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2013年03月28日

明治期の新聞にみる仁丹広告(3)

明治期の新聞にみる仁丹広告(3)

~海外進出と仁丹広告~


時代背景や広告活動など、幅広く様々な分野から仁丹町名表示板のナゾに迫ろうと、明治期の新聞広告を調べ始めました。今回はその第3回です。

少し時代は下り、大正初めの新聞広告が中心になりますが、海外進出を積極的に進めた仁丹の様子を新聞広告から見てみたいと思います。

まずご覧いただきたいのは、大正2(1913)年8月28日の大阪毎日新聞に見開き2面で掲載された「仁丹の世界号」です。


~大正2年8月28日 大阪毎日新聞より~


この広告は主要各紙にも同様のものが載っています。
東京朝日では1面サイズで載ったのですが、さすが大阪、こちらは2面ものです。
しかも後にも紹介している広告と併せて、3回連続で2面ものの広告が載りました。

国内販売のみならず積極的に海外販売も行った仁丹は、その売り上げを急増させています。
広告の真ん中には毎年の売り上げの伸びを示す棒グラフが描かれています。
一番右の棒が明治38年で、左へと順次進み、一番左の棒が大正2年のものです。

販売を始めた明治38年の売り上げが11万4320円であったのに対し、大正元年が232万7070円、2年にはなんと前年の倍近い401万9190円の売り上げを記録しています。

また周囲には中国、東南アジア、インド、南米など様々な地域での仁丹のロゴが示されています。いくつか例としてピックアップしましょう。



ちなみに、その1年前にも同じような「仁丹の世界号」が掲載されました(大正元(1912)年9月19日)。こちらは、各地の広告がロゴと説明書きを加えた形で掲載されています。両サイドのコピーも趣旨は同じですが微妙に文面が異なります。


~大正元年9月19日 大阪毎日新聞より~


※  ※  ※

仁丹は発売2年後の明治40(1907)年には輸出部を設け、世界各国で仁丹の商標登録を行うとともに、まず中国を足掛かりに海外市場開拓を目指しました。
商品名「仁丹」は、『森下仁丹80年史』によると、ネーミング当初から中国語圏の市場を狙ったものであったとされています。

さらに明治44(1911)年にはインドのボンベイに代理店契約をし、従業員を派遣、翌45年にはボンベイ支店を開設するなど、インドにも積極的に売り込みを仕掛けました。『80年史』によると、大正10(1921)年頃にはインド全土で代理店50、販売店5000軒の販売網を作り上げ、中国市場に並ぶ大市場となったそうです。

特に売れ行きの多かったインドや中国の様子が分かるのが、大正2(1913)年8月22日、24日に相次いで掲載された2面繋がりの広告、「仁丹の印度号」「仁丹の支那号」です。


~大正2年8月22日 大阪毎日新聞より~



~大正2年8月24日 大阪毎日新聞より~


こちらでは、現地の販売代理店の様子、各地の大掛かりな広告の紹介やキャンペーンの様子も写真付きで紹介されています。

たとえばインドでは、国王殿下も常用していること、熱帯地域で暑さをしのぐためにも仁丹が有効であることを宣伝したうえで、各地における看板や広告の例が載っています。
右下のボンベイ市内の看板、インド版とはいえ日本と全く同じ漢字の仁丹が描かれています。

中国でも同様に多くの広告が打たれています。上海の博覧会で出された仁丹のロゴ入りの門、上海にはそれぞれ50畳の大きさの「仁」「丹」の看板、天津ではなんと90畳サイズの巨大仁丹看板など。左下は新聞の印刷画像のクオリティが分かりづらいですが、広告隊の写真が載っています。

※  ※  ※


明治42(1909)年4月1日には面白い広告を出しています。
こちらは大阪朝日新聞ですが、普段は横顔しか見えない仁丹の外交官が、なんと全身像で描かれています。


~明治42年4月1日 大阪朝日新聞より~


世界各国の人たちが仁丹を絶賛しているという図です。
ちなみに、大正10年には外国で登録された仁丹の商標の数は、なんと136件にも達したそうです。

この全身が映っている仁丹外交官、実はその1年前にデビューしています。
明治41(1908)年8月15日付広告なんですが、赤痢やコレラなどの悪疫を製品の香りだけでグニャグニャにしてしまう仁丹外交官が実にカッコイイ!!


~明治41年8月15日 大阪毎日新聞より~


リアルな全身外交官たちならば、先日当ブログでアップした「森下仁丹120周年記念コンサート」の写真をご覧いただければと思います。社員の皆さんがその装いをしておられ大いに注目を浴びていました。

※  ※  ※


明治43(1910)年3月1日の大阪毎日新聞では、仁丹外交官が可愛い坊やになっています。その坊やが乗っているのは世界地図が書かれた地球の自転車。前かごには毒滅も載っているのがお分かりでしょうか。


~明治43年3月1日 大阪毎日新聞より~


※  ※  ※


もうひとつも明治45(1912)年6月5日の大阪毎日新聞です。
「仁丹は今や万国に発展しつつあり」というおっちゃんの周り、世界各国の切手の写真が国名と共に貼られています。両脇に説明書きがあり、「郵便の到る処仁丹あり」として、この写真が世界各地の仁丹代理店から来た手紙に貼ってあった切手の写真であることが書かれています。
仁丹の躍進の様子がわかるかと思います。

~明治45年6月5日 大阪毎日新聞より~




~つづく~

京都仁丹樂會 idecchi



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