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2016年09月04日

水谷憲司さんの撮影データ

京都・もう一つの町名史』 という書籍をご存知でしょうか? おそらく、京都の仁丹町名表示板のみを取り扱った初めてのものだと思います。いくつかの表示板にまつわる思い出、疑問、推理などが綴られ、誰しも同じ思いを抱くものだと頷きます。筆者は、水谷憲司さん。平成7年(1995年)に出版され今はすでに絶版となっていますが、京都市右京中央図書館や京都府立総合資料館などで見ることはできます。



1995.10 永田書房/発行


京都の仁丹町名表示板に関心を持つ方はかなり以前からおられるものですが、1995年当時は現在ほど仁丹町名表示板に関するネット情報は盛んではなく、仲間がどこにいるのかも分からないような、いわば各々がスタンドアローンの時代でした。京都仁丹樂會の代表立花滋も同じ時代に精力的に活動を繰り広げていた一人でしたが、水谷さんとは一度電話で話をしたことがあったものの、お互いの情報交換までには至りませんでした。

さて、この水谷さん、残念ながら今年の1月に他界されました。ご冥福をお祈りいたします。そして、そのご遺族の方より、水谷さんが生前撮影された仁丹町名表示板の写真を何か有効活用する方法はないだろうかと、当會に相談を寄せられました。

同書籍の巻末には、文字情報だけではありますが、水谷さんが発見なさった仁丹町名表示板の一覧表が収録されています。その数、ざっと1,200です。一方当會の立花代表も同時代にほぼ1,200程度を把握していました。さらに、その後、他の會員のデータも加わったので、磐石のデータベースが構築できていると思っていました。したがって、有効活用の方法は正直あまり思い浮かぶものではありませんでした。

しかし、全く同じ住所表記が何枚あっても不思議でないのがこの世界。文字情報ではなく、一度、私達のデータベースと画像で見比べたら、もしかしたら何枚か初めてのものが見つかるのではないかと、會員それぞれ手分けをして精査することになったのです。かなりの労力を要しましたが、一方で水谷さんの熱意もひしひしと伝わってくる作業となりました。

※   ※   ※

さて、その作業結果はと言うと、意外や意外、当初の見込みとは大違い。私達が把握していなかった新たな仁丹町名表示板が何と139枚も出現したのです。これは一体どういうことなのでしょうか? 原因は、水谷さんが見つけて立花が見つけていなかったもの、その逆に立花が見つけていて水谷さんが見つけておられなかったものが、ほぼ同数あったということだったのです。中には、後ろを振り返ったらあったのに!この道を入っていたらあったのに!というようなお互いに惜しいケースもありました。仁丹探しの奥深さを改めて思い知らされました。

このような訳で、とにかく私達の知らなかった新たな139枚が存在していたことが確認できましたので、データベースに加えさせていただきました。資料のご提供、本当にありがとうございました。感謝いたします。

※   ※   ※

したがって、 先日、「仁丹町名表示板 今、何枚? 」で発表した数値に、その後の変化を反映させ、さらに水谷さんの今回のデータも加えた結果、最新データ数は次のようなものになりました。

現存数 ・・・ 675枚
消滅数 ・・・ 680枚
埋蔵数 ・・・ 190枚  (2016.9.4現在)

水谷さんの今回のデータ139枚については、今はその場所に存在していませんので、「埋蔵」されていることが明らかとなった1枚を除き、すべて「消滅」区分にとりあえず加えました。もしかしたら他にも「埋蔵」があるのかもしれませんが。また、新たに出現した139枚の中から、何か新しい発見もしくは考察が生まれるかもしれません。次はその分析も行ってみたいと思います。

~京都仁丹樂會~

  


Posted by 京都仁丹樂會 at 16:01Comments(0)統計

2016年07月21日

南観音山の「百足屋町」復活!

南観音山の「百足屋町」復活!


わずか2日前の7月19日、『仁丹町名表示板 今、何枚』を発表したところですが、早くも変化が現れました。日々動きのある仁丹町名表示板に驚きです。

祇園祭の山鉾町が連なる新町通には“平成バージョン”が5枚も設置されましたが、その1枚、南観音山の町会所に設置されていた「百足屋町」が、町会所の建て替えのため姿を消していました。希望されて設置された平成バージョンだったので、廃棄されることはなかろう、きっと復活するはずだと信じていたものの、新しい町会所がお目見えし、祇園祭も始まったというのに仁丹町名表示板は一向に姿を見せず気になっていました。

ところが、後祭りに間に合わせるかのように、7月20日、見事に復活しているのを確認しました。念のためにと前を通りかかったところ発見、絶妙のタイミングでの再登場となりました。これで「現存」1枚追加です。



ところで、“平成バージョン”とは、森下仁丹株式会社が創立120周年記念の一環として取り組んだ「京都町名琺瑯看板プロジェクト」により製作・設置された仁丹町名表示板のことです。詳しくは次の記事をご覧ください。(青い文字はリンクしています)

   京都仁丹町名看板プロジェクト始動
   復活仁丹町名表示板・第一号 京都市役所に設置!

ちなみに平成バージョン第1号として平成23年2月10日午後1時30分に京都市役所に設置された「上本能寺前町」の仁丹町名表示板も庁舎建て替えのため現在姿を隠していますが、しっかりと保管されており、新庁舎完成時には復活の予定だそうです。

また、髙辻麩屋町の「鍋屋町」も一時期取り外されていましたが、この度、看板の上に堂々と復活しました。ありがたいことです。




しかしながら、このように大切にされる仁丹町名表示板がある一方で、またまた仁丹町名表示板だけが姿を消すという事態が花屋町通でつい先日発生してしまいました。

と言うことで、「現存数」は672+2-1で673枚となりました。

~京都仁丹樂會~
  
タグ :百足屋町


Posted by 京都仁丹樂會 at 23:25Comments(0)統計

2016年07月19日

仁丹町名表示板 今、何枚?

第2回ローラー作戦実施 現存数672枚に 68枚減少!



~国土地理院ウェブサイト(http ://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1)より~


今、この京都のまちに、仁丹町名表示板は何枚あるのか?
を正確に知るため、このほど第2回ローラー作戦を実施しました。京都仁丹樂會の會員それぞれがエリアの分担を決め、2016年3月~6月の短期間に一気に京都市内全域を見て回りました。結果は次のとおりでした。

現存数 ・・・ 672枚
消滅数 ・・・ 542枚
埋蔵数 ・・・ 187枚

「現存数」というのは、基本的には現役の仁丹町名表示板のことです。そもそも道行く人に見えるようにと設置され、それが今も継続しているものです。ただし、極少数、町名表示板として機能しているのか?と悩む個体もありますが、ずっと設置され続けているという意味で現存数にカウントしているものも含まれています。

「消滅数」は、家の解体や改修などに伴い消えてしまった数です。廃棄されたものもあるでしょうし、もしかしたらどこかで保管されているものもあるかもしれませんが、とりあえず姿を消し消息不明となったものです。

「埋蔵数」は、コレクションとして所有されているもの、家の改修などにより取り外したものの廃棄されずに保管されていることが確認できているものなどです。

第1回ローラー作戦は、今から3年前、現存数確認と併せて、保存活動としてのリーフレットの配布を行いました。詳細は当會ブログの次の記事をご覧ください。青い文字はリンクしています。
 ローラー作戦始動! 仁丹町名表示板
 2013 最新統計 ~仁丹町名表示板~


それでは、この3年間でいかなる変化があったでしょうか? 次の数字をご覧ください。


何と、この3年間で現存数が68枚も減少してしまいました。「現存」でなくなるということは、「消滅」または「埋蔵」に移行したわけですが、これら両者の増加数を合算すると 43+67=110 となり計算が合いません。その原因は、過去の写真や新たに発見した埋蔵など、私たちが今まで把握していなかった個体の存在が、この3年間で42枚出現したことを意味しています。

※     ※     ※

最も関心のある数値は「現存」の“減少数”でしょう。一見、“68枚もなくなった!”となるのですが、現実はもう少し深刻です。実は「現存」の中には、長年埋蔵されていたものが突如として復活したものや、前回のローラー作戦では設置家屋が解体され「消滅」に区分していたものが建て替え後の新築家屋に再び掲げられたなど、「消滅」または「埋蔵」から「現存」へと返り咲いたものが11枚ありました。したがって、実際にこの3年間に姿を消した仁丹町名表示板は68枚よりも多く、残念ながら79枚となります。

では、この現実に消滅してしまった79枚について、その原因を分類すると次のような内訳となりました。

(1)設置家屋の解体  26枚
(2)設置家屋の改修  15枚
(3)仁丹町名表示板だけが姿を消したもの  35枚
(4)その他  3枚

(1)解体や(2)改修で姿を消すのは、残念ではあるものの従来から見られた自然な成り行きとも言えます。そのまま産業廃棄物として処分されたかもしれませんし、商業取引のための経路に乗ったものもあるのかもしれません。
はたまた何度か経験したように町内で守られていていずれ復活するものもあるかもしれません。現実に、新築後あるいは改修後に再び設置するつもりで保管中だというものを少なくとも5枚は確認しています。これらは現時点では一旦「埋蔵」にカウントしていますが、そのうち「現存」の仲間入りをすることでしょう。郷土資料として近所の小学校に保管されたものもありました。

(4)その他というのは電柱に付いていたものが、電柱ごと取り替えられてしまい行方不明となるなど、イレギュラーなケースです。

これらに対して、誠に残念至極なのが「(3)仁丹町名表示板だけが姿を消したもの」です。減少数の何と44%を占めます。設置されていた環境は何も変化がないのに、仁丹町名表示板だけが姿を消してしまっているのです。このケース、誰しも思い浮かべるのが盗難という悲しい事態でしょう。中には盗難を恐れて家の奥深くに埋蔵されてしまったものも複数確認していますので、すべてが盗難とは限りませんが、家の方も私たちが尋ねるまで気づかれなかったこともありました。いつの間にか骨董店で売られているものもありました。2014年から2015年にかけての年末年始、盗難事件がマスコミなどでも大いに騒がれ一時期は下火になったかと思いましたが、相変わらず忽然と消える事象が発生しているようです。

突然、仁丹町名表示板だけが姿を消してしまったケース、ほんの一例ですが次のようなものがありました。











90年近くも地域に馴染み、景観の一部でもあったものを、一体誰が何の権利があってこのようなことをするのでしょうか? 住所の表示板ですからそれがどこに設置されていたものかは一目瞭然です。しかし、近頃、それを分からなくするためか住所部分を白色で塗り潰し、その上に希望の住所を書くといった新たな手法が登場してしまいました。愕然としました。同様のことが広がらないよう祈るばかりです。

※     ※     ※

さて、最後に気分が明るくなるケースをご紹介しましょう。

ここは、下京区は東洞院通と下珠数屋町通の交差点です。かつて次の3枚の仁丹がありました。
  A 下京區 東洞院通 下珠數屋町 下ル 飴屋町
  B 下京區 東洞院通 下珠數屋町 下ル 橘町
  C 下京區 下珠數屋町通 東洞院 西入 橘町



でも、左右の家が解体され一気に3枚が減少したものの、2015年に相次いですべてが復活、引き続き“3枚ヶ辻”健在となりました。下の写真が現在の様子です。




その他にも、私たちが今まで全く把握していなかったものが、突如設置されていたというケースも複数ありました。家の御主人曰く『家を建て替えしてから仕舞い込んでたけど、やっぱり付けなあかんなぁと思ったんや』と仁丹町名表示板に対する愛着、そこから垣間見える郷土愛に感動する一幕もありました。さらに、家の改修後にはあえて手の届かない高い場所に再設置されるものもあり、大切にしていこうという気持ちが読み取れ嬉しくなりました。

仁丹町名表示板が注目されて、心無い仕業で減るものもあれば、逆に町内で大切にしなければという気持ちも強まっているようで、一喜一憂させられる第2回ローラー作戦でした。

~京都仁丹樂會~
  

Posted by 京都仁丹樂會 at 06:52Comments(4)統計

2013年04月29日

2013 最新統計 ~仁丹町名表示板~

ローラー作戦を終えての最新統計結果です。
この半年において、すべての現存仁丹を手分けしてチェックしたことになりました。
そして、並行して様々なデータも集まりましたので、ひとつの節目としてまとめてみました。

先ずは、確認データの総数と、現存・消滅・埋蔵の内訳です。


~ 2013.4.29現在 京都仁丹樂會調べ ~


      参考 昨年のデータ
~ 2012.8.5現在 京都仁丹樂會調べ ~


データ数」とは、私たちがフィールドワークを中心に収集したデータをベースとして、書籍や古写真などからも集めたデータの数です。つまりは過去に少なくとも実在が確認できた仁丹町名表示板の個体数というわけです。

現存」は、町名表示板として今も現役で活躍しているものです。
埋蔵」は、室内に取り込まれて地元で大切に保管されているもの、あるいはコレクションアイテムとなっているもの、昭和レトロなお店で飾られているものなど、存在するが町名表示板としては機能していないものです。
そして、「消滅」は現存数から埋蔵数を差し引いた数値であり、ほとんどがすでに廃棄されているでしょうが、もしかしたら埋蔵されているものも含まれているかもしれません。

参考に、昨年8月に発表しました統計シリーズからの数値も比較のため載せておきました。
いずれの項目も原則として増えていますが、それぞれの変化について以下に説明します。

※  ※  ※


≪データ総数について≫

その数、すべてで1,359となりました。
琺瑯製1,299、平成の復活バージョン17、木製43を合計した数です。
昨年のデータ総数は1,312でしたから、今回は47増えたことになります。
増加の理由で最も多かったのは過去の文献や古写真からの収集でした。

次の写真はそのような古写真の一例です。

~京都民家譜 毎日新聞京都支局編 日本資料刊行会 1977年発行 より~

今は観光客も多く訪れる新撰組の壬生屯所跡です。
撮影時期は不明ですが、写真の右端に2枚の仁丹が“究極の90度”で設置されています。
「壬生賀陽御所町」なる町名は読み取れるのですが、その下に続く小さな文字までは判読できませんでした。
でも、ここよりやや東に入ったところにあった(過去形)、次 ↓ の仁丹と同じ“町名+通り名”のタイプであったのでしょう。



したがって、屯所の写真左側は、「下京區 壬生賀陽御所町 綾小路通坊城東入
右側は、「下京區 壬生賀陽御所町 坊城通綾小路下ル
という表記であったであろうことが想像できます。

文献調査では、このように「ここにもあったのだ!」と驚くこともしばしばあります。
今後も順次紹介させていただきます。


≪現存数740≫

昨年の728に対して今回は740ですから、12増えています。
一見、喜ばしい数字ではあるのですが、実は昨年のデータで平成の復活バージョンにカウント漏れがあったことや、消滅したと思い込んでいたものが実は現存していたというものも今回に含まれ、現実としては減少傾向に歯止めがかかっていない事実には変わりはないのです。
今回は、平成の復活仁丹がかろうじてその減少数をカバーした形となりました。

でも、人知れず埋蔵されていたものが突如として出現したという純粋に喜べる仁丹が2,3ではあるものの含まれています。もし、私たちの活動が実ったのであれば誠に嬉しいのではありますが・・・
また、先日の梅津の仁丹などは非常に意義深いプラス1となりました。



≪木製仁丹について≫

昨年も今回の数字も、現役の木製仁丹は11と不変のように見えるのですが、実は減少2、増加2の統計上はプラスマイナス0となったに過ぎません。
減少2は、誠に残念なことですが上京区の姥ケ西町と、かの彩色豊な下京区の福田寺町です。しかし、ご安心ください、いずれも地元町内で大切に保管されています。この木製仁丹2枚が現存から埋蔵へと転じました。
では、現存の+2はと言いますと、他の町名表示板の下地に使われているものです。現役とは言い難いのですが、消滅でも埋蔵でもなく、上に被さっている町名表示板を取り除きさえすれば現役に返り咲くので、とりあえず現存でカウントしています。



≪埋蔵仁丹について≫

琺瑯の埋蔵仁丹がこの半年で21件も増えました。
これらの多くは、消滅してしまったと思っていたものが、ネットオークションに登場し、統計上は消滅から埋蔵に転じたに過ぎない、喜んでよいのかどうか疑問の数字です。
でも、地元で大切に保管されている純粋な埋蔵仁丹も新たに数枚判明しています。



この下鴨芝本町は、森下仁丹さんの「創業120周年記念 歴史保存事業 仁丹にまつわる思い出の品」に応募されたもので、同行を依頼された当会の滋ちゃんによるワンショットです。
詳しくは森下仁丹さんの facebook をご覧ください。
                   ↑
                リンクしています


※  ※  ※


行政区別のデータ数は以下のとおりです。

~ 2013.4.29現在 京都仁丹樂會調べ ~



次の円グラフは、行政区別の「確認データ数」を表したものです。


~ 2013.4.29現在 京都仁丹樂會調べ ~


以上が現時点における最新統計結果ではありますが、もちろんすでに変動が起こっているかもしれません。

また、昨年の統計記事は以下のとおりです。ご参考までに。
青い文字をクリックするとリンクしています。ただし、データは当時ままで、更新はしていません。

2012年08月05日  現存728枚!埋蔵97枚! 仁丹町名表示板
2012年08月06日  行政区別 確認・現存枚数 仁丹町名表示板
2012年08月10日  学区別 確認・現存枚数(前編) 仁丹町名表示板
2012年08月11日  学区別 確認・現存枚数(後編) 仁丹町名表示板
2012年08月18日  設置枚数ベスト3 仁丹町名表示板
2012年08月25日  設置率 上京区の場合 仁丹町名表示板
2012年09月09日  設置場所統計結果 仁丹町名表示板
2012年09月29日  文字数の最多と最少 仁丹町名表示板

~ 京都仁丹樂會 滋ちゃん・shimo-chan ~
  


Posted by 京都仁丹樂會 at 17:55Comments(2)統計

2012年09月29日

文字数の最多と最少 仁丹町名表示板

特に何か新たな事実が分かったというわけでもなく、紹介するほどのことでもないのですが、興味本位で調べてみました。
仁丹町名表示板に書かれた文字数の多さです。以下の通りです。


~2012.9.29現在 京都仁丹樂會調べ~

抽出条件は、
  ・琺瑯製であること。ただし、伏見区は除く。
  ・現存、消滅、埋蔵の区別はしない。
  ・抽出件数2012.9.29現在の1,249件。
  ・行政区名はカウントしない。

つまりは、 約15cm × 約90cm の最も多くあるサイズで、行政区名以外に何文字が書かれたかということです。他都市よりもダントツに大きいこのサイズ、その理由は京都の住所表示がやたらと長いからでしょう。
そういうことで、ちょっと興味を持ちました。

大体11~13文字に大きなピークがありますが、第一位は 20文字 でした。

上京区の 『寺町通今出川上ル西入三筋目上ル上塔之段町』 です。



通常は通り名は太く大きな字で、そして町名は小さな字でというパターンですが、さすがにその余裕はなかったようですね。
それにしてもさすがに長い。

その昔、聞いた話です。住民登録のコンピューター化を進めている時代のこと、当時は今と違ってとにかくメモリーの消費を減らす設計が大切でした。だから、この項目は何文字までと決めている自治体もあったのでしょう、前住所欄や本籍欄に京都の住所を入れようとしたら入らないといった事態が起こったようです。そして、京都市に対して何とかならんのかというクレームとも悲鳴ともつかない問い合わせがあったとか。まさかの想定外だったのでしょうね。


一方、最少は 4文字 でした。
左京区の  「吉田本町」、「吉田橘町」、 南区の 「八條源町」の3町でした。



こちらはさすがに余裕たっぷり、余白がいっぱい残っています。
文字数が少なくても、京都市ではすべてこのサイズに統一されています。
ただし、伏見区は異なりますが。

ところで、この吉田本町は志賀越えの石仏の祠に設置されていたのですが、行方不明となっています。どうなったのでしょうね?



  


Posted by 京都仁丹樂會 at 21:11Comments(0)統計

2012年09月09日

設置場所統計結果 仁丹町名表示板

仁丹町名表示板を探すときは、どこに設置されているか、どこに隠れているか分からないので、上を見たり下を見たり、さらに振り返ったりと、キョロキョロするものです。
そして、”不審者を見たら110番”なる立て看板を見て、ドキッとしたりします。

さて、次なる統計データは設置場所です。ご覧のとおりの結果となりました。

~2012.9.1現在 京都仁丹樂會調べ~


これは、私たちが存在を確認した仁丹町名表示板1,314枚のうち、すでに埋蔵仁丹となっていてどこに設置されていたものなのか分からない61枚を差し引いた1,253枚について集計したものです。ただし、設置場所は当初からのものとは限りません。現実に移動しているものもあります。現在残っているものは現状で、消滅したものは最後の状況でカウントしました。また、分類については判断が分かれるものも多く、そう厳格な数値ではありません。


さて、予想はしていましたが、「家屋1階」と「家屋2階」という建物本体への設置が全体の92.1%の1,154枚でした。
その中でも、2階の652枚が1階の502枚を上回り、過半数を占めるという結果が出ました。

家屋1階


家屋2階

平屋に設置されている場合は当然ながら家屋1階として、また、虫籠窓に設置されているものは家屋2階としてカウントしていますので、完全な2階建てで1階か2階かの2つの選択肢があった場合にいずれを選んでいるかとう結果ではありません。
でも、やはり2階という数値が多いということは、仁丹町名表示板は目の高さよりも上に設置するというのが「標準」だったのかもしれませんね。
今の感覚では、盗難を意識して2階への設置が多かったのだろうかと考えそうですが、設置当時はそのような心配は無用なわけで、やはり人影や物陰に隠れないということで、高い所がより適当だと判断されたのかもしれません。

「塀」は3%に満たない少数派ですが、京都の家の場合は塀に囲まれていること自体が少なく、たまたま適切なポイントに塀があっただけのことでしょう。基本的には家屋1階と同等の位置付けのものと判断できます。
ただし、松ヶ崎などでは塀に付ける方が見易いのに、大きなお屋敷の2階に設置されています。



これに比べて、「フェンス」や「電柱等」は明らかに性格を異にします。
元々設置されていた家屋が解体され、表示板を引き継ぐ人も現れず、でも廃棄処分は免れて、町内の誰かが近くのフェンスか電柱などに設置されたのでしょう。
一応、町内のものだという認識は働いていると思います。

フェンス


電柱



町内のものという気持ちがもっと強く表れているのが、お「地蔵」さんの祠での設置もしくは保管ではないでしょうか。
これも元々はどこかのお家に付いていたものが、解体され、ここへ大切に落ち着いたものなのでしょう。

地蔵



一般的には民家や商店に設置されていることが多いのですが、お寺の塀や山門、御堂など「寺院」への設置も見受けられます。
果たして最初からそうだったのか、それとも後にやはり地域のものだからと持ち込まれたものなのか全く分かりませんが、公共性のあるものだからという意識の働きが感じられます。

寺院



「路地の入口」というのも非常に興味深いものがあります。
この奥にも住んでますよ、町内ですよとアピールしているようです。

路地入口


最後の「物置」とは、母家に対する付属家の物置ではなく、物置として独立した建物としました。その経過はフェンスや電柱などに相当するものでしょう。

物置


「地階」とあるのは極めて特殊なケースなのですが、地階に設けられたガレージの壁に設置されているもので、入口の道路から見えるようになっています。家屋1階相当と言えます。

「放置」はそのとおり、解体された家に設置されていたのでしょう、更地にほったらかしになっていたものです。当然ながら、その末路は行方不明でした。

放置



最後に「室内現役」です。これは特殊です。
商店の中に設置されているのですが、道路を行く人には見えるので、埋蔵仁丹としてカウントせずに一応”現役”扱いをしています。
ただし、その商店が閉まっているときはシャッターが降りて見られなくなることもあります。
現役だけど非常に大切にされている、箱入り娘ならぬ”箱入り仁丹”です。

室内現役


以上が、設置場所に注目した統計結果でした。
特に仁丹の謎が何かひとつ解けるというものではないのですが、そこからは町内の方々の仁丹町名表示板への愛着、町名への愛着、京都に対する郷土愛などが見えてくるのではないでしょうか。

  


Posted by 京都仁丹樂會 at 11:44Comments(2)統計

2012年08月25日

設置率 上京区の場合 仁丹町名表示板

仁丹町名表示板は、少なくとも昭和4年4月1日までの上京・下京時代の市内すべての町に設置されたに違いないと考えています。
それは、探索していて、そして収集したデータを整理していて確信を深めるばかりなのですが、それを補強するひとつの参考として、上京区の場合をさらに深く検証してみました。

上京区は、「行政区別 確認・現存枚数」でも紹介したとおり、京都における仁丹町名表示板の発見数32%を占める”大票田”であることと、中京区や下京区のような大規模開発が少なかったことから選んでみました。

先ずは次の地図をご覧ください。


黄色い部分が、過去に仁丹町名表示板が設置された町名の町域です。
京都御苑や主税町界隈が白いままスポッと抜けているのは致し方ないとして、それ以外ではほぼ全域にバランスよく分布していると言えます。
白い部分は現在のところ、まだ設置が確認されていない町ですが、周囲を黄色で囲まれ、そこだけが設置されなかったはずがないでしょう。
小さな狭い町でも設置されている、1枚どころか2枚も3枚も設置されている町があるという一方、この町には設置されなかったということは考えられません。
したがって、京都御苑などごく一部の例外はあるでしょうが、すべての町に設置されたと断言して間違いはないでしょう。

次にこれも参考までにということで、上京区の各学区ごとの設置率なるものを求めてみました。

設置率 = (設置された町の数)/(学区全体の町の数)

すると、翔鸞学区、仁和学区、出水学区はいずれも65%と最高値を示しました。
学区内の65%の町が過去に仁丹町名表示板が存在していたというわけです。
残りの35%にもきっと設置されていたことでしょう。

そして、17学区中の8学区で50%を上回っています。

反対に設置率の低かったのは桃園学区の29%、京極学区の24%、滋野学区の28%、春日学区の29%でした。
桃園学区については特に原因らしきものを思いつかないのですが、他の3学区は河原町通の拡幅、府立病院や府庁関連施設など、民家が少なくて公共施設が目立ちます。




































~2012.8.8現在 京都仁丹樂會調べ~






  


Posted by 京都仁丹樂會 at 13:21Comments(3)統計

2012年08月18日

設置枚数ベスト3 仁丹町名表示板

仁丹町名表示板の探索をしていて、
   『いったいこの町内には何枚あるのだろう?』
   『なぜこれほど同じ表示板が必要だったのだろう?』
と思ったことはないでしょうか。

例えば、北区の紫野東藤ノ森町だとか左京区の吉田牛ノ宮町だとか、ひとつの町名に対してなぜ同じ表記のものが次から次へと見つかるのか驚いたものです。

でも、上には上があります。

とりあえず2012.8.8現在のデータ数1,314件で、設置枚数ベスト3を集計してみました。
現存・消滅・埋蔵は区別せず、とにかくその町内に設置されたことが判明した確認枚数での順位です。
どの程度の密度で設置されたのか、ひとつの参考になるのではないでしょうか。

まず、第3位からの発表です。

≪第3位≫ 北区紫野東藤ノ森町 ・・・ 9枚設置

行政区の表示は「上京区」となっていますが、現在の北区紫野学区の「東藤ノ森町」です。
現役で活躍しているのが今でも5枚もありますから、設置枚数が多かろうということは容易に想像できましたが、それでも9枚で第3位という結果でした。
表示板の書体、とういか筆跡ははいずれも同じに見えます。


≪第2位≫ 北区紫野南船岡町 ・・・ 10枚設置



第2位は、10枚確認の同じく北区紫野学区の「南船岡町」でした。
現存数はわずか2枚なので、第2位になるとは意外でした。
筆跡は先の東藤ノ森町とどうやら同じようで、書道のような上品な字となっています。


≪第1位≫ 北区紫野中柏野町 ・・・ 12枚設置

そして、第1位は確認数12枚のこれまた北区紫野学区の「中柏野町」でした。
現存数も7枚と第1位です。
中柏野町の場合は、町内会名が入っていますので、第2位の南船岡町、第3位の東藤ノ森町とは違って全く同じ表記とは言えませんが、町名としては現在のところベスト1であります。

それにしても、ベスト1~3までいずれも北区の紫野学区とは、オリンピックに例えれば金・銀・銅を同じ国が独占したようなものですね。
どうしてこれまでして多くの仁丹が設置されたのか?必要とされたのか?本当に不思議です。
ただ、いずれの町も中心区と比べれば面積は格段に広いので、設置密度としてはさほど変わらないのかもしれませんが。



ちなみに、第4位になって初めて北区以外がランキングされます。
上京区は仁和学区の「北町」で、確認数8枚です。
こちらは通り名の組み合わせが出てきますので、表記としては3種類に分類できるのですが、その中で最も多いのが
「上京区 御前通西裏 上ノ下立賣 上ル西入 北町」
の4枚でした。

さらに第5位はというと、大きな変化が現れます。
確認数6枚で、上京区出水学区の「下丸屋町」、下京区植柳学区の「艮(うしとら)町」、下京区光徳学区の「中堂寺櫛笥町」、そしてまたまた北区紫野学区の「上柏野町」の4町が同点でのランキングです。
上京区の下丸屋町は山中油店さんのあるところですが、町の大きさからしたらかなり濃密度と言えるでしょう。


以上が過去も含めた確認数での集計でした。いずれも紙一重の接戦という状況ですから、今後の新たな発掘でもしかしたら結果が変わるかもしれません。  


Posted by 京都仁丹樂會 at 11:12Comments(3)統計

2012年08月11日

学区別 確認・現存枚数(後編) 仁丹町名表示板

学区別 確認・現存枚数集計結果の後編です。
上京、中京、下京以外をご紹介します。


~2012.8.8現在 京都仁丹樂會調べ~

北区の学区地図  ← 北区役所のHPにおける学区地図にリンクしています

北区は南部の学区のみを表示しています。北部は京北の隣接地までありますので、仁丹は望めません。
先ずは柏野と紫野がダントツに多く確認数20枚台を記録しています。中心区に負けず劣らない勢いであり、京都の市街地に完全に組み込まれていたことが分かります。
現存数でも柏野は15枚を誇り、紫野と比べて残存率の良さも分かります。住宅が密集している割に、大きな開発がなかったことの表れでもあるでしょう。
市電外周線の外側となると、柏野や紫野に比べて分布は極端に落ち込みます。街道沿いの家、もしくは区画整理が終わって家屋が出現したポイントということでしょう。
ところで、市電外周線の内部であり、鞍馬口街道に面する出雲路に1枚も確認できていないのが腑に落ちません。存在しなかったはずはないと思うので、そのうちに確認されることを期待しています。



~2012.8.8現在 京都仁丹樂會調べ~

左京区も北区同様、北部に広大な山間部を抱えていますが、ここに挙げたのは南部の市街地およびその周辺のみです。
ここも旧市街地と言えるエリアは中心区と何ら遜色のない確認数10枚台を記録しています。
葵の確認数1枚というのはは例の”下鴨南野々神町(俗称 北山一町目)”ですから、異色と言えるかもしれません。
修学院や松ヶ崎はロクヨンイチ、すなわち昭和6年の編入組であり、行政区の表示は「左京区」です。上高野は修学院に含まれています。
北白川はまだ1枚も確認が取れていないのですが、街道沿いに家屋が建ち並んでいたところなので、過去に存在していたとしても不思議ではありません。こちらもいずれ確認されることを期待しています。
なお、浄楽には平成の復活バージョン2枚が含まれています。



~2012.8.8現在 京都仁丹樂會調べ~

東山区の学区地図 ← 東山区役所のHPにおける学区地図にリンクしています

東山区も旧市街地の一画ですから、確認数10枚台の学区が半分以上を占めています。
今熊野のかなり山寄りにも分布していたことには驚きました。
現存枚数も全体にわたってかなりの健闘ぶりと言えます。
なお、山科区は昭和51年までは京都市東山区山科でしたが、1枚も確認されていません。



~2012.8.8現在 京都仁丹樂會調べ~

南区の学区地図 ← 南区役所のHPにおける学区地図にリンクしています

南区も市街地に近い北部のみを挙げています。しかし、ご覧のとおり確認枚数はあったとしても1桁です。
確認枚数ゼロの学区も、両端の学区で確認できているのですから、単に現時点で把握できていないだけかもしれません。



~2012.8.8現在 京都仁丹樂會調べ~

右京区も相当に広いエリアです。ここに挙げたのは単に現実に仁丹が確認できた学区だけです。いずれも昭和6年の編入組で「右京区」表示です。
確認数はエリアの広さの割には、ご覧のとおりの低迷振り。街道沿いの設置がメインであり、まだ住宅が密集していなかったことの表れなのかもしれません。



~2012.8.8現在 京都仁丹樂會調べ~

最後は伏見区というか「伏見市」です。こちらも仁丹が確認された学区だけを挙げており、それ以外は未確認ですが、昔から栄えたエリアであること、アイデンティティを高めて京都市への対等合併を目論んだことなどを考えると、設置数はこれだけで済むものではないでしょう。


以上が、各行政区の中での学区別集計結果ですが、山科区と西京区は現在のところ確認数が”ゼロ”ですので省略しました。どうやら、”桂川を越えると、東山を越えると存在しない”というのが現時点での常識となっています。  


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2012年08月10日

学区別 確認・現存枚数(前編) 仁丹町名表示板

今回の統計は、各行政区における「元学区」単位での集計結果です。

京都市にお住まいの方でないと「学区」という概念がいささか分かり難いかと思います。
正確な表現ではないでしょうが、かつての小学校の通学範囲と考えてもらえればほぼ良いかなと思います。ただし、今は統廃合が進みましたので、そのまま当てはまるものではなく、”元学区”などと呼んでいますが、それでも行政や自治のうえで、今でも大いに利用されているエリア名なのです。

また、地名に例えれば、大字みたいなイメージとも言えるでしょう。
ご存じのとおり、京都の中心区は通り名の組み合わせで場所を表してから、そして町名を持ってくるのですが、この通り名の組み合わせの部分を、元学区に差し替えても良いようなものなのです。ちょっと乱暴な説明かな?

今回は、その元学区単位での、確認枚数と現存枚数をまとめてみました。
前編として、先ずは仁丹所在区の大御所である上京区、中京区、下京区をご紹介します。



                                    
 ~2012.8.8現在 京都仁丹樂會調べ~

上京区の学区地図  ← 上京区のHPにおける学区地図にリンクしています


全区の中で確認数も現存数も最多の上京区では、いずれの学区も確認数は2桁を記録しました。
その中でも、最も多いのが出水学区の54枚です。次いで40枚台が室町学区と仁和学区、30枚台が翔鸞と聚洛、20枚台が成逸、小川、正親、滋野と続きます。残りは10枚台ではありますが、それでも他区と比較したら好成績です。

現存枚数ではあいにくすべての学区で2桁とはいきませんでしたが、最多はやはり出水学区の29枚であり、室町、仁和、翔鸞と20枚台が続きます。


 ~2012.8.8現在 京都仁丹樂會調べ~

中京区の学区地図  ← 中京区のHPにおける学区地図にリンクしています


次に中京区です。
南北で言えば丸太町通りから四条通りにかけてのエリア、まさしく京都の繁華街の中心だけあって、確認数2桁は23学区中、わずか9学区でしかありません。それもいずれも10枚台です。
そのような中でも最多は柳池と銅駝の16枚でした。そして、現存枚数のトップは銅駝の13枚でした。
なお、教業では10枚確認していたのが、現在は1枚のみしか現存していません。
また、朱雀第七は確認数ゼロの状態が続いています。西院の東側一帯ですから、存在していても不思議ではないのですが。



 ~2012.8.8現在 京都仁丹樂會調べ~


最後は下京区です。学区地図がHPに見当たらず、どのあたりか全く見当つかないかもしれませんね。
四条や京都駅界隈を抱えてはいますが、確認数の最大が植柳の53枚と最多の上京区出水学区の54枚と1枚の差です。40枚台はなく、30枚台が尚徳、稚松の2学区、20枚台が淳風、醒泉、光徳の3学区と大健闘です。
現存枚数最多はやはり植柳の33枚、次いで稚松の21枚となっています。

  


Posted by 京都仁丹樂會 at 00:21Comments(0)統計

2012年08月06日

行政区別 確認・現存枚数 仁丹町名表示板

統計シリーズ第2弾は、現在の行政区別の「確認数」と「現存数」を取り上げてみました。



~2012.8.5現在 京都仁丹樂會調べ~



この「確認枚数」とはかつて存在した仁丹町名表示板の数です。古いものは実に昭和62年からの蓄積です。
当初は実際にあったものだけしか集計できませんでしたが、スタンドアローンだった各メンバーの情報を合体、さらに古写真など様々な媒体からも収集、現在に至っています。
ですから、日々増えていきます。早速、昨日発表のデータよりも2件多くなっています。

そして、右側の数値が現役として残っている「現存枚数」です。とりあえず、2012.8.5現在としていますが、正確にはこの時点において残っているはずだとする数値です。この日においてすべての現存確認をしたものではありません。
また、埋蔵仁丹は含みません。

この両者を比較すると、割合はいずれの区もほぼ同じであり、この25年の間に均等に半減していることが分かります。

なお、山科区と西京区はともにゼロです。西京区はともかく、山科の三条通沿いにあったとしても不思議ではないのですが、今のところそのような情報に接していません。


次の円グラフは一応「確認枚数」を表したものですが、結局、現存枚数でもほとんど同様の結果が得られます。



これによると、上京区と下京区が双璧であることが一目瞭然です。中京区も加えれば全体の75%を占めることが分かります。
  


Posted by 京都仁丹樂會 at 21:40Comments(0)統計

2012年08月05日

現存728枚!埋蔵97枚! 仁丹町名表示板

京都仁丹樂會の各メンバーがフィールドワークや資料探索などにより集めた仁丹町名表示板のデータ数は、個体数で1300件を超えました。
まだ集計漏れもがあると思いますし、また今後も増え続けることでしょうが、終わりがないので、この辺りで様々な統計結果を順次紹介していきたいと思います。

先ずは、次の表をご覧ください。
確認した個体のうち、現役で活躍している「現存」、今はなくなってしまった「消滅」、表には出ていないが大切に保管されている「埋蔵」の数です。


~2012.8.4現在 京都仁丹樂會調べ~


確認した個体数は琺瑯製が1273枚、木製が39枚、合計で1312枚です。

このうち、町名表示板として現役で働いているのは琺瑯製が717枚、木製が11枚です。
合計で728枚が現役です。
ただ、琺瑯製には平成の復活バージョンが10枚含まれていますので、80歳を超えるものは707枚ということになります。
また、現役とは言っても木製は褪色が著しく、町名表示板として堂々と機能しているのはほんの3,4枚程度です。
琺瑯製にもほんのごく一部ですが、褪色や欠損で町名表示板としての機能を果たしていないものもあります。

次に大切に保管されている「埋蔵」です。
琺瑯製で92枚、木製で5枚、合計で97枚です。
まさかこれほど多くの仁丹が埋蔵されているとは思いもしませんでした。
しかし、この中には琺瑯看板のコレクターが所有しているものや、レトロな店舗のインテリアになっているもの、はたまたネットオークションに出てその後コレクターが入手したであろうものなど、33枚を含んでいます。
残り64枚が、町内の方が大切なものだからと家の中で保管されている、純粋な埋蔵モノと言えます。

なお、店舗などでは家屋の中に掲げて、営業中ならば外を通る人から見えるものもあるなど、中には現存か埋蔵かその判断がグレーなケースもごく若干ありました。その態様により、それぞれいずれかでカウントしています。

最後に、現存でも埋蔵でもないのが「消滅」です。つまり、なくなってしまったものが、琺瑯製で464枚、木製で23枚、合計で487枚です。
実際はこれだけの数で済むはずがありません。単に私たちが把握していないだけであり、データとしては「消滅」の数はあまり意味のあるものではありません。
消滅に分類したものほぼすべてが廃棄処分されたのでしょうが、ごく一部、突如としてネットオークションに出てくることもあります。そのようなものは消滅から埋蔵へと分類を変更しています。

分類の変更と言うことでは、嬉しいことに「埋蔵」から「現存」への区分変更や、さらに存在を全く知らなかったものが突如として「現存」として登場することもあります。
すなわち、”現役であってこその仁丹町名表示板”であるという価値をご理解いただき、大切に保管していたものを堂々と家の表に掲げられたことと推察しています。
オークションに出すのではなく、現役に戻す、このような流れがどんどん広がって行くことを願っています。  


Posted by 京都仁丹樂會 at 09:14Comments(7)統計