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2011年09月25日

奇跡の復活

京都のメインストリートのひとつ、河原町通り。
当然、今や仁丹はなかろうと思いきや、繁華街から少し離れてはいるものの一応3枚が通りに面して現存しています。それだけでも珍しいというのに、そのうちの一枚に昨年5月、奇跡が起こりました。

「上京區 河原町通夷川上ル 指物町」です。
そして、セットものの「上京區 夷川通河原町東入 指物町」も一緒に。

これらはご覧のように、究極の90°隣接設置がなされていました。同じ指物町でもこの位置関係でないと誤りとなるところは、京都の住所表示の面白いところです。いつからこのような極限状態で設置されているかは分かりませんが、しっかりと意味が理解されてのこと、嬉しいですね。



さて、この2枚の仁丹、非常に立派な町家に設置されていました。昨今の町家ブームにのり、建物はいつか活用されるだろう、だから仁丹も先ずは安泰だろうと誰もが考えていたことでしょう。
ところが、昨年5月、気が付けばすでに更地になってしまっていたのです。そして、当然、この2枚の仁丹も消滅してしまいました。

    ↓ 町家があった頃のかつての様子 (河原町夷川から東方を撮影)


    ↓ 町家が解体された後の様子 (同じ場所東方を撮影)


しかし、ところがです。
同じ年の8月、河原町通りを挟んだ向かいのビルに仁丹が復活しているという驚くべき情報が寄せられました。地図を見るとなるほど、河原町通りを挟んで両側が指物町です。移設は可能です。

    ↓ 夷川通河原町東入から西方を撮影 右が町家跡、正面が復活仁丹のビル)

京都のまちは、通りを挟んで両側が同じ町内を形成する両側町が特徴です。河原町通りにはそのようなイメージが持てないのですが、いくら拡幅されたからと言っても、確かに地図を広げれば今も両側町の形態が広い範囲で維持されていることが分かります。

この情報が寄せられ、居ても立っても居られず、現地を訪れました。
そして、近付いて見上げたところ、確かに間違いなく、復活していたのでありました。



この大きな感動の勢いで、早速、突撃取材を敢行、ことの次第をビルのオーナーさんにお聞きすることができました。そして、次のような顛末でした。

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河原町通りを挟んで、東向いの町家がどんどん取り壊されていくのを見ていたオーナーさん、あの仁丹がどうなるのかとても心配だったそうです。そして、思い切って工事現場で声を掛けて聞いてみたところ、このまま廃棄するとの返事。
『なんともったいない、それならうちで貼りたい』と申し出られて、今回の奇跡の復活が実現したのでありました。

さらに、『朝日新聞の記事読まはったか?』と一枚の紙を手渡してくださいました。
見ると、4月28日の朝日新聞夕刊のコピーで、「ますます勝手に関西遺産」という連載記事でした。内容は、京都市内の町家の取り壊しが進み、それといっしょに仁丹町名表示板も激減していることを報せていました。

      ↓ オーナーさんが読まれた朝日新聞の記事のWeb版へリンク ↓
   ~ますます勝手に関西遺産~【森下仁丹の町名表示板】市民にみな効く 道案内

お向いの町家の取り壊し工事が始まったのは、オーナーさんがこの記事を読んで間もなくだったのです。

なんというタイミングでしょうか!
オーナーさんの“なんともったいない”というお言葉には、仁丹町名表示板への愛着と大切にしなければという気持ちが現れています。そして、新聞記事でその気持ちがさらに強くなり、その直後に慣れ親しんだ風景の中の町家の解体工事が始まったというわけです。

目の前で展開される仁丹消滅の危機。
なんとかしなければという気持ちが、オーナーさんの今回のアクションを駆り立てたのでしょう。
まさに危機一髪の仁丹救出作戦でした。

でも、ここで肝心なことは、町名表示板がボロボロでは誰も見向きをしてくれないということです。
昔からそこにあり、しかもいつまでも美しい、だからこそ畏敬の念が生まれ、今回のようなアクションに結びついたのではないでしょうか。これぞ琺瑯製仁丹町名表示板のなせる技です。

また、『町家じゃなくてビルだから、似合うかどうか心配だったけれど、思った以上に似合ってくれて良かった』とも嬉しそうに語っておられました。
確かに不思議に違和感はありません。ビル自体もアンティークなデザインなのが良かったのでしょうね。



譲り受けてから、表面の琺瑯が痛まないように磨き上げ、2枚の内、「河原町通夷川上ル 指物町」はそのまま使用、「夷川通河原町”東”入 指物町」の方は、”東”の部分だけ上からペンキで”西”に書き換えて“西入”と手を加えられたそうです。
ベースの琺瑯自体は全然痛まないし、それよりも、復活した姿がとても輝いています。



お話をうかがったのは、仁丹が引越しして、まだ一週間ほどの時でしたが、日を追うごとにこのビルにますます馴染んで、京を行く人々のナビゲーターとしてこれからも末永く活躍してくれることでしょう。

    ↓ 河原町通りに堂々と復活した仁丹 (河原町夷川より北方を撮影)

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ところで、「上京區」の表示はそのままで、「東入」と「西入」の書き換えのみをされたのは適切なご判断と感心しました。

「東入」をそのまま設置したのでは間違いになりますし、「西入」に書き換えることによって“現役”が保てるわけなのです。
仁丹町名表示板も近ごろではネットオークションで見かけることがありますが、あくまでもその場所に掲出されてこそ存在価値のある町名表示板です。誰の目にも触れずにコレクションする性格のものではありません。このように多少手が加わったとしても現役でこそ、意義があるというものです。

また、現在は中京区であるにもかかわらず「上京區」表示のまま再設置されたのは、これはこれで、京都の歴史を伝えたいという気持ちが働いているように思えます。
東山区に設置された「下京區」表示の仁丹は、片っ端から「東山區」へ訂正しようとした痕跡が見られるのですが、不思議にも中京区ではそのような現象がほとんど見られないのです。興味深い事実です。
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今回の例のように、京都では仁丹町名表示板に価値を見出し、愛着を持って自発的に大切にされているケースがいくつもあります。順次ご紹介していこうと考えていますが、仁丹町名表示板が京都に多く残っているのには、このように市民に支えられているという一面も大きいと思います。森下仁丹株式会社さんも平成の復活版を掲示する一方で、このような方々に感謝の気持ちを表明してほしいものですね。



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