京つう

歴史・文化・祭り  |洛中

新規登録ログインヘルプ


2016年09月18日

仁丹と文学散歩 ~その15 蘭 郁二郎 ~

仁丹と文学散歩 ~その15 蘭 郁二郎 ~


科学小説を独立したジャンルに押し上げたのは、海野十三と蘭郁二郎です。血湧き肉踊る戦前の海外の空想科学映画などに刺激を受けた蘭は、次々と新発明、怪兵器を登場させることで、独自の作品世界を構築しました。さらに蘭は、クリーンエネルギー、核エネルギーなど、人間の生活そのものにも興味を持っていました。しかし、核には危険な匂いを嗅ぎ取っていたようで、『宇宙爆撃』(1941年、未発表)では、極大宇宙と極小宇宙の奇怪な強迫観念にとり憑かれ、原爆で地球を破壊しようとする技術者を登場させます。磁気学研究所ボルネオ支所の村尾は、“原子爆弾による元素の置換”などという得体の知れぬ研究に没頭するある日、水銀の小粒が一夜にして、床に落とすとカチ、カチと弾み、叩くと割れる怪異現象を目の当たりにし、興奮収まらぬ手紙を日本の上司に送ります。


僕の実験室で大異変が起ったのです。(中略)その大異変というのは実験材料として置いた一粒の水銀が、いつの間にか忽然として自然変質をしてしまったのです。愕くべきことです。純粋な水銀が、得体の知れぬものになってしまったのです。(中略)僕がぎょっとしている間に、石井さんは手許にあった金槌で叩き潰してしまいました、そしてこの水銀は茶色の粉となってしまいました。なんという愕くべきことでしょう。僕は急いで他の水銀を調べました、しかしその他の水銀には一向変化が認められません、この粉砕された一粒だけが変質しているのです。この怪異は何を物語っているのか。・・・・僕は宇宙爆撃の恐怖が裏書きされたように思われます。つまりこの水銀の中の電子には、我々の地球以上の高度な科学があったのだ、そしてやがて自分たちの宇宙がこの僕によって爆撃されることを予知して、その前に、自らの力によって自分の宇宙体系を爆砕し変換せしめてしまったのではないか、




室温で唯一の液体金属である水銀には、水の6.6倍というその強い表面張力により、表面をできる限り小さくしようとする性質があります。そのため、仁丹くらいの大きさにすると、ほぼ正円に近づきます。これを利用して、水銀の一粒を仁丹とすり替える婚約者の可愛いいたずらが生真面目な科学者に「物理学上の大発見」と誤解させる姿は、銀色の仁丹の中身が茶色だという小事実も付加されて何とも笑いを誘います。また、その変化した水銀のエネルギーが何やら軍事用の巨大破壊兵器を連想させるのは、戦争を目前にした蘭自身の武者震いの波動なのかもしれません。昭和19年1月5日、台湾の高雄基地を発ったダグラス機は、濃霧の中、寿山に激突しました。同乗した報道班員作家の蘭郁二郎、30年の生涯でした。(完)

京都仁丹樂會 masajin

  
タグ :蘭 郁二郎


Posted by 京都仁丹樂會 at 13:18Comments(0)文学と仁丹

2016年09月04日

水谷憲司さんの撮影データ

京都・もう一つの町名史』 という書籍をご存知でしょうか? おそらく、京都の仁丹町名表示板のみを取り扱った初めてのものだと思います。いくつかの表示板にまつわる思い出、疑問、推理などが綴られ、誰しも同じ思いを抱くものだと頷きます。筆者は、水谷憲司さん。平成7年(1995年)に出版され今はすでに絶版となっていますが、京都市右京中央図書館や京都府立総合資料館などで見ることはできます。



1995.10 永田書房/発行


京都の仁丹町名表示板に関心を持つ方はかなり以前からおられるものですが、1995年当時は現在ほど仁丹町名表示板に関するネット情報は盛んではなく、仲間がどこにいるのかも分からないような、いわば各々がスタンドアローンの時代でした。京都仁丹樂會の代表立花滋も同じ時代に精力的に活動を繰り広げていた一人でしたが、水谷さんとは一度電話で話をしたことがあったものの、お互いの情報交換までには至りませんでした。

さて、この水谷さん、残念ながら今年の1月に他界されました。ご冥福をお祈りいたします。そして、そのご遺族の方より、水谷さんが生前撮影された仁丹町名表示板の写真を何か有効活用する方法はないだろうかと、当會に相談を寄せられました。

同書籍の巻末には、文字情報だけではありますが、水谷さんが発見なさった仁丹町名表示板の一覧表が収録されています。その数、ざっと1,200です。一方当會の立花代表も同時代にほぼ1,200程度を把握していました。さらに、その後、他の會員のデータも加わったので、磐石のデータベースが構築できていると思っていました。したがって、有効活用の方法は正直あまり思い浮かぶものではありませんでした。

しかし、全く同じ住所表記が何枚あっても不思議でないのがこの世界。文字情報ではなく、一度、私達のデータベースと画像で見比べたら、もしかしたら何枚か初めてのものが見つかるのではないかと、會員それぞれ手分けをして精査することになったのです。かなりの労力を要しましたが、一方で水谷さんの熱意もひしひしと伝わってくる作業となりました。

※   ※   ※

さて、その作業結果はと言うと、意外や意外、当初の見込みとは大違い。私達が把握していなかった新たな仁丹町名表示板が何と139枚も出現したのです。これは一体どういうことなのでしょうか? 原因は、水谷さんが見つけて立花が見つけていなかったもの、その逆に立花が見つけていて水谷さんが見つけておられなかったものが、ほぼ同数あったということだったのです。中には、後ろを振り返ったらあったのに!この道を入っていたらあったのに!というようなお互いに惜しいケースもありました。仁丹探しの奥深さを改めて思い知らされました。

このような訳で、とにかく私達の知らなかった新たな139枚が存在していたことが確認できましたので、データベースに加えさせていただきました。資料のご提供、本当にありがとうございました。感謝いたします。

※   ※   ※

したがって、 先日、「仁丹町名表示板 今、何枚? 」で発表した数値に、その後の変化を反映させ、さらに水谷さんの今回のデータも加えた結果、最新データ数は次のようなものになりました。

現存数 ・・・ 675枚
消滅数 ・・・ 680枚
埋蔵数 ・・・ 190枚  (2016.9.4現在)

水谷さんの今回のデータ139枚については、今はその場所に存在していませんので、「埋蔵」されていることが明らかとなった1枚を除き、すべて「消滅」区分にとりあえず加えました。もしかしたら他にも「埋蔵」があるのかもしれませんが。また、新たに出現した139枚の中から、何か新しい発見もしくは考察が生まれるかもしれません。次はその分析も行ってみたいと思います。

~京都仁丹樂會~

  


Posted by 京都仁丹樂會 at 16:01Comments(0)トピックニュース統計