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2012年12月25日

メンバーの紹介

2023.2.27更新



私たち『京都仁丹樂會』が誕生した経緯や活動については、当ブログ内の「京都仁丹樂會とは」でご紹介していますが、現在在籍しているメンバーは次のとおりです。特に募集した訳ではなく、不思議な様々な“ご縁”で自然に集まりました。



●○● 京都仁丹樂會 メンバー紹介 ●○●


滋ちゃん
『地元の人々はもちろん京都を訪れる人々の道案内を100年近くの長きにわたってしてくれた仁丹町名表示板に一日でも長く生き延びて欲しいの一心で動いています。』
(補足説明)
仁丹探訪歴30年。インターネットが普及していない頃から丹念にまち歩きをしながら、記録し続けている当会の会長です。ブログではあまり発言されませんが、アナログの世界で毎日大活躍しておられます。


ずんずん
『仁丹町名表示板を訪ね歩くようになったのは、2006年に書き始めたブログのネタ探しのため。ほんの出来心でした。それが、縁が縁を呼んで、こんな大事になろうとは…(笑)。
探せば探すほどに、訪ねれば訪ねるほどに、古代中世から近代までの京都の歴史が、
一枚一枚の文字の中に散りばめられていることに驚かされます。その魅力に、今も日々遭遇しています。』

(補足説明)
「京都ずんずん」のオーナーです。そのテーマのひとつであった仁丹町名表示板に惹かれて集まった仁丹好きが当会の発足メンバーとなりました。


Shimo-chan
『まちあるきをして度々出会う仁丹町名表示板。公称の住所表示に極めて忠実なので、“ただものではない”と思うようになり、そのうち仁丹町名表示板を探すのがまちあるきの目的になりました。そしてその奥深さにはまり、”単なる看板ではない!京都の文化財だ!”と認識するようになりました。』
(補足説明)
ブログの管理や事務局的な仕事もしています。


ゆりかもめ
『2004年ごろからデジカメ片手に京都の町をぶらぶらしていて、仁丹の町名表示板に魅せられ撮りためた枚数は800枚を超えました。“京都ずんずん”さんのブログなどで面白さを知りましたが、おりしも仁丹受難時代、みるみる減少していき、あわやというところでこの会ができ、この輪をもっと広げていきたいと思っています。この会の存在意義は大きいです。』
(補足説明)
“ゆりかもめさん”と言えば、当会発足前よりネット界で仁丹町名表示板について幅広く発言、レジェンド的な存在です。


POOH
『北区にある”上京区”の仁丹、左京区にある”上京区”の仁丹。これが仁丹に興味を持った最初です。上京区の住人にとっては普通にある仁丹の町名表示板、何故かレトロで可愛い奴が気になりました。』
(補足説明)
埋蔵仁丹の発掘などマイペースだけど、確実な活動をしておられます。


テント虫
『仁丹の町名表示板には詳しくないですが、保存や啓発活動など何かしら楽しいことをしていきたいです。Facebook yasushi.iwata.71』
(補足説明)
ローラー作戦のチラシや「京都仁丹樂會」のタスキなどを本業の傍らでササっと作ってくださいます。デザインはプロ、心強い存在です。


酒瓮斎(しゅおうさい)
『一が仁丹、二もじんたん、三・四は無くて、五にジンタン。・・・と言いたいのですが、本当のところ、一は御神酒で、二番ささ、三・四は無くて、五が仁丹。・・・という京都仁丹樂會劣等会員です。』
(補足説明)
ブログ「酒瓮斎の京都カメラ散歩」のオーナーでもあり、路地や辻子にも詳しいです。


idecchi

『20年ほど前、暇つぶしの町歩きをしている中で仁丹に出会いました。その後、再び京都に住むことになったのを機に入会、設置時期やその経緯を探るべく、精力的に資料の探索もしています。』

(補足説明)
職業柄も手伝ってか、公文書など過去の資料を探すのが超得意で、木製仁丹の関連では絶大な成果をあげています。


grv1182

『神奈川県在住で、通称”東京支部”です。京都が好きで年に数回通ううちに、仁丹町名表示板の存在を知り、その後は観光よりも町名表示板を探すことが京都を訪れる目的になりました。遠方なので活動の幅は狭いですが、東京にも存在していたと言われる仁丹町名表示板を探していきます。』

(補足説明)
2012年の「まいまい京都 仁丹コース」に、遠路はるばる日帰りで参加してくださり、そのまま会員になられました。関東方面で何かあったときは即座に動いていただいています。


以上のメンバーが、ゆる~い結ぶ付きで各自それぞれの得意分野で自由に活動しています。
なお、平成の復活プロジェクトに協力された渡文株式会社の渡邉社長は良き理解者であり、例会の会場提供など、私たちの ”名誉会長” 的な存在です。


●○● メンバー募集 ●○●

当分の間、休止としています。申し訳ございません。



●○● ブログでの発言について ●○●

仁丹町名表示板は多くの謎に包まれています。だからこそ、一方で、いろんな推理を立てて楽しめるのです。そのような推理を会として統一する必要などはなく、会員と言えども各自で自由に楽しめば良いと思っています。

このような趣旨から新しい記事の最初の発言、会としての統一見解、議論の交通整理をする必要があるときのみ、「京都仁丹樂會」名で発言してきました。

つまり、会としてオフィシャルに発言するときは「京都仁丹樂會」名で、それ以外の個人として楽しむときは各自のハンドルネームを使うことをスタンスとしています。


京都仁丹樂會

  


Posted by 京都仁丹樂會 at 06:03Comments(0)「京都仁丹樂會」について

2011年05月01日

京都仁丹樂會とは




 <京都仁丹樂會とは>
 
  ~京都の仁丹町名表示板をこよなく愛し、研究する人たちの集まりです~

 八十有余年もの永い歳月、色褪せることもなく京都のまちを京都のひとを見続けてきた仁丹町名表示板。それは道行く人に住所を教えるだけではなく、京都で生まれ育った私たちオジサンも知らなかったような京都の歴史や素顔もいっぱい教えてくれます。
 「京都仁丹樂會」とは、そんな仁丹町名表示板の奥深さの虜になり、探索と研究を行うことをライフワークにしている人の集まりです。そして、共同作業によりその謎を紐解き、現状を把握し、さらには京都の文化財としての保全活動もしたいと考えています。
なお、法人などではなく、現在のところ単なる同好会、サークルといったところです。




 <誕 生>
 
  ~「京都琺瑯町名看板プロジェクト」で集合、そしてネットワークへ~

 事の始まりは、昨年(平成22年)の夏のことでした。森下仁丹株式会社さんが、“保全と復活を目的”とした「京都琺瑯町名看板プロジェクト」なる活動を開始され、私たちにも地元のファンとしての意見を求められました。そこで、「京都ずんずん」で仁丹町名表示板のことを熱く語っていた当時のアクティブメンバーが急遽集まりました。でも、その時点では単に“マニアの方々”と呼ばれるしかありませんでした。そこで、これを機会に様々な年代、職業、見識を持った人たちが集まったことを生かし、単独の活動からネットワークへと発展させて、“三人寄れば文殊の知恵”的にひとりではできないことをみんなの力を合わせることでやろうじゃないかとなったのです。それが「京都仁丹樂會」の誕生です。
ネーミングについては、あくまでも趣味で楽しんでいることだけれども、研究と言う意味では学術的な手法も採り入れたいという思いから、肩肘張らずに知的に楽しもうじゃないかと学会ならぬ“楽会”としました。字体は現物の表示板に習って旧字体とし、「京都仁丹樂會」となった次第です。




 <活 動>
 
  ~探索、研究、そして保全活動~

京都仁丹樂會の活動内容は次のとおりです。

【その1】 探索と現況確認のフィールドワーク
京都市中ほぼ全域(山中を除く)を私たちメンバーは歩き尽くしましたが、それでも「えっ!」と驚くような発見がいまだに続いています。やはり現場主義のフィールドワークは止められません。新しい発見を求めて、そして現状把握のためにも続けています。

【その2】 共同研究
 当の森下仁丹さんにも資料が残っていないという謎いっぱいの表示板。様々な謎を、系統立てたテーマでみんなの智恵を寄せ合い、より正確なものへと精度を高めて行きたいと考えています。当ブログはそのためのツールでもあります。

【その3】 文化財としての啓発と保全活動
 京都の仁丹町名表示板は、今や一企業の広告の域を越えた「京都の生きた文化財」です。保全のためには、先ずはその価値を市民はもちろんのこと観光客や行政の方々など、ひとりでも多くのひとに認識していただくことが不可欠です。そして、その気持ちが京都の空気となって定着すれば、盗難や市場に売りに出されるといったことへの抑止力にもなると同時に、今は人目に触れることなく大切に保管されている“埋蔵仁丹”も、再び現役復帰するものと期待しています。
このような啓発と保全活動を、順次形にしていきたいと考えています。



 <積極的なご参加を>
 
  ~三人集まれば文殊の知恵 初心者も達人もみんなで考えましょう~

 京都の仁丹町名表示板に関心を寄せる方は昔から数多くおられます。また、今まさに興味を持ち出したばかりの人、これから持つであろう人もおられることでしょう。いずれの時点でも、またどのような世界でも常に先人がいて、一方で駆け出しの人がいるものです。しかし、この仁丹の世界では、何百枚見つけたとか、何年前からやっているとかは関係ありません。人と比較することではなく、自分のために楽しめばよいのです。理由はこうです。
 仁丹を探していると、ついでに色んなものを発見し、感動し、疑問に思い、そして調べて「そうだったのか!」ともう一度感動します。仁丹の探索活動はその繰り返しなのです。そして、いつしか京都の歴史・文化・伝統・産業はもちろん、その町内の様子など本当に多くの分野にまで目を向けるようになっていることに気付きます。このように何と言っても奥深い仁丹、1枚の仁丹を通じてどれだけ掘り起こせるかは人それぞれです。発見した枚数とそこから読み取った内容や量が比例しているとは限りません。それぞれが、色んなことに思いを馳せながら、マイペースで京都を楽しむ、それが京都の仁丹町名表示板の楽しみ方であり醍醐味なのです。そして、これで完了というゴールはどうやらなさそうであることを、私たちは確信しています。だから仁丹の探索は、先に出発した人も、今出発した人も、ゴールのない同じ旅への出発なのです。誰もが完成し得ない自分自身の旅だと思っています。
 したがって、初心者も達人も関係なく、みんなの知恵で仁丹の謎解きをしつつ京都を楽しみましょう。素朴な疑問や基本的な質問も大歓迎です。そこから新たな発見が生まれるかもしれません。
 ぜひ、当ブログへお越しください。


  


Posted by 京都仁丹樂會 at 07:12Comments(30)「京都仁丹樂會」について