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2012年04月14日

仁丹町名表示板 基礎講座六 「設置時期」②注目の上京下京時代

仁丹町名表示板 基礎講座六 「設置時期」②注目の上京下京時代


~ 突破口はヨンヨンイチ ~


設置時期を考えるとき、誰もが先ず着目するのが上京・下京時代です。
かつての京都市、すなわち明治22年の市制施行からおよそ40年の間、大まかに言って三条通よりも北が上京区、南が下京区という2つの行政区しか存在しませんでした。

そして、昭和4年4月1日、京都市としてのエリアはそのままに、分区という形で真ん中に中京区が、東部に左京区と東山区がそれぞれ新たに誕生しました。
そしてさらに、昭和6年4月1日からは周辺地域を吸収し、京都市エリアは広がります。

「基礎講座 五」で表示板の地域別分布状況を紹介しましたが、現時点で確認しているデータ数1,300件弱のうち、なんと98%強もの表示板が、昭和6年4月1日以前の旧京都市エリアに設置されており、しかもいずれも「上京区」か「下京区」の表示なのです。旧京都市エリアの中では中京区とか左京区とか東山区とか表示されたものは今のところ1枚も出現していないという事実があるのです。(厳格に言えば東山区と表示された2点の例外があるのですが、これについては後述。)

したがって、この昭和4年4月1日、  “ヨンヨンイチ” が京都の琺瑯製仁丹町名表示板の設置時期を考えるうえで突破口になるのではないでしょうか。
琺瑯仁丹の始期でも終期でもありませんが、このヨンヨンイチまでに少なくとも京都への設置のピークが終了していたと考えて間違いないでしょう。

仁丹町名表示板 基礎講座六 「設置時期」②注目の上京下京時代

ところで、かの泉麻人さんと町田忍さんの共著『ホーローの旅』にちょっと面白い記事がありました。
主に広告看板を取り上げているのですが、「戦前に張られたホーロー看板」の章に、「仁丹ホーロー看板に新事実」なるセンセーショナルなタイトルの記事があります。

内容を要約すると、地元の研究家(水谷憲司氏のこと)が数年かけて1200枚も確認しているが中京区と表示されたものが1枚もないと結論付けていることに対し、中京区のものを1枚発見したので、まだまだ新たな事実が発見できるかもしれない興味深い研究対象だというお話です。だからヨンヨンイチ以降にも設置があったから新事実だというわけです。

この新事実として紹介された表示板は次のものでした。

仁丹町名表示板 基礎講座六 「設置時期」②注目の上京下京時代

確かにごもっとも。紛れもなく中京区です。
しかし、そんなはずはない、上京区でないとおかしいとばかりに近づいてじっくり観察するとご覧のとおり、上京区とあったものを上から修正されているのでした。

仁丹町名表示板 基礎講座六 「設置時期」②注目の上京下京時代


設置後に行政区名が変更されたことによる同様の改変(更正というべきかもしれませんね)は、東山区でその努力の跡が非常に多く見られるのですが、いかんせんバレバレのレベルでした。
しかし、この中京区の表示板に限っては書体もペンキの濃さも褪色の度合いも完璧に一致しており改変を成功させた数少ない例ではないでしょうか。
ヨンヨンイチの後に制作されたものと見誤るのも当然かもしれません。
実は私も最初は見抜けず、ヨンヨンイチとの関連で悩み、再び見に行って発見した次第です。

以上より、、「上京区」「下京区」表示の琺瑯仁丹はヨンヨンイチすなわち昭和4年4月1日までに、設置されたものと言って間違いはなさそうですが、次回はもう少し検証を加えてみたいと思います。



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Posted by 京都仁丹樂會 at 08:59│Comments(0)設置時期
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