2012年08月11日
学区別 確認・現存枚数(後編) 仁丹町名表示板
学区別 確認・現存枚数集計結果の後編です。
上京、中京、下京以外をご紹介します。
北区は南部の学区のみを表示しています。北部は京北の隣接地までありますので、仁丹は望めません。
先ずは柏野と紫野がダントツに多く確認数20枚台を記録しています。中心区に負けず劣らない勢いであり、京都の市街地に完全に組み込まれていたことが分かります。
現存数でも柏野は15枚を誇り、紫野と比べて残存率の良さも分かります。住宅が密集している割に、大きな開発がなかったことの表れでもあるでしょう。
市電外周線の外側となると、柏野や紫野に比べて分布は極端に落ち込みます。街道沿いの家、もしくは区画整理が終わって家屋が出現したポイントということでしょう。
ところで、市電外周線の内部であり、鞍馬口街道に面する出雲路に1枚も確認できていないのが腑に落ちません。存在しなかったはずはないと思うので、そのうちに確認されることを期待しています。
左京区も北区同様、北部に広大な山間部を抱えていますが、ここに挙げたのは南部の市街地およびその周辺のみです。
ここも旧市街地と言えるエリアは中心区と何ら遜色のない確認数10枚台を記録しています。
葵の確認数1枚というのはは例の”下鴨南野々神町(俗称 北山一町目)”ですから、異色と言えるかもしれません。
修学院や松ヶ崎はロクヨンイチ、すなわち昭和6年の編入組であり、行政区の表示は「左京区」です。上高野は修学院に含まれています。
北白川はまだ1枚も確認が取れていないのですが、街道沿いに家屋が建ち並んでいたところなので、過去に存在していたとしても不思議ではありません。こちらもいずれ確認されることを期待しています。
なお、浄楽には平成の復活バージョン2枚が含まれています。
東山区も旧市街地の一画ですから、確認数10枚台の学区が半分以上を占めています。
今熊野のかなり山寄りにも分布していたことには驚きました。
現存枚数も全体にわたってかなりの健闘ぶりと言えます。
なお、山科区は昭和51年までは京都市東山区山科でしたが、1枚も確認されていません。
南区も市街地に近い北部のみを挙げています。しかし、ご覧のとおり確認枚数はあったとしても1桁です。
確認枚数ゼロの学区も、両端の学区で確認できているのですから、単に現時点で把握できていないだけかもしれません。
右京区も相当に広いエリアです。ここに挙げたのは単に現実に仁丹が確認できた学区だけです。いずれも昭和6年の編入組で「右京区」表示です。
確認数はエリアの広さの割には、ご覧のとおりの低迷振り。街道沿いの設置がメインであり、まだ住宅が密集していなかったことの表れなのかもしれません。
最後は伏見区というか「伏見市」です。こちらも仁丹が確認された学区だけを挙げており、それ以外は未確認ですが、昔から栄えたエリアであること、アイデンティティを高めて京都市への対等合併を目論んだことなどを考えると、設置数はこれだけで済むものではないでしょう。
以上が、各行政区の中での学区別集計結果ですが、山科区と西京区は現在のところ確認数が”ゼロ”ですので省略しました。どうやら、”桂川を越えると、東山を越えると存在しない”というのが現時点での常識となっています。
上京、中京、下京以外をご紹介します。
~2012.8.8現在 京都仁丹樂會調べ~
北区の学区地図 ← 北区役所のHPにおける学区地図にリンクしています
北区は南部の学区のみを表示しています。北部は京北の隣接地までありますので、仁丹は望めません。
先ずは柏野と紫野がダントツに多く確認数20枚台を記録しています。中心区に負けず劣らない勢いであり、京都の市街地に完全に組み込まれていたことが分かります。
現存数でも柏野は15枚を誇り、紫野と比べて残存率の良さも分かります。住宅が密集している割に、大きな開発がなかったことの表れでもあるでしょう。
市電外周線の外側となると、柏野や紫野に比べて分布は極端に落ち込みます。街道沿いの家、もしくは区画整理が終わって家屋が出現したポイントということでしょう。
ところで、市電外周線の内部であり、鞍馬口街道に面する出雲路に1枚も確認できていないのが腑に落ちません。存在しなかったはずはないと思うので、そのうちに確認されることを期待しています。
~2012.8.8現在 京都仁丹樂會調べ~
左京区も北区同様、北部に広大な山間部を抱えていますが、ここに挙げたのは南部の市街地およびその周辺のみです。
ここも旧市街地と言えるエリアは中心区と何ら遜色のない確認数10枚台を記録しています。
葵の確認数1枚というのはは例の”下鴨南野々神町(俗称 北山一町目)”ですから、異色と言えるかもしれません。
修学院や松ヶ崎はロクヨンイチ、すなわち昭和6年の編入組であり、行政区の表示は「左京区」です。上高野は修学院に含まれています。
北白川はまだ1枚も確認が取れていないのですが、街道沿いに家屋が建ち並んでいたところなので、過去に存在していたとしても不思議ではありません。こちらもいずれ確認されることを期待しています。
なお、浄楽には平成の復活バージョン2枚が含まれています。
~2012.8.8現在 京都仁丹樂會調べ~
東山区の学区地図 ← 東山区役所のHPにおける学区地図にリンクしています
東山区も旧市街地の一画ですから、確認数10枚台の学区が半分以上を占めています。
今熊野のかなり山寄りにも分布していたことには驚きました。
現存枚数も全体にわたってかなりの健闘ぶりと言えます。
なお、山科区は昭和51年までは京都市東山区山科でしたが、1枚も確認されていません。
~2012.8.8現在 京都仁丹樂會調べ~
南区の学区地図 ← 南区役所のHPにおける学区地図にリンクしています
南区も市街地に近い北部のみを挙げています。しかし、ご覧のとおり確認枚数はあったとしても1桁です。
確認枚数ゼロの学区も、両端の学区で確認できているのですから、単に現時点で把握できていないだけかもしれません。
~2012.8.8現在 京都仁丹樂會調べ~
右京区も相当に広いエリアです。ここに挙げたのは単に現実に仁丹が確認できた学区だけです。いずれも昭和6年の編入組で「右京区」表示です。
確認数はエリアの広さの割には、ご覧のとおりの低迷振り。街道沿いの設置がメインであり、まだ住宅が密集していなかったことの表れなのかもしれません。
~2012.8.8現在 京都仁丹樂會調べ~
最後は伏見区というか「伏見市」です。こちらも仁丹が確認された学区だけを挙げており、それ以外は未確認ですが、昔から栄えたエリアであること、アイデンティティを高めて京都市への対等合併を目論んだことなどを考えると、設置数はこれだけで済むものではないでしょう。
以上が、各行政区の中での学区別集計結果ですが、山科区と西京区は現在のところ確認数が”ゼロ”ですので省略しました。どうやら、”桂川を越えると、東山を越えると存在しない”というのが現時点での常識となっています。
Posted by 京都仁丹樂會 at 10:00│Comments(0)
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