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2013年04月26日

明治期の新聞にみる仁丹広告(4)

明治期の新聞にみる仁丹広告(4)
~屋外広告をめぐって~

明治期を中心に新聞記事から仁丹を探っていこうという企画の第4弾です。

森下仁丹は広告に非常に力を入れていましたが、その一つの柱が新聞広告、もう一つの柱が屋外広告でした。大正時代の広告事情について仁丹宣伝部長(当時)の谷本弘氏は次のように語っています。

「仁丹の広告費は大正十二年がレコードであったと思ふ。おそらく百万円を突破したことだろう。その中新聞広告が六分、他の広告費が四分の割合である。新聞広告は大きい程効果的であり、一頁広告よりもニ頁広告の方が効果が多い。…(中略)…仁丹の一頁広告は、明治四十年頃と思ふが、その頃は一頁広告を出す毎に赤飯を焚いて、尾頭のついた魚と一緒に、之を社員全体に出して大にそれを祝った位だった。」~日本電報通信社『日本新聞広告史』昭和15年より~


さて、これら広告のうち、前回明治期の新聞にみる仁丹広告3)にも少しだけ紹介した、屋外広告が当時どの程度のものだったのかを今回は考えてみたいと思います。


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たとえば前回紹介した「仁丹の支那号」の写真左上のものは、天津に設置された大看板、なんとその大きさ90畳です。でかい!!



また、こちらの記事は明治41(1908)年に大阪毎日新聞に掲載された見開き2面の広告「仁丹販売店の大繁昌」です。仁丹の大きな看板とその脇にある仁丹毒滅の販売代理店にお客が群がる様子が描かれています。仁丹はじめ薬品を販売していた小売店にどのような看板が付けられていたのか、おおよそ知ることができます。



アップで見てみると、ひとつは右側の仁丹の大看板、そして店先にぶらさがっている仁丹の看板、よくみるとその下に毒滅の看板もついていますね。


~明治41(1908)年7月3日、大阪毎日新聞より~



この広告に描かれているような看板は、日本全国の仁丹販売店に取り付けられていったものだと思われます。たとえば、京都府立総合資料館の「京の記憶ライブラリ」で公開されているデジタル資料のうち、「石井行昌撮影写真資料」は、京都在住の石井行昌によって明治20年代から大正10年頃までに撮影した写真が収録されています。そのうちの一枚、北野天満宮の前を撮影したものには、タバコや薬を販売する店舗の軒先に掲げられている仁丹看板が写っています。



また、当時の仁丹が写っている古写真や絵ハガキ、グッズなどを収集されていらっしゃる「仁丹の館」様のブログをご覧いただくと、様々な古写真には店頭、電柱、野球場のスコアボードなど、様々なところに仁丹看板が写り込んでいることを見ることができます。たとえば、葬列風景の後ろに大きな仁丹看板が写り込んでいる 古写真 などは秀逸だと思います。
またこちらも素晴らしいです。仁丹が全国の売薬店舗に対して、店の軒先看板を全て費用は仁丹持ちで取り付けます、とうたった 広告 になっています(出所については未確認です。また調査させて頂きます)。


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ちなみに、上の写真にもある北野天満宮からスタートして上七軒、柏野へと仁丹を巡る「まいまい京都」のツアーは6月2日に行われます。申し込まれた方、お楽しみに!!


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これら看板のうち、大型のものは関西のどのあたりに建てられていたのでしょうか。一つのヒントとなる広告がありました。これはアメリカからの観光団を歓迎する旨、そして関西を観光される際には、仁丹看板も見ていってね、という旨の英文が載せられた広告です。



赤で囲った部分、以下のような英語の説明文が書かれています。



簡単に訳してみると、
「以下の場所もぜひとも訪問先に加えてください
京都 
四条に仁丹三色点滅看板/堀川に仁丹イルミネーション看板/京都駅近くに大型の鉄製仁丹看板/京都・大阪間の高槻駅近辺に大型仁丹看板
大阪 
梅田駅に二面の仁丹三色点滅看板大型鉄製看板/道頓堀に仁丹三色点滅看板/千代崎橋に仁丹イルミネーション看板/天神橋に仁丹イルミネーション看板/大阪・神戸間の神崎駅(現:尼崎駅)近くに大型仁丹看板
神戸 
湊川に仁丹イルミネーション看板
他にも、東京、横浜、名古屋、熊本そのほか主要都市にもイルミネーション看板が、また日本の鉄道沿線には大型の鉄製看板が数えきれないほどあります」
~「歓迎 友邦米国人大観光団」明治43(1910)年3月5日、大阪毎日新聞より~


京都にも三色イルミネーションの看板が付けられていたようです。どのようなものだったのか、今では想像するほかありません…と言いたいところですが、当時の写真や絵ハガキをたどるとそのヒントが出てくるのではないか?ということで、森安正編『絵はがきで見る京都――明治・大正・昭和初期』(光村推古書院)という素晴らしい本が出ておりますので、そこで紹介されている四條大橋を撮った絵はがきを確認させていただきました。

1枚目の四條大橋、なんとまだ京阪電車も、南座の大きな建物も、レストラン菊水の建物も建っていません。京阪電車が上を走っていない時点で大正4年より前ということは確定です。



そこにはネオンサインのような「仁丹」の文字が見えます。少しアップにしてみると、お分かりになるでしょうか。



もう少し時代が下る2枚目の四條大橋の絵葉書では、京阪電車が路上を走っており、四條大橋も架け替えられています。「レストラン菊水」も出来ましたが皆さんおなじみの南座が建て替えられておりませんので、大正15年から昭和4年の間のどこかということになります。



こちらでは仁丹の看板は南座の脇、今のにしんそばの松葉さんの上あたりにあったことが分かります。



どちらのものが三色ネオンか、絵はがきだけでは断言できませんが、新聞広告に書かれていた四条の三色看板はこれらのどちらかかもしれません。



梅田駅のイルミネーション看板については、仁丹広告の中でも取り上げられています。「東洋第一の仁丹電気広告燈(イルミネーション)はこれ!」というタイトルです。宣伝文句が実に面白い!!




「奇妙!不思議!!大不思議!!!●諸君!若しも人間、以外に文字を書くものがあったらばナント奇妙の骨頂ではありませぬか、諸君よ梅田の駅前に立て試に西方の空を眺めよ●まばゆきばかりの朱塗の高塔峨々として雲際に聳て居る若し夫れ之を夜間に見ば諸君は人ならずして仁丹の文字を書く大不思議を此塔の中間に認むるであらふ●此発明は本舗が実に莫大の費用を投じ苦心惨憺の結果に出たもので彼の赤青白の三色の電光が代りがわり仁丹の筆法を追て活動変色し行くに至っては流石の●キリスタン バテレンもあっと驚く霊妙不思議の仕掛である本舗は之と同式のイルミ子ーションを客年東京にも増設したが●今日は恰も新嘗祭、大阪見物の方々は何は兎もあれ土産話に必らず見よ書方活動式仁丹のイルミ子ーション」
~明治42(1909)年11月23日、大阪毎日新聞より~



同じような広告塔は東京にも作られました。こちらは東京朝日新聞です。

「弊舗は昨年来三府其他有数の都市に対し単式イルミネーションにて仁丹広告の掲示を開始し過般京坂両地には更に数色一斉点滅式を増設せしが今回前記神田明神(開花楼上)に装置せし、書方活動式三色イルミネーションは客冬多額の賞を懸けて発明し当春以来大阪道頓堀にて多大の好評を博したものなり」

とのこと。イルミネーションの動き方が書き順通りに図示されています。


~明治41(1908)年10月12日、東京朝日新聞より~




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これだけ広告が盛んになると、当然出てくるであろう広告に対する行政の規制ですとか広告への反発の話をそろそろ書きたいのですが、ボリュームが増えてしまいましたので、今回はこの辺で。


~つづく~


京都仁丹樂會 idecchi

追記 四条大橋の絵葉書の写真と解説を間違えておりました。訂正いたします。


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この記事へのコメント
このシリーズもいよいよ佳境に入ってきましたね。

ありとあらゆる広告を手掛けてきた森下仁丹、屋外広告も猛烈な勢いだったことが分かります。

古写真や絵ハガキで仁丹を見つけたら、今の私たちなら「あっ、仁丹だ」とどちらかと言えば喜びますが、当時の人はリアルタイムの風景の中で仁丹の広告をどのように受け止めていたのでしょうね?

四条大橋から東を展望する絵葉書を見て感じたのですが、美しい東山連邦を背景に大きな仁丹イルミネーションが写っている光景は、今なら大問題です。
当時、景観問題があったのかどうかは知りませんが、もしかしたら毒々しい広告と感じていた人もいたかもしれません。

今でこそ、仁丹と言えば一目置かれていますが、当時は他の多くの企業と同じ単なるひとつの新興企業であって、それらが互いになりふり構わず広告合戦を繰り広げていた、そんな状況を一連の写真を見て想像しました。
Posted by shimo-chan at 2013年04月27日 12:23
面白いです!最近、すごく明治・大正時代の日本を憧れています。勉強になりました。どうもありがとう!
Posted by クレセント at 2015年01月30日 06:39
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