2011年07月29日
仁丹町名表示板 大阪市の場合
次に大阪市の町名表示板を見てみましょう。京都市と同じく、今で言う政令指定都市なので行政区名が必要となります。
確認できたのは10枚程度と少ないのですが、次のようなことが判明しました。
①大きさ
縦76㎝ 横11.5㎝。
多少の誤差があるのかもしれませんが、大津市のと同じ規格かもしれません。
②縁取り
これも大津と同じく、黒の細いラインがあります。
③行政区名
京都と違って縦書きですが、4文字になると縦2行書きとなります。
④商標の位置
現在のところ、下にあるものしか見つかっていません。
⑤ビスマルクの色
赤一色もあれば、黒もあります。ただし、黒のものは勲章だけが赤で彩られています。
⑥「仁丹」の文字の色
黒もあれば赤もあります。ただし、ビスマルクが赤ならば仁丹は黒といったように、ビスマルクとは違う色が使われています。仁丹の文字が赤のものを”赤仁丹”、仁丹の文字が黒のものを”黒仁丹”と呼ぶと分かりやすいかな。
黒仁丹
赤仁丹
⑦書体
住所部分は筆文字で書かれてはいますが、京都のような書き手の個性は感じられず、どちらかと言えば画一的です。「區」のような旧漢字も使われていません。
また、触ってみると文字のところがへこんでいてでこぼこしているのです。製法について研究しなければならないようです。
⑧区切りライン
行政区名と町名との間に細いラインが入ります。京都ではお目にかかれませんでした。
さらに、町名と商標の間には京都と同じような菱形のラインが入ります。
⑨商品ロゴ
商標の下に入っていますが、大津とは違って「仁丹歯磨」しか見つかっていません。
はたして他にもあったのでしょうか?
書式は次のようになります。
行政区名+横線+町名+菱形横線+商標+商品ロゴ
設置時期について
商標は戦前バージョンに良く似ているのですが、城東区、生野区、東住吉が誕生したのが、大阪市第3次区再編の1943(昭和18)年4月1日であること、「区」なる新漢字の使用が昭和21年11月16日の当用漢字表告示以後であること、「仁丹歯磨」が左から右に書いてあることなどから、どうやら戦後の設置であることは間違いなさそうです。
京都の表示板が大正末期から昭和初期設置で有に80年を超えようとしているのに、大阪は戦後生まれなのですね。
大阪府の許可証
ところで、大阪の場合は、非常に興味深いことがあるのです。
それは必ずと言っていいほど表示板の下に設置許可のプレートが見られることなのです。
大半が錆で文字が見えなくなっていますが、それでも読み取れるものもあり、「大阪府許可 指令土計第802号 許可月日昭和26年3月16日、寄贈者管理者森下仁丹株式会社 中村政之助」とあるのです。
大阪市ではなくて、大阪府の許可が必要だったようですね。”土計”とは都市計画局のことでしょう。
許可年月日と設置年月日とが必ず合致するとは限らないでしょうが、自然に考えれば許可があって設置でしょうから、この例で言えば昭和26年3月16日直後の設置であったと考えるべきでしょう。
これは大いに参考になる資料だとばかりに、大阪府公文書総合センターに足を運びましたが、残念ながら徒労に終わってしまいました。
東淀川区、住吉区、生野区、旭区、東成区、東住吉区、城東区などに現存していることから見て、戦後に森下仁丹のお膝元である大阪市全域に設置したと考えても不思議ではありません。
市の規模から考えて何千枚単位で設置され、そして消えていった表示板達。いったいどこに行ってしまったのでしょう?
※ 赤仁丹と黒仁丹の定義が逆になっていましたので訂正しました。2011.8.2
仁丹町名表示板 「基礎講座」 index ~日々記事更新してゆきます~
◆序、 仁丹町名表示板「基礎講座」 開講にあたって
◆一、 予備知識
①「仁丹町名表示板」とは
②そもそも「仁丹」とは
③「森下仁丹株式会社」とは
◆二、 実例
①京都市以外の仁丹町名表示板
②仁丹町名表示板 大津市の場合
③仁丹町名表示板 大阪市の場合
④仁丹町名表示板 奈良市の場合
⑤仁丹町名表示板 伏見市の場合
⑥仁丹町名表示板 実例のまとめ
以下、続々連載中
Posted by 京都仁丹樂會 at 21:46│Comments(9)
│実例
この記事へのコメント
知り合いの物です 改めて「よろしくお願いします」
私が古民家の築年数を調べていた時
禁門の変の影響を調べた事が効果絶大でした
それと同様、つらい話ですが大阪大空襲影響が大きいでしょうね
我が家でも物干しから大阪の灰色の空が見えたと伝えられている言葉から
現存の看板は奇跡の生存物なのでしょうね
いつまでも大事にその地に残っていてくれたら有難いですね
私が古民家の築年数を調べていた時
禁門の変の影響を調べた事が効果絶大でした
それと同様、つらい話ですが大阪大空襲影響が大きいでしょうね
我が家でも物干しから大阪の灰色の空が見えたと伝えられている言葉から
現存の看板は奇跡の生存物なのでしょうね
いつまでも大事にその地に残っていてくれたら有難いですね
Posted by 東福寺の酒 at 2011年07月30日 11:39
東福寺の酒さん こんにちは いつぞやはいろいろとありがとうございました
おっしゃるとおり、戦前設置であれば大阪大空襲で大半がなくなったという可能性がありますね。
そこで問題なのが、大阪府の許可証の年号の昭和26年○○というところ。
大阪は京都のように住所が通り名ではないところから、町名が変われば、古い看板は、ややこしいだけの邪魔者になってしまった。だからはずされたのではないかと思うんです。大阪も何回か、大きな規模で住所変更をしています。
その中で、残った仁丹看板。ビスマルクにも意地と威厳が感じられます。
おっしゃるとおり、戦前設置であれば大阪大空襲で大半がなくなったという可能性がありますね。
そこで問題なのが、大阪府の許可証の年号の昭和26年○○というところ。
大阪は京都のように住所が通り名ではないところから、町名が変われば、古い看板は、ややこしいだけの邪魔者になってしまった。だからはずされたのではないかと思うんです。大阪も何回か、大きな規模で住所変更をしています。
その中で、残った仁丹看板。ビスマルクにも意地と威厳が感じられます。
Posted by ゆりかもめ at 2011年08月02日 08:57
先日は天王寺の看板でお手数をかけました。最近、大阪市内それも地元の住吉区(現住之江区)で1枚見つかりました。あと、大阪市内で木製の住所看板を見つけたのですがそれも戦後製でした。戦前製のものは例の旧家にあるのですが材質が琺瑯ではなくトタンかブリキ製のようです。なぜ大阪市内で琺瑯製の住所看板が普及しなかったのでしょうね?金属回収なども関係してるんでしょうか?
Posted by あのまのかりす at 2012年02月19日 23:14
あのまのかりす さん いろいろと情報をありがとうございます。さて、大阪市内の住所看板が普及しなかったのは? 生野区猪飼野中二丁目の例で考えてみますと、生野区が東成区から分かれて誕生したのは、大阪市第3次区再編の1943(昭和18)年4月1日、猪飼野が地図上から消えたのは、1973(昭和48)年2月1日の町名(住所表示)変更によってです。 このように京都なら住所といっても区と縦の通り、横の通りで区が変わっても通り名まで変わることはまずないので、何十年と現役を保てますが、大阪の場合、区が変わり町名まで変わるので存在価値すらなくなります。あったほうが紛らわしくて混乱させます。 このような理由で住所表示変更のたびに、(普及しなかったんではなく)付け替えられたのではないかと思われます。 だから今ある大阪の看板は京都より貴重であるとも言えます。
Posted by ゆりかもめ at 2012年02月21日 23:45
東淀川区の下新庄の看板がなくなって、がっかりしていましたが、淀川区三津屋で東淀川区の町名表示板を見つけました。新しい看板の下にねむていました。
Posted by ゆりかもめ at 2012年06月19日 19:20
こんちは。iPhoneのブックマークに落としてちまちま見てます。京都や伏見の仁丹看板があるのは知ってましたが、大阪市内にもあるんですね。以外に昔の街並みがある、平野とか住吉(今の住之江)とかはたまた堺とかありそうな感じがしますが…やはり、大空襲で焼けてますよね(ーー;)
その街の歴史を密かに仁丹のビスマルクは見ているのやなぁと。あたしも近いので探して見ます。
でも、他のアースやオロナミンなど有名琺瑯看板より古いって言うのは勉強になりました。
その街の歴史を密かに仁丹のビスマルクは見ているのやなぁと。あたしも近いので探して見ます。
でも、他のアースやオロナミンなど有名琺瑯看板より古いって言うのは勉強になりました。
Posted by リラックマ at 2012年07月19日 15:34
八尾に仁丹町名表示板があると聞いて見てきました。
仁丹おじさんはついてないんですが、思っていたよりは立派で
なかなかのものでした。5枚現存しているようです。
仁丹おじさんはついてないんですが、思っていたよりは立派で
なかなかのものでした。5枚現存しているようです。
Posted by ゆりかもめ at 2013年03月01日 22:11
YOSHIさん、いらっしゃいませ。
『街区道』 街区表示板調査サイト 拝見しました。
すごく充実しているので驚きました。
なるほど、こうして見てみるとかなりバラエティに富んでいるのですね。
私どもは京都の仁丹町名表示板に限って研究しているグループですが、中には仁丹以外の町名表示も調べるべきだという会員もおり、さぞ興味津々で貴サイトを閲覧するであろうことが容易jに想像できます。
京都市に仁丹町名表示板が多く残っているのは、住居表示を採用していないというのも大きな理由だと思います。一時期、いや今も時折、住居表示をやるべきだという提案が現れることがありますが、少なくとも中心部では通り名の組み合わせに勝るものはなく、また愛着も深く、仮に住居表示が採用されようとしたら猛反対が巻き上がるだろうと思います。
街区表示板を探しておられて、何か仁丹の情報に出くわされたらご教示いただければ幸いです。
今後ともよろしくお願いします。
『街区道』 街区表示板調査サイト 拝見しました。
すごく充実しているので驚きました。
なるほど、こうして見てみるとかなりバラエティに富んでいるのですね。
私どもは京都の仁丹町名表示板に限って研究しているグループですが、中には仁丹以外の町名表示も調べるべきだという会員もおり、さぞ興味津々で貴サイトを閲覧するであろうことが容易jに想像できます。
京都市に仁丹町名表示板が多く残っているのは、住居表示を採用していないというのも大きな理由だと思います。一時期、いや今も時折、住居表示をやるべきだという提案が現れることがありますが、少なくとも中心部では通り名の組み合わせに勝るものはなく、また愛着も深く、仮に住居表示が採用されようとしたら猛反対が巻き上がるだろうと思います。
街区表示板を探しておられて、何か仁丹の情報に出くわされたらご教示いただければ幸いです。
今後ともよろしくお願いします。
Posted by shimo-chan at 2014年07月31日 21:10
YOSHIさま
大阪の仁丹情報ありがとうございます。他のコメントに京都に限って研究しているとありますが、大阪を皮切りに滋賀、奈良と仁丹住所表示板であればどこでもOKですので、情報があればよろしくお願いします。
数少ない大阪情報ありがとうございました。
大阪の仁丹情報ありがとうございます。他のコメントに京都に限って研究しているとありますが、大阪を皮切りに滋賀、奈良と仁丹住所表示板であればどこでもOKですので、情報があればよろしくお願いします。
数少ない大阪情報ありがとうございました。
Posted by デナ櫻 at 2014年08月02日 21:28