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2012年07月07日

越せない先人の技 仁丹町名表示板

そのほとんどがおよそ85歳という、京都の琺瑯製仁丹町名表示板。
ほんのごく一部の個体を除けば、そこに記載された文字は今でも何の不自由もなく自然に読み取ることができます。町名表示板としてはバリバリの現役生というわけです。

そして、それを倣ってその後たくさん登場しました。八瀬かまぶろ温泉、雲龍、アリナミン、NEC、ナショナル、フジイダイマル、郵便局、ロータリークラブ、ライオンズクラブなどなど、まちを歩けば新旧様々なものを見出すことができます。

しかしながら、現在も使用に耐えられるものと言えば、最近に設置されたものだけのようです。

先ずは下の写真をご覧ください。聖護院で見つけたローソンの表示板です。


いつ設置されたものかは知りませんが、ローソンの誕生自体が昭和50年ですから、それ以降です。プラスチック製で、完全に退色しているため、住所表示としては全く機能していません。

次に、金属製も琺瑯引きでないとこのようになります。耐久力に歴然たる差を見せつけています。


和菓子の老舗亀屋良長さんが本社ビルに設置しておられる「下京區醒ヶ井通四條上ル藤西町」は、京都で一番大切にされている現役仁丹町名表示板でしょうが、自社が制作なさった金属製の表示板も一緒に並べておられます。


仁丹のは下京区、自社製のは中京区の標示です。言うまでもなく後者が新しいわけですが、いかに琺瑯仁丹が耐久性に優れているかも訴えているようです。恐るべき仁丹、恐るべき先人の技。

では、なぜ、仁丹に続くその後の町名表示板は単なる金属製やプラスチック製だったのでしょうか。それは当然、コストの問題だったのでしょう。そして、裏を返せば森下仁丹はコストがかかってでも斑榔製にこだわったことを意味します。
基礎講座 六.設置時期 ⑬まとめ」でもご紹介したように“仁丹は後退せんのや、前進あるのみや”という森下博の熱き思いが具現されたのでしょう。その結果、80有余年もの永きにわたり、風雨にさらされながらも、かくも健在でいられる仁丹町名表示板となったわけです。


ところで、昨年から今年にかけて復活した平成バージョン。
その輝く美しさには申し分はないのですが、耐久性となると早くも疑問符が付いてしまいました。復活第1号となった市役所の個体は大丈夫なのですが、その他のものに記載文字の脆弱さが顕著に表れています。これでは“今後100年”なんて言えません。
何か先人のノウハウが抜けているのでしょうね。



また記載された文字も全体に繊細で草食系といった印象で、白い余白が目立ち過ぎます。オリジナルのように、キャンバスいっぱいに堂々と書き込む力強さが、残念ながら感じられません。毎日毎日、同じことをしていたであろう80年以上前の職人さんと比較するのは非常に酷な話であり、また言うのは簡単、実際に書けば非常に難しいであろうことは重々承知なのですが、やはりオリジナルと比較するとその差は明白だと言わざるを得ません。

ということで、ハード面もソフト面も先人の技はまだ取り返していないようです。
また同時に先人の技の素晴らしさを再認識させられました。
当時のノウハウが解明できれば、“今後100年”’が現実のものになるでしょうね。
  


Posted by 京都仁丹樂會 at 18:27Comments(1)現況報告

2011年11月15日

埋蔵仁丹

埋蔵金ならぬ“埋蔵仁丹”。

外気に触れることなく、例えば家の奥深くなどに保管されている仁丹町名表示板のことを、私たちはこう呼んでいます。
通り行く人々の目に触れることはありません。

したがって、仁丹を求めて歩き尽くしたとしても、これら埋蔵仁丹に出会うことはありません。
それでも、町内の方々と話し込んだりしていると結構見つかるものなのです。
そして、それが意外に多いという実感が日に日に増してきています。



この写真もそのひとつです。
私達が紹介された5月19日の京都新聞をご覧になられた方が、「うちにもあるよ、よかったら見に来て」とのご連絡をいただき、お言葉に甘えて拝見したときのものです。
文字の退色が進んでいるのですが、「上京區 二條通東洞院東入 松屋町」と読み取ることができ、旧上京区管内でしか見られない仁丹の商標が上にあるタイプでした。

一般に“埋蔵”に至る経過は主に次の2つがあるようです。
・ 大切なものだから、家の中にしまっておく。
・ 家を改修しときに邪魔なのではずしたが、捨てずにいる。

この松屋町の場合は後者の理由でした。
昭和初期に建てられた家屋とのことですが、大方40年近く前の改修工事に際して取り外されとのこと。
その後、屋根裏でホコリを被って置いてあったものを、新聞記事で思い出されたそうです。

ちなみに、写真の背景でお分かりかと思いますが、建具屋さんのお宅でした。
仁丹もさることながら、整理の行き届いた数々の工具類に大いに感動した次第です。
同じ種類の工具でも少しずつ大きさが違っています。
その時々によって使い分けをしておられたのでしょう。
失われつつある、かつての職人さんの技と心を見た思いです。

以下は他の埋蔵仁丹の一例です。







仁丹町名表示板が、京都の文化財として認識され、みんなで大切に見守るという機運が高まれば、このような埋蔵仁丹も次から次へと現役復帰するのではと期待しています。
  


Posted by 京都仁丹樂會 at 20:30Comments(0)現況報告

2011年05月01日

平成の復活・仁丹町名表示板 「船鉾町」

2011年2月10日の京都市役所に復活仁丹町名表示板・第一号設置の後、

森下仁丹から選出された設置町内会へは、それぞれに仁丹町名表示板は発送済みである。

その設置事例が、「新町通綾小路下ル・船鉾町」で見ることができる。

「下京区」は左から右へ。 ”区”は新字体。 ”下る”の”る”はひらがな。

これこそ、平成に登場した新しい仁丹町名表示板である。

広告は、広く社会に役立つものでなくてはならないという「広告益世」の理念。

森下仁丹の創業当時からの思いが結実した姿である。

懐古趣味のレトロ看板ではなく、現代に生きる町名表示板であるからこそ、

素材は対候性にすぐれた琺瑯製で、小学生でも判読できる表記になっている。



この建物は、船鉾町の町会所で、この前に祇園祭の時、船鉾が建つ。

路面に見える、四つの礎石のようなものは、この石の上に鉾の土台となる柱を建てる目印ともなるが、

その昔、道路がまだ舗装されていなかった時代、まさに鉾の礎石の役目をしていた。

同じような石は、この祇園祭の山鉾町を巡ると、見つけることができる。


その他の選出された設置町内会で、

○上京区加賀屋町○中京区釜座町 ○中京区三条油小路町 ○下京区東塩小路町 ○左京区銀閣寺町では、

設置された姿を確認できた。

また一つ、新しい町歩きの楽しみができたというものである。


因みに、選出されている町内会は下記の通り。

○上京区加賀屋町 ○上京区大黒町 ○中京区三条町 ○中京区六角町 ○中京区百足屋町
○中京区小結棚町 ○中京区釜座町 ○中京区三条油小路町 ○中京区下樵木町 ○下京区船鉾町
○下京区東塩小路町 ○左京区銀閣寺町

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Posted by 京都仁丹樂會 at 06:47Comments(0)現況報告