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2013年03月04日

明治期の新聞にみる仁丹広告(1)

明治期の新聞にみる仁丹広告(1)

~発売当初の新聞広告~

森下仁丹が京都市内に町名表示板を次々と貼っていったのは、既に御存じのとおり、「広告益世」なる思想のもとでと、社史などでは説明されています。

当時の森下仁丹は、町名表示板の他にも、全国各都市の店先に仁丹の看板を取り付けたり、大都市に広告塔を建設したり、新聞に大々的に広告を載せたりと、宣伝活動に非常に力を入れていました。

京都仁丹樂會では、まだまだナゾの多い町名表示板が京都で広まっていった経緯について、当時の新聞報道も一つの手掛かりとして研究していこうとしています。
そこで、同じ大礼服マークの仁丹ロゴが様々な形で登場している新聞広告を題材に、仁丹の販売開始直後の宣伝活動と販売の急速な拡大がどのようなものであったのか、何回かに分けて御紹介したいと思います。

※  ※  ※

現在の大手3紙(読売、朝日、毎日)は、いずれも発刊以来の新聞をデータベース化しています。大きな図書館や研究機関、大学図書館などでは利用可能かもしれません。

その中で、たとえば読売新聞のデータベースで「仁丹」と言う検索ワードで検索をしてみると、明治40(1907)年7月6日のものが最初にヒットします。
読売のデータベース上では、仁丹の発売から5年後の明治43(1910)年には、年間を通じて全33回仁丹の広告が掲載されており、そのうち全面広告は13回も行われています。

仁丹が発売された当初から新聞広告を掲載していたはずなのでは?と思った方、その通りです。仁丹創業者の森下博は、昭和15年の『広告論叢』なるもので次のように述べています。

明治三十八年の紀元節に出した我が仁丹の創売広告は勿論、その五ヶ年前に発売の毒滅の広告も既に扱ふて頂いたのであるから…
~森下博「萬年社と我が仁丹」萬年社編『広告論叢』第二十九輯、昭和十五年 より~


ただし、この創売広告が何を指しているのかは不明です。発売日の紀元節前後では広告の掲載はありません。

仁丹は新聞広告の展開にあたって、明治23年6月に大阪に設立された広告代理店萬年社と緊密な関係を築いていました。

※  ※  ※

さて、萬年社との緊密な関係のもと、どのような新聞広告が出されたのでしょうか。

朝日新聞のデータベースで「仁丹」をキーワードに検索をすると、明治38年10月10日の「東京朝日新聞」の広告が最初という結果になります。
しかし、この検索では当時紙面・広告の内容が全く異なっていた「大阪朝日新聞」の広告まではヒットしてきません。
また、主要各紙の中でも大阪朝日新聞は、懸賞を出して広告デザインを企業に競わせるなど、新聞広告とそのデザインの質の向上に非常に力を入れていました。

そこで大阪朝日新聞の紙面を仁丹の発売が始まった明治38年2月11日以降見ていくと、明治38年だけでも仁丹(当時は森下博薬房)は広告を45回掲載しています(何回かは毒滅と共同のもの)。
しかもそのうち全面広告がなんと29回もあるのです。

初めて仁丹が登場するのは、5月10日の次の全面広告です。

~明治38年5月10日 大阪朝日新聞より~


「完全なる懐中薬」「消化と毒けし」をキャッチコピーに、開発に関わった学者、またその効果を証明する学者、陸海軍の軍医総監のお墨付きまで付いています。

「博士の懐中薬と御指名を乞」という表現も面白いですね。当時の薬品の広告には、その効果を示すために権威ある学者さんの名前を大々的に打ち出すことが多くありました。これは仁丹より5年前に発売した毒滅でも同じです。

※  ※  ※

その1週間後の17日、仁丹は次の全面広告を掲載します。

~明治38年5月17日 大阪朝日新聞より~


前回よりももっと凛々しい感じがします。
上部の「JINTAN」の模様もかっこいい!顔の陰影がついて彫りも深い感じですね。

※  ※  ※

続いて19日には公園の池でしょうか、その傍らに大きな仁丹の看板が立っています。

~明治38年5月19日 大阪朝日新聞より~

※  ※  ※

さらに26日には、大きな仁丹の看板を描いている人の構図で全面広告が描かれています。
こちらは森下仁丹HP上の歴史博物館、広告ギャラリーにも載っていました。

~明治38年5月26日 大阪朝日新聞より~


よく見ると右奥にビスマルクの「毒滅」も描かれているところが面白いですね。


このように仁丹は一カ月の間に4回も全面広告を載せていることになります。
8月は何と7回です。

当時、大阪朝日新聞の紙面は10面程度で広告に割けるスペースは3面程度でした。
多くの企業は小さなサイズの広告を載せるケースが多く、全面広告を載せていたのは化粧品や医薬品の企業を中心として、せいぜい月に1―2回程度でした。
他の企業と比較しても、仁丹がいかに広告に力を入れていたかが分かるかと思います。

※  ※  ※

さて、以上の4枚、よく見て頂くとロゴが微妙に違うことが分かりますでしょうか。
1枚目は英語表記がTHE JINTAN、そして大きな漢字の仁丹の脇にはハングルとカタカナの表記があります。
これは仁丹HPによると輸出用のロゴとのことですが、更に時代が下ると輸出国向けに様々な文字の仁丹が登場します(これは次回)。

英語表記もただのJINTANと書いた3番目のように微妙に違いますし、1枚目以外では漢字の脇の表記は、ひらがなで「志゛んたん」と書かれており、左側にはお墨付きがつけられています。

※  ※  ※

最後の画像は次の明治38年5月10日に「大阪毎日新聞」に掲載された方の仁丹です。

~明治38年5月10日 大阪毎日新聞より~


1枚目の写真の大阪朝日と同じ日付にもかかわらず、広告の説明文が違っているのが分かりますでしょうか。

さらに、こちらの仁丹ロゴには、ハングルの表記はなく、お墨付きや製造元の森下博薬房の説明文が書かれています。

おそらく、発売当時はまだ明確なロゴの中身まで厳密には規定されておらず、一面広告をレイアウトする上でいろいろな調整がされながら、また図案の下絵を書いた担当者、版木を彫った職人の表現の微妙な違いで、表情や細かいデザインのレイアウトが異なったものだと思われます。

次回はそんな仁丹広告の面白いものをいくつか見つくろってご紹介したいと思います。

~つづく~

京都仁丹樂會 idecchi



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この記事へのコメント
商品の宣伝、今ならば統一された同じデザインのものを一斉に使うでしょうが、仁丹発売当初の広告はみんな違うというのが非常に面白いですね。

謳われている文言はいずれも同じようですが、どの項目に重きを置くかなどもそれぞれ違っているし、カイゼル髭のおじさんも微妙に違っていて、まるでコンペでも開いて競い合わせているようです。

もし、コンペなら、私は2番目の、上部にローマ字で大きくJINTANと書かれたのに1票を投じます。
最後の5番目のも素晴らしいですが。

でも、書かれている内容、今ならちょっと誇大広告かな?


このシリーズ、今後の展開が楽しみです。
Posted by shimo-chan at 2013年03月04日 21:00
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