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2013年04月07日

まいまい京都 仁丹コース第2弾

まいまい京都の仁丹コース第2弾、「京都仁丹樂會といく、寺町・二条川東の仁丹町名表示板」が3月31日開催されました。当日の様子をまとめてみました。

参加者16名、地下鉄市役所前に集合して、さぁ出発です。
今回のガイドは、京都ずんずんでお馴染みの ずんずんさん です。
他にお手伝いとして、当会より滋ちゃん、テント虫さん、idecchiさん、grv1182さん、shimo-chanも参加、ちょっと恥ずかしいのですが、広報活動の一環としてテント虫さん特製のタスキを掛けました。



コースは次のとおりです。



ちょっと小さくて見にくいかと思いますが、これからの説明でお分かりいただけるかと思います。

※  ※  ※

先ずは2年前の森下仁丹「京都町名琺瑯看板プロジェクト」により、復活第1号として市役所に設置された平成の復活バージョンを鑑賞します。


設置されるまさにその瞬間を見ていたずんずんさんが、その時の様子を詳しく解説します。
また、従来の仁丹町名表示板と平成の復活バージョンとを比較して、間違い探しゲーム風に違いを見つけます。



本当はこのようにオリジナルのものを現場に持ち込んで、本物同志で比較する予定だったのですが、ずんずんさん、当日、考え事をしておられたらしく玄関に置いたまま忘れてしまわれました。
これはリハーサル中のもので、本来はこうするはずだったという”幻の写真”です。

横書きの行政区名が左から右へと書かれていることや、上ル・下ルの送り仮名が公称に合わせて平仮名になっていること、商標が変わっていることなど、単なる復刻ではなく今風に”復活”したことを説明しました。

ただし、この商標については、今年の創業120周年を機にマイナーチェンジされましたので、その最新のものや、反対に明治期のものも披露、その変遷を説明させていただきました。



おまけに、遊び心が盛り込まれたカレーバージョンのご紹介も。

これは「仁丹の食養生カレー」に使われているもので、ターバンを巻いています。

※  ※  ※


寺町通を北上、琺瑯仁丹2枚を鑑賞します。
途中には、褪色しきった木製仁丹ではないのだろうかという木の板もありました。


※  ※  ※


一保堂さんの角を曲がり、夷川通を東へ進むと「新椹木(さわらぎ)町通」なる表記の仁丹が2枚。宝永5年(1708)に発生した”宝永の大火”によって、拡大・再編された市街地に、この”新”のつく通りが新設されたことなどを少し説明。




※  ※  ※


京都のメインストリート河原町通に出ました。みなさん、何を見上げておられるのでしょうか?



この2枚の仁丹でした。



廃棄処分の危機から間一髪で救出された2枚の指物町の仁丹です。
救出劇の詳細は、2011年9月25日の記事「奇跡の復活」をご覧ください。
2枚とも元々は河原町通を挟んだ向かい側にあったのです。
町名が同じであったことから奇跡のカムバックを果たしたのでした。

それにしても京都のメインストリートのひとつとも言える河原町通を挟んで同じ町名というのは、現状からは不思議に思えるかもしれません。
でも、それは市電の開通によって河原町通が拡幅されたからだと言えば納得していただけるでしょう。
このように、京都の仁丹町名表示板は、私たちに京都の近代史も教えてくれるのです。
また、この2枚の仁丹の救出からは京都への郷土愛も伝わってきます。

※  ※  ※


河原町通を下がり、今度は二条通を東に入ります。
島津創業記念資料館に設置されている仁丹を見に行こうと、横断歩道で信号待ちしていると、貝葉(ばいよう)書院さんに付けられた「ちまき」について突然の解説が入りました。
「なぜここに祇園祭の”ちまき”が付けられているのでしょうか?」と。
ここ樋之口町は八坂神社の氏子エリアの最北端であり、一連の祇園祭のうち、17日の山鉾巡行の夜、三基の神輿が巡幸します。その一基・中御座(素戔嗚尊)に供奉する久世駒形稚児が、この貝葉(ばいよう)書院さんで休憩することになっているのだそうです。それで、同じ祇園祭のちまきでも、普段あまり目にすることの無い、三若御輿会のちまきなのだそうです。
祇園祭に造詣が深いずんずんさんならではの+αでした。





※  ※  ※


二条通をそのまま東へと進み、さらに鴨川を渡って、左京区の川東学区へと入ります。



写真は、「ここに新先斗町の仁丹があったのですが・・・」とかつての写真を見せて説明しているところです。
二条通の1本北なのに、仁丹は「二条通川端東入新先斗町」となっていて、まるで二条通に面しているかのような表記です。
一方、同じ場所にあるローソンのプラ製町名表示板は、「川端通二条上る東入新先斗町」となっていて、そのとおりだと納得します。



そして、1本南の現在の二条通にも”こちらが二条通だ”と言わんばかりに二条通を冠した仁丹があります。全く同じ「二条通川端東入新先斗町」なのです。

実は、このあたり、京都電気鉄道の開通で二条通が少し南へ折れた部分なのです。
お互いにここが二条通だと言っているようでなかなか興味深いのです。



でも、この狭い通りこそが元祖二条通と言うわけです。



※  ※  ※


続いて、頂妙寺の境内を通らせていただき、仁王門通へと抜けます。
一説に、この頂妙寺の仁王門があることから仁王門通になったのだそうです。



仁王門通に出ると「新洞学区寺院案内図」というのがありました。
町内の案内図ならよくありますが、寺院の案内図とはちょっと珍しいですね。
確かに寺院が多いことに驚かされます。



ちなみにこの地図には地上を走っていた頃の京津線が描かれており、ちょっとした”廃線跡”巡りにもなりました。

※  ※  ※




次なるポイントは、新麩屋町通を下り、お地蔵さんの裏で保護色を纏ったかのようにひっそりと存在する現役木製仁丹です。
木製仁丹の特徴を説明するとともに、明治期の商標と比較します。



※  ※  ※


新麩屋町通から孫橋通を東へと入ります。しばらくしてあるのが和国町の琺瑯仁丹です。
「孫橋通新堺町東入和国町」です。



ところで、この界隈、新〇〇通と”新”がやたらと付きます。
しかも、南北の通りである新車屋町通が仁王門通を境にして南は新富小路通に変わります。
全く同様に新東洞院通が新柳馬場通に、新間之町通が新堺町通にと名前を変えます。
他のエリアではあり得ないことですよね。
これも、先の新椹木町通と同じく宝永の大火により御所付近から町内ごと移ったことによるのだそうです。
仁丹のおかげで、300年前の歴史を知ることができました。

さて、その後はそのまま孫橋通を東へと進み、さらに東大路通を渡って古川町通まで行きました。
時間が押していたので、三条通の南側は省略してコースを短絡しました。
参加者の皆様、申し訳ございませんでした。

※  ※  ※


三条通の1本北の道で次の2枚の琺瑯仁丹を鑑賞します。





三条北裏通ではなく、三条通北裏であることにご注目ください。
あくまでも通り名を持たず、三条通の北側の裏ですよと控えめな表現になっています。
また、ひとつは古川町通から東入としていますが、もうひとつは白川筋と川をランドマークとして捉えている点で、京都の住所表示の面白さを二重に味わえます。

なお、時間の関係で省略したルートには次のように三条通南裏なる表記もあったのです。
同じようなケースですね。



※  ※  ※


さて、いよいよ最後の仁丹です。
先日の 「東山通と東山線通と東大路通」で紹介しました東山線通の仁丹です。



ゴールはここ満足稲荷神社でした。



そして、『みなさん、満足していただけたでしょうか?』の落ちで終了したのでありました。

今回のコースでも、仁丹町名表示板はもはや一企業の広告の域を超えて、京都の近代史、郷土愛などを教えてくれる、立派な文化財だということが分かっていただけたのではないでしょうか。

天気もかろうじて持ち直し、桜も見られ、感謝感謝です。
ご参加のみなさま、ありがとうございました。



京都仁丹樂會 shimo-chan



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