2012年05月21日
仁丹町名表示板 基礎講座六 「設置時期」⑩京都の次は伏見
~ 伏見市の設置は昭和4年か? ~
ヨンヨンイチ、すなわち昭和4年4月1日までには京都への設置を一段落した琺瑯製仁丹町名表示板は、次に伏見へ移ったと考えられます。
「基礎講座 2.伏見市の場合」でご紹介したように、現在の伏見区中心地には「伏見市」と表記された仁丹がまだ10枚強現役で頑張っています。伏見市が存在したのはほんの短期間、「昭和4年5月1日~昭和6年3月31日」のわずか1年と11ヶ月のことです。したがって、この間に設置されたことには疑問をはさむ余地がありません。
しかし、もともと京都市との合併が予定されているのに、わざわざ伏見市の名前で設置されるとは不思議ですよねぇ?
でも、紀伊郡伏見町と京都市との合併問題が取り沙汰されるようになってからは、対等な合併を目論み、その一環として市へ昇格した背景を考えれば、伏見市が誕生した早々にこれ見よがしに華々しく設置されたと考えるのが自然ではないでしょうか。
ということで、昭和4年5月1日~昭和6年3月31日の期間のうちでもできるだけ早い時期と推定し、昭和4年には設置されたと考えてはいかがでしょうか。古写真や資料などによる今後の裏付けが待たれます。
【伏見市の設置時期】 昭和4年5月以降早々に
答は昭和4年5月1日~昭和6年3月31日の間にあり。
伏見市誕生の背景やエリアから考え早々に。
Posted by 京都仁丹樂會 at 21:33│Comments(0)
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