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2012年11月21日

堀川通・油小路通 ~仁丹町名表示板に見る近代史~

南区で仁丹の探索をしているとき、非常に不思議な思いをしたことがありました。
この ↓ 仁丹です。



下京区となっていますが、今は南区の西九条池ノ内町です。
町名+通り名の”併記タイプ”で、肝心な部分の傷みがきついのですが、通り名としては
堀川通針小路上ル」となっています。

この仁丹を見たとき、 「えっ!堀川通?ここが?」 と驚いたものです。
場所はちょうど新幹線の南側、次の写真 ↓ の黄色い矢印の箇所にこの仁丹がありました。


ご覧のとおり、私たちの知っている堀川通とはあまりにもイメージが違います。

昭和28年の都市計画地図 ↓ で撮影場所を示せば黄色の矢印の箇所です。
そこは堀川通と言うよりも暗渠化される前の、河川としての「堀川」となっています。
その横に道が走っていますので、ここが堀川通と呼ばれていたのでしょう。


都市計画基本図 「京都駅」 大正11年測図 昭和10年修正測図 昭和28年修正 より

国鉄を潜り抜ける、あの大動脈の堀川通はまだ影も形もありません。

また、油小路通や八条通が広く拡張されているかのように記されていますが、「建設行政のあゆみ~京都市建設局小史~」(昭和58年3月 建設局小史編さん委員会)や「明細地図」によれば昭和28年の時点ではまだこれらは開通していませんので、都市計画地図としての計画という意味なのでしょう。

一方、国鉄以北の堀川通敷地については、予定地らしきものがラインで示され、家屋も密集しているかのように読めるのですが、これも前述の2つの資料からはすでに建物疎開がなされていたようです。
×印が多く見られるのがそういう意味なのでしょう。
 

それが昭和46年の都市計画地図 ↓ になると、次のように変わります。


都市計画基本図 「島原」 昭和38年8月測図 昭和46年11月修正 より


新幹線が開通し、堀川通も現在と同じように出現、JRを潜る辺りから東側へとシフトし、今度は油小路通を飲み込みながら八条通と交差、それ以南では拡幅された油小路通と名を変えます。

ただ、JR以北における堀川通の敷地が、先の昭和28年の地図に示されたものよりも若干西側に変わっています。その分、JRをくぐる際により斜めになったようです。
これは、用地買収などの紆余曲折の結果なのかもしれませんね。

「建設行政のあゆみ」によれば、七条~八条間は昭和35年に着工、”建物疎開後の整備だけにとどまらず、民家の立ち退きと、国鉄東海道本線との立体交差工事などに時間を要し”、昭和39年10月に完成したとあります。
つまりは、疎開跡地だけを利用しているのではなく、新たな立ち退きも必要としていたようです。
すでに戦後だけに、戦時中の非常時のようには立ち退きが容易に進まなかったのでしょう。

さらに、八条~九条間の油小路通拡張は昭和40年着工、昭和42年10月完成しています。
そして、最後は近鉄の高架化による立体交差へと進みました。

この写真 ↓ が八条通と交差し、油小路通へとなるところです。上の地図の赤い矢印の地点からの撮影です。



また、次の写真 ↓ は拡幅後の現在の油小路通を九条の陸橋から北に向かって撮影したものです。


実は、上の写真の黄色の矢印の箇所、すなわち油小路通の西側の面にも仁丹があるのです。
それが、これ ↓ です。


同じく併記タイプですが、しっかりと「油小路東寺道下ル」とあります。

油小路通の拡張は先の都市計画図や「京都市明細地図」によれば、東側の多くの家屋の立ち退きによってなされたことが分かるのですが、この仁丹もそれを物語っています。

*  *  *


さて、話を元に戻すと、先の西九条池ノ内町の仁丹は本来の堀川通の位置を示していたというわけです。

堀川の暗渠化は昭和49年から始まったそうですが、この元祖堀川通をJRを超えてそのまま北上していくと、さらに次 ↓ のような町名表示板が見られました。


仁丹ではありませんが、「堀川通」とあります。

さらに進むと、ここにも堀川通が健在です。



ただし、この写真 ↑ の隣り合わせの2枚の表示板は設置場所が左右逆でないと矛盾するのですが、とりあえずこの通りが堀川通であると認識されている、もしくは認識されていたことは間違いなさそうです。
現在の地図では西堀川通と表現しているものもあります。確かにこの方が支障がないと思います。

*  *  *


以上のように、仁丹町名標示板の表記と現実とのギャップをきっかけとして、京都のまちの近代史をここでも仁丹が教えてくれたというわけです。



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