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2012年04月27日

仁丹町名表示板 「設置時期」 ④ヨンヨンイチの検証 道路編



~道路名の変遷から~


「上京区」「下京区」と表示されているものはヨンヨンイチ、すなわち昭和4年4月1日までに設置されていた として矛盾する表示板はないでしょうか?

今回は通り名からの検証です。
仁丹の表示板では、町名のみならず通り名についても時折疑問を持つことがあります。

でも、通り名すなわち道路名の変遷を調べるのはかなり苦労しました。
なぜならば道路はまさに生きているからです。都市計画の進捗により新たに生まれることもあれば消滅することもある。また、既存の道路を飲み込みながら名称や起点終点を時期によって変えることもある。しかも通称も発生しやすい。
調べれば調べるほど混乱するばかりでした。

そこで、いっそのこととばかりに京都市建設局道路明示課へ私たちのメンバーがお邪魔して尋ねてみました。すると、昭和初期のことならとご教示いただいたのが『昭和3年5月24日付け 京都市公報』の存在でした。以降、公報にはお世話になりました。やはり一次資料が確実です。

京都市告示第二百五十二號 本市道路ノ路線名左ノ通定ム 昭和三年五月二十四日

この”左ノ通”とはなんと160本あまりもの道路でした。新路線名、旧名、起点、終点が一覧表になって示されています。まさにバイブルに見えました。
それにしてもヨンヨンイチの直前、昭和の御大典の直前という微妙な時期です。この告示内容も大いに参考にしつつ、ヨンヨンイチまでに設置されていたとして矛盾しないかを、以下に検討してみます。

先ずは次の2枚です。いずれも上七軒に設置されているものです。


同じ真盛町ですが、ひとつは上七軒の東の入口である七本松通から西入、もうひとつは西の入口である御前通から東入です。そしてルールから言えばいずれも今出川通に面していなければいけません。でも、今出川通は上七軒よりも一本南側ですよね。

さらにこのようなものもあります。


これも同じく真盛町ですが設置されている場所は、先ほどの上七軒の通りの南側に入り込んだところであり、なおかつ現在の今出川通よりは北側です。今なら御前通今出川上ル東入でなければいけません。

これら3枚から、上七軒の通りが”元祖今出川通”だったのか?という疑問が湧き起こるのです。

次の地図をご覧ください。昭和4年当時を表した都市計画京都地方委員会による都市計画基本図です。


都市計画基本図 都市計画京都地方委員会 昭和4年修正測図 「船岡山」より

右の赤い丸が千本今出川の交差点です。
市電が三方に分岐していて、そこよりも西側は市電はおろか今出川通自体がまだ拡幅されておらず、そのまま上七軒を斜めに通って北野天満宮の東門へと通じています。上七軒の南側の現在の今出川通はまだ計画路線として点線で示されているのみです。

先の告示によれば今出川通の西端は、「七本松通西上善寺町179」とありますので、少なくとも告示以降は上七軒は今出川通には含まれてはいなかったと正式には言えますが、当時の地図を見る限り、上七軒は今出川通の延長線上にあり、表示板の表現のとおりで導くことができたわけです。

ちなみに千本今出川から紙屋川まで市電が敷設されたのは昭和32年なので、その前に現在の今出川通ができたことになります。


また、今出川通と言えば、鴨川の東側の「東今出川通」も同様に気になっていました。




百万遍の交差点から叡電の出町柳駅、さらに高野川と加茂川のデルタを経て、河原町通へと抜けられる、京都としては不自然なあの斜めの通りに面して設置されています。
でも、この区間もまた上七軒と同様に、現在の東今出川通よりも1本北とも言えます。

昭和3年の告示には「東今出川通」とおまけに疑問を持っていなかった「鞠小路」についても記されていました。

東今出川通は旧名を「出町橋通」といい、「河原町通大宮町318」~「法然院通浄土寺銀閣寺町120」を結ぶとありました。
河原町通大宮町318は前述の今出川通の東端と同一ポイントなのです。ただし、現在の加茂大橋はまだ架設されていませんから、東今出川通は河原町今出川の交差点で今出川通と接続し、出町橋、デルタ、出町柳駅、百万遍を経て銀閣寺へと至るルートだったのです。

当時の様子は次の地図で一目瞭然です。


都市計画基本図 都市計画京都地方委員会 昭和4年修正測図  「田中」「相国寺」より

ちなみに昭和6年7月9日の告示によれば、加茂大橋は昭和5年4月15日起工、昭和6年5月15日竣工とあり、これにともなって、さらに昭和6年10月15日の告示で現在のルートを東今出川通と称することにし、従前の出町柳経由の東今出川通を「柳通」と改称するとしました。それにしても柳通って耳慣れないですね。昭和10年修正測図の都市計画地図を見るとその変化がよく分かります。


都市計画基本図 都市計画京都地方委員会 昭和10年修正測図  「田中」「相国寺」より

また、鞠小路通ですが、告示では旧名として「萬里小路」となっています。
でも、仁丹では萬里小路なる表現は今のところ発見されておらず、すべてが昭和3年5月24日告示後の鞠小路が使用されています。
そして、ヨンヨンイチで行政区名が上京区から左京区に変わりました。
ということは、“昭和3年5月24日~昭和4年4月1日の間に設置された”と言ってよいのでしょうか?

同様に昭和3年5月24日の告示後の道路名が使用されていて、昭和4年4月1日に行政区名が変わった表示板はほんの一例ですが、次のようなものがあります。


   岡崎通   →  旧名 「廣道」
   黒谷通   →  旧名 「黒谷西道」
   春日北通  →  旧名 「春日通」
   鹿ケ谷通  →  旧名 「永観堂前通」
   渋谷通   →  旧名 「馬町通」
   醍醐道   →  旧名 「滑石超道」

といった具合です。そして、現在のところ旧名称を使った表示板は1枚も見つかっていません。

したがって、通称の発生しやすい通り名のことではありますが、公称の表示に拘っていた節のある仁丹町名表示板のことですから、少なくともここに例示したものは昭和3年5月24日~昭和4年4月1日の間に設置された可能性が極めて高いと言って間違いないのではないでしょうか。

ヨンヨンイチで行政区名が変わらなかった上京区、下京区エリアでも、次のような通り名の変更が昭和3年の告示で確認できました。
   
   衣棚通    →   旧名 「木ノ下通」
   若宮通    →   旧名 「佛屋町通」
   下ノ森通   →   旧名 「相合圖子通」
   花屋町通   →   旧名 「萬年寺通」

これらも旧名称の通り名による表示板は現在のところ1枚も確認できていません。

しかし、告示前の旧名が使われた表示板が全くないのかと言えば、実はそうでもないのです。
この「新シ町通」です。


この表示板は、四条大宮の少し北東、今で言うところの錦小路通黒門西入にあります。
ちなみに、この表示板はとっくに消滅していたはずなのですが、つい最近復活したようです。
大切に埋蔵されていたのでしょう。嬉しいですね。

他に『新シ町通錦小路下ル藤岡町』なる表示板も埋蔵仁丹として確認しています。

それにしても新シ町通って耳にしませんが、なるほど昭和3年の告示で「黒門通」に名称変更されておりました。

これらは、もしかしたら告示前に設置されていた可能性が大きいと言えるのかもしれません。


そして最後は非常に難解な『東山線通』です。


設置されていた場所は東大路三条上るで、左より順に北門前町、東門前町、南門前町です。

東大路は東山通と呼ぶことも多くどちらが本当と思いますが、正式には東大路であり、先の昭和3年告示で「東山通」から名称変更されていました。ということは、それまでは東山通が公称であり、さらに調べると大正2年3月に東山通の告示があるようです。さらにその前はというと、次の明治42年当時を表す地図が示すように、この近辺の南北の通りは、祇園石段下から白川までの「小堀(こっぽり)通」と、古川町通しかありませんでした。


二万分の一 地形図 「京都北部」 明治42年測図 大正元年発行 大日本帝国陸地測量部

この地図が物語るように、東山通は三大事業により立ち退きと既存道路の拡幅で誕生したことが分かります。この区間における市電東山線の開通も、東山通と命名されたのと同じ大正2年3月でした。

”東山線”なる語句は市電の計画段階である明治40年頃から登場していますので、地元では新設道路が開通して東山通と命名されるよりも先に、”東山線の通”といったインパクトが強かったのかもしれません。
かくして「東山線通」とはこのエリアにおける通称だったと考えられ、仁丹町名表示板もこればかりは受け入れざるを得なかったのではと想像します。

またこのエリアでは仁丹の商標が上にあるタイプが散見されます。
上か下かによる設置時期との関係がまだ明らかになっていないのですが、東山線通のものはすべて上タイプなので、今後何らかの手がかりになるかもしれませんね。


随分と長くなりましたが、以上より道路名から考察してもも”ヨンヨンイチまでに設置された”という見解は矛盾はなさそうです。
それよりも、昭和3年5月24日~昭和4年4月1日の間に設置されたと考えられる表示板も多数見受けられるという結果を導けたように思います。

<参考文献>
  京都市公報
  京都市都市計画基本図(都市計画京都地方委員会)
  近代都市の衛生環境(京都編)33巻 京都市三大事業概要(近現代資料刊行会)
  近代都市の衛生環境(京都編)36巻 京都の都市計画に就いて(近現代資料刊行会)
  京・まちづくり史(高橋康夫・中川理・まちづくりセンター)
  83年のあゆみ さよなら京都市電(京都市交通局)
  京都市の地名(平凡社)
 



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Posted by 京都仁丹樂會 at 21:14│Comments(6)設置時期
この記事へのコメント
昨日新聞で知ったのですが、本日より京都市建設局道路明示課の「京都市認定路線網図」がインターネット↓で閲覧できるようになったのですね。

http://web.gis.survey.ne.jp/kyoto/ninteirosen/

正式な路線名や起点終点が分かります。

これによれば「柳通」は健在でした。
でも不思議なのは、今出川七本松よりも西は西今出川通となっています。
今出川通は東今出川通と西今出川通に挟まれているわけです。

そして、上七軒の通りは、「翔鸞緯7号線」となっておりました。

なんか、やっぱり道路は難しいです。
Posted by shimo-chan at 2012年05月01日 22:32
千本今出川付近の道路拡張前後の写真が、今も北西角にある「岡田梅寿堂」様のHPで見る事が出来ます。現在との違いに驚きです!ご覧あれ!
Posted by take-chan at 2012年05月12日 06:47
take-chan様、ありがとうございます。

「岡田梅寿堂」様のHP、見てきました。
『懐かしの写真ギャラリー』のことですよね。

驚きました!どれもこれも。

先に紹介された当時の都市計画地図では、千本今出川の南西部分がまだ昔のまま家が残っているような表現になっていましたが、ギャラリーではまさにそのとおりに家があった時代と取り壊された直後の写真が掲載されていました。

そして、取り壊されて更地になった状況の痛々しいこと。
住民の犠牲を伴いながら、京都のまちが出来ていったということに、私たちは感謝しなければいけませんね。
北側、南側、どちらが拡幅されるかで、かなりすったもんだしたんじゃないでしょうか。

それにしても、この時代にカメラを持つこと自体が大したものだったのに、さらに街の記録も撮られたということ、よくぞと感服しました。
そして、府立資料館などで保管されてもよいような貴重な資料だと思います。
Posted by shimo-chan at 2012年05月12日 20:57
日文研こと国際日本文化研究センターの「所蔵地図データベース」でちょっと面白い発見をしました。

大正4年の「最新京都市街全図」です。
           ↓
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/002464956_o.html

この地図の表面、右下に、「官衙学校銀行会社 所在地表」という一覧があります。官庁、学校、銀行、有名会社の場所を記したものです。

その中の聖護院郵便局の場所がなんと『東山線丸太町』となっていました。
やはり東山通のことを東山線通という呼び方をしていた時期が確かにあったということなのでしょうね。
Posted by shimo-chan at 2012年06月26日 21:34
相合圖子通と表記された看板は一枚も確認されていないということですが、相合ノ圖子通と表記されたものは数枚確認されていませんでしたか?
Posted by まっちゃ at 2012年11月13日 20:35
>相合圖子通と表記された看板は一枚も確認されていないということですが、相合ノ圖子通と表記されたものは数枚確認されていませんでしたか?

おっしゃるとおり、「相合ノ圖子通」ならば8枚ほど確認しています。
Posted by 京都仁丹樂會京都仁丹樂會 at 2012年11月13日 21:40
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