2012年06月23日
仁丹町名表示板 基礎講座六 「設置時期」 ⑬まとめ
~ 設置時期のまとめ ~
以上、基礎講座六は、設置時期にテーマを絞って考えてみました。分かっている事実のみを淡々と、というのが基礎講座シリーズのスタンスではありましたが、このテーマだけはどうしても推察が多分に入ってしまいました。そういう意味では「基礎研究」と言うべきかもしれません。
さて、設置時期を順にまとめると次のようになります。
【木製の始期】 明治43年かその直後
⇒ ⑤木製仁丹の始期参照
【木製のピーク】 大正一桁の前半
⇒ ⑦木製仁丹のピーク参照
【木製の終期】 大正7、8年頃
⇒ ⑦木製仁丹のピーク参照
【琺瑯製の始期】 大正末期(遅くとも大正14)
⇒ ⑨琺瑯仁丹の始期参照
【琺瑯製のピーク】 昭和 3年まで
⇒ ⑧琺瑯仁丹と昭和の御大典参照
【伏見市の時期】 昭和 4年頃
⇒ ⑩京都の次は伏見参照
【右京・左京の追加】 昭和 6年頃
⇒ ⑪京都への設置再び参照
【琺瑯製の終期】 昭和10年頃
⇒ ⑫琺瑯仁丹の終期参照
ただし、現時点で得られるヒントを組み立てることによって得られた推察であり、今後のフィールドワークや各種文献・資料調査などにより、これらの境界がよりシャープになるかもしれませんし、見直しの結果連動してシフトするかもしれません。みなさんも何か新たな情報がございましたらぜひお寄せください。
ところで、昭和10年ぐらいには設置を終了したとして、以降はどのようになったのでしょうか。第2次世界大戦に突入、次第に鉄材不足に陥り、仁丹だけではありませんが琺瑯看板自体が製作できなくなって戦前期の終焉を迎えました。ここで、森下仁丹80年史に興味深い記述がありました。
社員が鉄材の代わりに竹を割って使うことを提案したところ、森下博は
『竹というものはすぐ腐り、長持ちしない。そんなもので仁丹の広告をするという考えには賛成でけん。仁丹は後退せんのや、前進あるのみや』と3時間も説教したそうです。木製の町名表示板を設置し終えたにも係らず、そう期間を空けずに琺瑯製で設置し直したと考えられるのですが、いつまでも美しく輝いて退化しない琺瑯製町名表示板に、この森下博の熱い思いが重なって見えるようです。
~森下仁丹80年史より~
* * *
さらに時がうんと流れて平成。琺瑯製仁丹町名表示板が京都に復活しました。これについては設置時期が明確に分かっており、平成23年2月10日13時30分なのでありました。
~おわり~
Posted by 京都仁丹樂會 at 17:35│Comments(0)
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