと思います。ひとりではけして達成できなかったことでした。新たに判明したことはその都度、このブログで発表してきましたが、今年は分り易くまとめ直す必要があるかと考えています。


さて、昨年を振り返ると、最も大きな出来事は東京で木製仁丹が発見されたことでしょう。
次のブログ、
東京あるけあるけhttp://tokyoarukearuke.blog68.fc2.com
歩・探・見・感」 https://citywalk2020.hatenablog.com/archive
の主宰者さんから、相次いで“もしかして”という情報が寄せられ、当會メンバーも現地を訪れ、大正7~9年に9万枚設置された中の1枚であろうと確認しました。さらにその設置家屋の方のご理解とご協力が得られ、森下仁丹株式会社さんへの寄贈と保存へと繋がっていきました。

詳しくは、次の当ブログ記事をご覧ください。
2022年6月10日 東京の木製仁丹 保存へ https://jintan.kyo2.jp/e572055.html
2022年8月 1日 東京の木製仁丹 寄贈へ https://jintan.kyo2.jp/e573362.html

折しも、今年は森下仁丹株式会社さんの創業130周年、まさにその節目に、あの大礼服の髭のおじさまが目を覚まして、私たちを突き動かしたかのような不思議な出来事でした。

このことは、“9万分の1の奇跡”として、京都新聞や朝日新聞でも紹介されました。
京都新聞 2022.7.27夕刊
朝日新聞 2022.12.4デジタル版、2022.12.13朝刊京都版、2022.12.17朝刊滋賀版


この9万枚は設置間もない大正12年の関東大震災で、多くが焼失してしまいましたが、すぐさま再設置された様子が、震災2年後の雑誌に次のように紹介されています。

人々は今尚記憶して居られるであらう。あの広い東京が見渡す限り一面の焦土と化し終つた当時。焼け跡を尋ねるに町名の見当が更らに附かず、如何に多くの人々が困惑したかと云ふ事実を。……  ところが、焦土の余熱も去らぬ日、早くも「仁丹」の商標を入れた町名札が元の如く焼け跡に立てられたと云ふ事実を気附かなかつたものもあるまい。あの仁丹の町名札のため当時の東京人がどれだけ便宜を受けたかは実に測り知られぬものがある。現在でも東京の街を歩るけば到る処の町角に矢張り仁丹の町名番地札が貼られてあつて、親切に吾れ吾れに道を教へてくれる。
~『事業と広告』大正14年8月号 一記者「広告を透して見たる事業界盛衰記(其二)仁丹と森下博の巻」より~

これこそ、およそ100年近く前になされた、創業者森下博氏のモットー「広告益世」の最たるものでしょう。


実は昨年11月、今もこの「広告益世」が生きていることを森下仁丹の社員さん達は目の当たりにされました。森下仁丹健康保険組合さんのウォーキングツアーに私たち京都仁丹樂會がガイドとして招かれ、6つのグループに分かれて、観光地ではない素の京都のまちを仁丹町名表示板を探しながらウォーキングを楽しみました。そこで、今現在も現役で役に立っていること、京都市民に大切にされ愛されていること、いまだ色褪せず美しさを保っている品質の良さなどに大いに感銘を受けられたのです。最初は何となく知っている、レトロなので人気があるようだ、ぐらいの思いで参加された方もおられたようですが、実際に見て、私たちの説明も加わって、創業者の「広告益世」や「原料の精選を生命とし、優良品の製造販売」なるモットーの正しさを強く再認識され、大いに驚かれていました。私たちも予想以上の反応の良さに驚き、やはり京都の立派な文化財なんだと堂々と胸を張れる思いを強めました。




これらの他には、2月に京都府立京都学・歴彩館にて、新・京都学講座「~京都のまちかどの近代史~仁丹町名表示板の謎を追う」なる講演会を行いました。コロナ禍での入場制限があり、希望者全員の参加が叶いませんでしたが、これもまた好評をいただきました。
その様子は、次の記事をご覧ください。
2022年2月18日 歴彩館の講演会 https://jintan.kyo2.jp/e569170.html


そして、4年ぶりにローラー作戦を行いました。これは前回の調査で現存確認していたものが、引き続き存在しているかを手分けをしてすべてチェックする作業です。この4年間に76枚減の545枚現存という結果を得ました。
詳しくは、次の記事をご覧ください。
2022年6月8日 現存枚数、ただ今545枚!https://jintan.kyo2.jp/e571989.html

このローラー作戦については、朝日新聞さんの取材を受け、京都版の「古都ぶら」のコーナーで5月6日から連続3回で紹介していただきました。

朝日新聞京都版「古都ぶら」
2022.5.6  “ひげの男性”の看板を追う(上)京に残る仁丹の表示板
2022.5.7  “ひげの男性”の看板を追う(中)我が子同然 本来の場所へ
2022.5.8  “ひげの男性”の看板を追う(下)「奇跡の1枚」東京に木板
2022.6.17 デジタル版 仁丹の「ひげ男性」、町名伝えて100年以上 「広告王」の狙いとは


また、白川書院さんの「月刊京都」にも協力させていただき、次の2号に関連記事が見開きであります。
2022年2月号 仁丹町名表示板を巡るまち歩き -住所の読み方の不思議を読み解く-
2022年9月号 京のまちの文化財 仁丹町名表示板 -次代へ守り継ぎたい、京の道案内-



以上、ざっと昨年一年間を振り返ってみました。今年は、謎解きの確度を高めるための資料探しを継続しつつ、様々な活動もしなくてはと思っています。そして、どのような展開を迎えるのか楽しみです。

~京都仁丹樂會~

  

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2022年05月06日

朝日新聞 連載始まる

本日、2022年5月6日から連続3回の予定で、朝日新聞にて京都を中心とした仁丹町名表示板のことが紹介されます。

まずは京都版の「古都ぶら」のコーナーですが、近日中に全国向けのデジタル版でも配信されるそうです。
機会があればご覧ください。




~shimo-chan~
  

Posted by 京都仁丹樂會 at 12:54Comments(1)インフォメーション

2022年02月18日

歴彩館の講演会

歴彩館における新・京都学講座「~京都のまちかどの近代史~仁丹町名表示板の謎を追う」は無事、盛況のもと終えることができました。参加者のみなさま、スタッフのみなさまありがとうございました。


コロナの感染者が急増したため参加申し込みは1月21日の時点で締切となりましたが、その後も感染者数は増え続け、このままでは緊急事態宣言が出て中止になるのではとか、はたまた自分自身が感染して中止にならないだろうかと、何かと気を揉みました。でも、何とか開催の日を迎えることができホッとしました。





さて、まち歩きではなく、舞台が歴彩館となるとやはり京都の近代史に重点を置いた構成にしなければと考えました。そして、仁丹町名表示板の最大派閥である上京・下京区表示の琺瑯仁丹の設置時期とその時代背景について説明させていただきました。

あれだけ正確な住所で正確な設置を当時の京都市域全体で成し遂げたのだから、それは結果として一種のインフラになったと言ってよいかと思います。となると京都市のまちづくりに注目です。昨年は、当時の京都日出新聞、京都日日新聞、朝日新聞京都地方版すべてのマイクロフィルムを連日頑張って精査しました。そして、何か糸口はないかと探しました。しかしながら、今では考えられないような記事のオンパレード、そちらについつい気を取られがちで、仁丹町名表示板のことを調べているのだぞと言い聞かせること度々でした。

判明した事実を時系列にして、次のような図にすると分かりやすいかと思います。




最大派閥の上京・下京区表示の琺瑯仁丹の設置時期は、大正15年4月1日~昭和4年3月31日までの丸3年の間に必ずあるはずなのです。前者は琺瑯仁丹に使用されている商標が新聞紙上で現実にデビューした日、後者は分区の1日前です。なお、昭和元年は1週間もなかったので省略しています。

期間は3年あると言っても、昭和3年5月の京都市告示第252号(通り名の区間と名称を定義したもの)を色濃く反映していることを考えると、設置はその終盤に偏っていそうです。図の青い円がそのイメージです。しかし、直後に大典記念京都大博覧会があります。どうせなら入洛者が急増する博覧会が始まる9月までに設置を終えたと考えてよいのではないでしょうか。

昭和3年11月の昭和御大典に向けた各界の準備は、昭和2年2月の大正天皇の御大葬の後から、順次具体的な動きとなって新聞紙上を賑わせます。準備期間はおよそ1年半ですが、各種土木工事と並行して博覧会を主催しなければならない京都市としてはわずか1年ちょっとしか期間がありませんでした。一致団結して事に当たらなければならないにも関わらず、市長が3人も変わるなど京都市政は大混乱の時期でした。まさに手に汗握る展開の中、御大典を機に訪れる土地不案内の入洛者のために辻々に住所の表示板があれば便利だろうなどという提案が出る余地など、新聞を追っていく限りでは微塵も感じられません。
しかし、そのニーズはしっかりあったであろうことは、京都市直営の駅前案内所取扱件数などで想像できました。

一方、森下仁丹(当時は森下博薬房)の動きは昭和2年7月に小粒仁丹を発売し、その直後から広告を大展開しています。大正初期に設置した木製仁丹が劣化し、広告物取締法の関係でそのまま放置しておけなかったという事情も前提としてあったでしょうが、前述の時代背景と広告の大展開のタイミングが合うことなどから、昭和2年の後半から設置が始まったのではと推理しています。

講演会の様子は、翌日の京都新聞朝刊で紹介されましたが、そこにある「昭和2年後半から3年9月ごろではないか」というのは以上のような推論からでした。また、当ブログ記事「諸説との比較」でご紹介した駒敏郎氏の“昭和2年に5,000枚”という説にも図らずも近い結果となりました。

なお、翌年、昭和4年4月1日から分区すると多くの仁丹町名表示板の行政区名が不一致となります。それを知りながら設置したのかという疑問が残ります。しかし、市長が分区を決断し市会に提案したのは昭和3年11月27日のことでした。つまり京都のまちを舞台とした国家の一大行事である御大典が無事に終わったタイミングだったのです。それまではとにかく世の中は御大典一色、分区するなど知らないまま設置されたと考えられます。



木製仁丹では次の図をご欄ください。


京都日出新聞の読者投稿欄「落しふみ」では大正元年8月~11月にかけて木製仁丹に対する賛否両論が掲載されています。設置されてから掲載されるまでにはタイムラグがあるはずです。最も古い投稿が大正元年8月なので、設置はその前月だろうか、さらにその前月だろうかと考えると、大正元年8月の前月は明治時代です。まだ裏付けできる資料には出会えていませんが、木製仁丹の設置開始は明治に遡ると考えても無理はなさそうです。

青い矢印で市電撮影とあるのは、歴彩館の「京の記憶アーカイブ」にある「石井行昌撮影資料147」の撮影日の推定時期です。この近辺の写真には木製仁丹が多数写り込んでいるので、大正2,3年には設置を終えていたことがうかがえるのです。

これらから、木製仁丹の設置時期は「明治45年頃~大正2,3年」ではと推定しました。興味深いことにその直前の明治45年1~5月の期間、あれだけ頻繁に見た仁丹の新聞広告が京都日出新聞からパタリと姿を消します。決めつける訳にはいきませんが、その予算を木製仁丹の製作に回した?と勘繰りたくもなります。

また、この設置時期は、京都の街並みが変貌を遂げる時期でもあります。ちょうどその頃、岡崎公園では三大事業の竣工式と市電の開通式が盛大に行われ、以後、道路の拡築と市電の敷設が続きます。つまり、現在私たちが見ているまちの姿の骨格が出現していく時期なのです。設置とまちづくりとの関連性の有無は分かりませんが、時期的には重なります。

しかし、注目すべきは明治44年に公布された広告物取締法です。それまでの屋外広告合戦が景観問題へと発展し、それを取り締まることになりました。京都市内では原則、屋外看板は禁止となりますが、公共性があれば警察署の許可を得れば可という但し書きがありました。それが、木製仁丹へと繋がるのではという見方をしているのですが、森下仁丹さんの社史では“明治43年からは、大礼服マークの入った町名看板を次々に掲げ始めた”とあり、広告物取締法よりも先に?となり、また謎がひとつ生まれました。



会場には森下仁丹株式会社さんのご協力により、琺瑯製仁丹町名表示板が2枚展示用にと貸してくださいました。



さらにご近所の方からも解体現場から救出された表示板をお持ちいただき一緒に展示させていただきました。偶然にも歴彩館と同じ住所です。しかも現在は左京区ですが、「上京区」と大きな文字で縦書きです。行政区名が縦書きのものは、私たちが把握している戦前の琺瑯仁丹1,520枚中、わずか13枚のみという貴重なものです。今回のテーマである京都の近代史の生き証人の飛び入り参加となりました。



また、微笑ましいシーンもありました。講演中、会場の外からガラス越しに見えた仁丹町名表示板を指さして、娘さんに説明しているお父さんの姿がありました。それに気付かれたスタッフさん、見易いようにとすべての仁丹の向きを変えておられました。





以上、講演会の様子のごく一部でした。90分の講演時間を10分ほどオーバーしてしまいましたが、あれでも省略したお話しはいっぱいありました。仁丹町名表示板と京都の近代史との関連性をどこまで持たせるのか、取捨選択に悩んでの結果でした。

まだまだ結論は出ていません。仁丹町名表示板の謎を追うということは、とりもなおさず京都の歴史を勉強することに他なりません。ずっと努力を重ねてきましたが、“仁丹のおじさん”はまだ正解を教えてくれません。今度こそ捕まえたぞと期待した資料に出くわすことも何度かありましたが、いつもスッと逃げられてしまうのです。なんだか、まだ教えてあげない、もっともっと京都のこと勉強しなさいと言われているような気がしています。
~shimo-chan~
  

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2022年01月05日

歴彩館 「新・京都学講座」について



来る2022年2月12日(土)、京都府立京都学・歴彩館においてこのような場を持つことになりました。「仁丹の日」の翌日です。

歴彩館では、以前より学術的な「京都学講座」が実施されていますが、この「新・京都学講座」はもう少し範囲を広げた、どちらかと言えば気軽なテーマを取り扱っており、当会にも依頼がありました。

90分で仁丹町名表示板のすべてを語ることはできませんが、多くのテーマの中から京都の近代史やまちづくりに関連したことに的を絞ってお話しさせていただくつもりです。設置時期やその背景など、正式な記録のない仁丹町名表示板の謎解きに挑戦することは、とりもなおさず明治末~昭和初期の京都について勉強することに他なりません。

15cm×91cmという大きさの仁丹町名表示板という“窓”を通して見える、かつての京都の姿に思いを馳せられたらと思います。

詳しくは、歴彩館の次のHPをご覧ください。
https://rekisaikan.jp/news/post-news/post-7356/

※ 1月22日に定員になりましたので、受付終了となりました。

~shimo-chan~
  

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2020年12月05日

「まいまい京都」でライブ配信

まち歩きツアー「まいまい京都」で仁丹コースを毎年担当してきましたが、来る2020年12月26日(土)、ご覧のようなライブ配信なるものを行うことになりました。




実物を探しながらのまち歩き、実物を見ながらの説明は確かに楽しいのですが、2時間足らずで見ることのできる仁丹町名表示板は限られ、またそこから説明できることや屋外での説明資料も限定的にならざるを得ませんでした。

仁丹町名表示板の全貌を知るにはやはり京都市全域を歩くべきですし、他都市との比較も大切です。となると1度のまち歩きでは無理となり、このような機会があればと願っていました。


そこで、今回は、“まち歩きではできなかった仁丹完全版”と題しまして、時間の許す限りその全貌をお話ししたいと思います。まち歩きの様子をライブ配信するものではなく、スタジオからの座学形式です。

また、京都仁丹樂會を立ち上げて10年、記録のない仁丹町名表示板の謎を五里霧中の状況で研究をはじめ、判明した事柄から順次当ブログで発表してきましたが、今、眺めてみるとけして分かりやすいまとめ方とはなっていません。そのあたりもすっきり補えればと思っています。

お申し込みは「まいまい京都」のHP(https://www.maimai-kyoto.jp/)からどうぞ。
日時は、12月26日(土) 10:00~12:00となっていますが、配信後1週間は見逃し配信でご覧いただけます。

京都仁丹樂會 shimo-chan
  

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2015年11月24日

毎日新聞 『京都仁丹物語』再開

毎日新聞 『京都仁丹物語』再開


5月23日より10回にわたって連載された毎日新聞の『京都 仁丹物語』が、この11月14日(土)から再開しています。




これからも毎週土曜日の朝刊で、年内連載される予定です。
ただし、京都地方版ですので京都府内限定です。

なお、次の手順でWebからも見られます。

 毎日新聞社のニュースサイトHP
   ↓
 地域
   ↓
 京都
   ↓
 京都アーカイブ一覧
   ↓
 カレンダー内の日付


掲載日は次のとおりです。

 5月23日(土)
 5月30日(土)
 6月6日(土)
 6月13日(土)
 6月20日(土)
 6月27日(土)
 7月11日(土)
 7月18日(土)
 7月25日(土)
 8月1日(土)
 11月14日(土)
 11月21日(土)

~京都仁丹樂會~
  


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2015年10月31日

「創造のまち・上京」で仁丹樂會も講演・展示を行います!

11月から12月にかけて実施される「創造のまち・上京」プロジェクトは、京都市景観・まちづくりセンター、京町家等継承ネットの主催、上京区役所地域力推進室の協力により、、上京の歴史やまちづくり、魅力の再発見を目的として、町家や空き家に関する相談や情報交換、まちづくりなどにかかわる方々の情報交換や交流会、シンポジウムやセミナーなど非常に多様なイベントが1か月余りにわたって展開されるものです。



そのうち、元西陣小学校を舞台に行われるまちづくり史セミナーに関連して、11月7日(土曜日)の午後より8日(日曜日)の午前までの2日間、元西陣小学校の校舎の教室をお借りして、昨年12月にひとまち交流館、今年4月に京都駅地下通路のギャラリーで行った京都仁丹樂會の研究成果パネル展のうちから、上京に関連したパネルをピックアップした展示を行います。また、8日の13時30分より14時30分まで、2階作法室で、私たちの活動の原点ともいえる町名表示板の写真撮影とデータ収集の始まり、また町名表示板の魅力についてのエピソードを、仁丹樂會の代表からお話しいたします。




上京は魅力的な町家、辻子、ロージが残り、また辻々に仁丹の町名表示板が数多く残されている地域です。また、町家の保存と活用、まちづくりをめぐる様々な活動も繰り広げられている非常に興味深い場でもあります。これらの取り組みにご関心のある方は、1か月ほどにわたり実施される様々なイベントにお越しください。また、お時間がありましたら、元西陣小学校のパネル展にも足を延ばしていただければと思います。

京都仁丹樂會 
                       

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2015年09月14日

地域デザイン学会関西・北陸地域部会のおしらせ

9月19日(土曜日)午後、平安女学院大学京都キャンパスにおいて、地域デザイン学会関西・北陸地域部会の第2回研究会が開催されます。





地域デザイン学会は、グローバル社会の中での地域のありかたをめぐって、経済学、経営学、社会学、都市工学、政治学、歴史学、地政学など、広範な研究領域の研究者や現場での実践に関係されている方々などが、理論的な研究にとどまらず、全国での実践活動にも深くかかわりながら活動をしております。詳細はぜひ学会のホームページもご覧ください。

その地域デザイン学会の関西・北陸地域部会の第2回研究会が、「まち歩きと地域デザイン~京都で嗜む知行合一~」をテーマとして開催されることになりました。なんと京都仁丹樂會も「共催」という立場で参加させていただきます。


当日は、まち歩きを主な分析対象として、近畿大学、平安女学院大学の諸先生に報告いただいた後、「まいまい京都」で実際にまち歩きガイドを行った京都仁丹樂會の取り組みもご報告させていただきます。

3名の報告の後には、フロアでお聞きの皆さんも含めましたパネルディスカッションも行います。参加費無料、事前申し込みが無くてもご参加いただけますので、もしご関心のある方いらっしゃいましたら、平安女学院大学京都キャンパスにお越しくださいませ。

【開催日時】 2015年9月19日(土曜日) 13:55~17:20 予定
【開催場所】 平安女学院大学京都キャンパス 室町館4階414教室
(京都市上京区烏丸通下立売西入)
【参加費】 無料 ※事前申し込みがなくても当日ご参加いただけます

【プログラム】
13:55~ 開会あいさつ
14:00~ 報告①高橋愛典「まち歩きと地域デザイン~フレームワークの有用性~」
       (地域デザイン学会関西北陸地域部会 部会長 近畿大学経営学部 教授)
14:30~ 報告②井上学「地域資源の再発見とまち歩き~地理学の視点から考える」
       (平安女学院大学国際観光学部 准教授)
15:00~ 報告③井出文紀「まち歩きの実践~京都仁丹樂會の取り組みから~」
       (近畿大学経営学部 講師)
15:30~15:45 休憩
15:45~17:15 パネルディスカッション
       コーディネーター:小川雅司
          (地域デザイン学会理事、羽衣国際大学現代社会学部 准教授)
       パネリスト:高橋愛典、井上学、井出文紀
17:15~ 閉会挨拶



京都仁丹樂會 idecchi
  

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2015年08月08日

京都仁丹物語 シリーズ第一弾終了

毎日新聞京都版で今年5月23日より始まった「京都仁丹物語」のシリーズ記事も、8月1日で第10回を迎えました。
ここでシリーズ第一弾は小休止、しばらくして第二弾が再開されるそうです。


そこで、今までのテーマをまとめてみました。

第1回 5/23(土)
表示板は「京都の文化財」 住所地にあってこそ

第2回 5/30(土)
年々減少「現役」に苦慮 愛好家「消滅」防ぐ努力

第3回 6/ 6(土)
上、中、下京に集中 分区の歴史を反映

第4回 6/13(土)
柵に守られ「VIP待遇」 設置場所に感じる愛着
 
第5回 6/20(土)
書き手に拍手 最多20字 「大胆な字 大阪職人か」

第6回 6/27(土)
「全国津々浦々」裏付けに風穴「東京市周辺9万440枚設置」資料

第7回 7/11(土)
京都市内大量かつ繊細 リヤカーで巡り、その場で手書き?

第8回 7/18(土)
戦争奇跡的に生き抜く 琺瑯は金属類回収対象外

第9回 7/25(土)
西陣空襲 爆弾の破片  表示板も戦災の目撃者

第10回 8/1(土)
「強い仁丹」空襲で大打撃 焼け跡バラックから再開


第10回で登場した仁丹町名表示板は、株式会社森下仁丹の本社前に設置されている次の表示板です。



創立120周年の記念事業のひとつとして実施された琺瑯製町名表示板復活プロジェクトで京都のものと一緒に制作され、設置されたものです。
長い住所表示に対応した京都バージョンの板ですが、大阪市の住居表示を記すことで京都並みの美しいバランスに仕上がっています。

毎日新聞「京都仁丹物語」シリーズ、第2弾が楽しみです。

~京都仁丹樂會~
  


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2015年05月23日

『京都 仁丹物語』 連載開始!

本日より毎日新聞で、『京都 仁丹物語』の連載が始まりました。
毎週土曜日の朝刊でシリーズ化され、半年程度続く予定です。



私たち、京都仁丹樂會も全面的に協力していますが、記者独自の取材もあり今後が楽しみです。裏付けもしっかりと、正確な記述が期待できます。

なお、“京都 仁丹物語”の題字は、2010年11月の「京都町名琺瑯看板プロジェクト」で平成の復活バージョン第1号を書かれた広告美術業の八田さんです。

~京都仁丹樂會~

  


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2015年04月19日

東京でも紹介されました

森下仁丹株式会社の社史には記されているものの、今まで幻とされてきた東京の仁丹町名表示板の発見は、毎日新聞東京面でも紹介されました。


~2015年4月15日 毎日新聞朝刊より~


はたして、これで新たな情報が舞い込んでくるでしょうか?
さらなる進展を願います。

一方、idecchiさんの研究発表はまだまだ続きます。乞うご期待を。

~京都仁丹樂會~
  


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2015年03月21日

京都駅地下道ギャラリーにて再び展示会

昨年末、ひとまち交流館京都にて開催しました研究成果展の展示パネルを、本日3月21日よりJR京都駅烏丸公共地下道ストリートギャラリーにて再び展示をしています。






内容は前回と全く同じですが、今回は開催期間が2週間、時間は24時間オープンとたっぷりありますので、ゆっくりとご覧いただければ幸いです。

【開催期間】 3月21日(土)~4月3日(金)15時まで
【開催場所】 JR京都駅 烏丸公共地下道 ストリートギャラリー
※ヨドバシカメラ前の地下道です。烏丸通の地下で、七条通から降りた付近です。


昨日夕方には設営が終わりましたが、さっそく通りすがりの方がじっと立ち止まって読み耽っていただいている姿を見ることができました。前回とはまた違った対象の方々に見てもらえるので、新たな展開があればなぁと期待しています。

~京都仁丹樂會~

  


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2014年12月25日

京都新聞にも紹介されました

毎日新聞に続き、京都新聞にも本日の夕刊で紹介していただきました。




京都の近代史が分かるという解説、ありがたいお言葉です。

また、京都壬生の町家ギャラリー幾一里さんのブログ、
「幾一里のブログ」 京都から ・・・ ← (クリックすると、当該サイトにリンクします)
でもご紹介いただきました。



さて、会場にはどこかでお見かけした方々も多くお越しくださっています。
「まいまい京都」の常連さん達でした。
京都仁丹樂會のコースにご参加いただいた方もおられれば、他のコースのガイドさんのお姿もチラホラ。
みなさん、結構、仁丹町名表示板がお好きな方々ばかりのようです。

また、本にするべきだとのお声も連日いただいております。
誠にありがたいお言葉です。
もちろん、今回の38枚のパネルをそのままA4両面印刷したら、それなりの物ができるのですが、今回は敢えて見送り、展示会でのみなさんの関心事などもリサーチしたうえで、より充実させたものをと夢見ています。

それから情報も、案の定、ひとつふたつと寄せられ始めました。
もう消滅したと思った仁丹が、実は私が保管しているとか、どこそこのお店にあるよとかです。
少なくとも埋蔵情報は3件増えました。

中には、「私の近所にもあるで」という、私たちがまだ把握していなかった仁丹情報が寄せられ、会場の近くでもあったことからすぐさま会員が駆けつけたところ、あいにく”アリナミン”の町名表示板だったそうです。もちろん、色褪せて読めないほどだったとのことでした。

さて、残すところあと3日となりました。

最後の土日はすでにお正月休みに入っている方も多いことでしょうから、来客者も情報ももっともっと増えることを願っています。

~京都仁丹樂會一同~
  


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