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2013年07月02日

明治期の新聞にみる仁丹広告(6)

明治期の新聞にみる仁丹広告(6)
広告への批判意見:東京朝日新聞の連載


しばらくの御無沙汰でしたが、明治期の新聞広告を一つの題材に、当時の情勢を見ながら森下仁丹の広告戦略とそれが仁丹の町名表示板に至る流れを明らかにしてみよう、という試みの第6弾になります。
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さて、前々回は新聞記事を題材に、大型の広告塔や市内に溢れた仁丹の大型看板をご紹介しました。そもそも大型看板が街頭に登場したのはいつぐらいからなのでしょうか。最初に大型看板が話題となったのは明治20年代後半、タバコ業界で覇を競った「天狗煙草」の岩谷松平、「サンライズ・ヒーロー」タバコの村井兄弟商会当たりだと思われます(八巻俊雄[1992]『日本広告史』)。岩谷は銀座で最大の大型看板を掲げ、それに対抗して村井兄弟商会は、1895(明治28)年、京都で開かれた第4回内国勧業博覧会の開催に際し、大文字山の山腹に五百円あまりを投じて「サンライス・ヒーロー」の野立て看板(一文字ずつ山腹に一列に並んだ看板)を建てたそうです。明治28年4月27日の読売新聞では、「布団着て寝たる姿の東山も隠れるほどに途轍もなき大招牌」と書かれています。ところが、風致に問題ありとの苦情が来たこと、加えて両陛下の行幸があるとのことで御所から見えてしまう看板が目障りになるとの声も出てきたことから、結局撤去されることになったようです。これに対して読売新聞では「吾人も山神水霊に代りて喜ぶべし」としています。この辺りから大型の看板は世に出るようになったようです。
同じく、第4回内国勧業博の際には、京都で初めて四条大橋に電飾看板が登場し、1901(明治34)年ごろにはキリンビールが新橋駅入り口近くに社名のかな文字6字を電球で点滅させるなどしています(八巻俊雄[1992]『日本広告史』)。

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これだけありとあらゆる町中に大型看板が並ぶことになると、当然それに対して賛否両論、いろいろな声が上がってきます。たとえば、1902(明治35)年の『日本』には
「ヒーロー、サンライス、アロイロナート、麦酒、葡萄酒、石鹸、売薬ありとあらゆる商品広告を肆(ほしいまま)に鉄道沿路、山紫水明の地に押し立て、偏(ひとえ)に人目をひかんとするの手段は、洵(まこと)に苦々しき次第。」
との投書が載っています(内川芳美編『日本広告発達史 上』)。

批判意見の最も辛辣な例を挙げておきましょう。当時、仁丹のみならず様々な広告媒体が町中に溢れていましたが、それに批判的な意見として、東京朝日新聞にはその名も「醜悪なる屋外広告」なるタイトルの連載記事が1910(明治43)年6月15日から19回にわたって連載されました。
 その第1回(この回のみ「醜怪なる屋外広告」と言うタイトル)では、「我が日本人全体にとつて此処に一つ斬新な重大問題がある、実は外でもない屋外の広告に関する事だ」という書き出しで始まり、「(中略)今や汽車の行く處なら都会に遠き百姓の田畑庭先にも広告が立てられて、浮世離れた生活の樵夫百姓等にも此の問題が関係を及ぼして居る」というのです。何が問題なのでしょうか。2回目ではその問題点が示されています。「社会学的商業学的立場から見て広告なるものは絶対的に必要なものには相違ない」としながらも、「併し一面においては社会の有機体のすべての方面に多大の害毒を与へて酒や阿片や身体の機能を弱らす如く広告が社会の機能を抓き乱して終に非常に悪くする、悲しい哉日本の今日の屋外広告の状態は稍其の域に到達せんとして居る」というのです。

この連載では、東京、大阪、京都など主要都市における屋外広告の景観への悪影響が批判されました。ビールや清酒の看板であったり、ゼム、大学目薬、健脳丸など、以前新聞広告でご紹介した多くの医薬品メーカーとともに、屋外広告に力を入れる仁丹も、その槍玉にあげられてしまいます。仁丹の屋外看板はよほど全国的、かつ規模が大きかったのでしょう、写真付きのものも含め、名古屋共進会前に建てられた看板(連載2回目)、電柱広告(3回目)、新橋近くの屋外看板(8回目:写真左)、上野公園前の広告建築(9回目 なんと醜広告として紹介!:写真右)、京都の屋外看板(17回目)などが批判の対象となっています。

明治期の新聞にみる仁丹広告(6)

上野の看板、かなり大きなものだったようですが、この新聞掲載の写真ではいまいち様子が分かりません。仁丹が写り込んだ絵はがきを収集、紹介されておられる(この分野では随一の方だと思います)、「くすりや本舗」「仁丹の館」様のブログでは、上野広小路の絵葉書をご紹介されています。おそらくこれが東京朝日の批判記事に写っている仁丹の看板かと思われます。

この仁丹による看板に対して東京朝日は次のように批判します。
「此の仁丹の広告も屋上の広告建築である。何人でも上野公園に到る者で此の広告の刺激を受ざる者はいない、此の屋上に仁丹広告が九面ある、何故に東京の市民は日本唯一の一大公園へ行きに帰りに仁丹の九面の醜広告から強烈なる刺激を受なければならぬか、日本唯一の公園の入口に何故風致を害する広告を建築させておくか、今仮に此の広告の形式を調べて見るのに、只々一個の屋上に丈余の大広告を八面飾り附け更に其の中央に一面電気広告の為めに大なる文字を飾るとは、余りに過大過多なる広告ではないか、広告は本来告知的のものであるなら、此の如く過多過大の広告は不必要ではないか。」

~1910(明治43)年6月24日 東京朝日新聞「醜悪なる屋外広告(9)」~

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とりわけ、風光明媚がウリの京都における屋外広告に対しても東京朝日は厳しい批判をあびせます。
京都の回ではどのような言われようだったのか、参考までにそこに載せられていた写真と併せてご紹介します。写真には五条大橋とその東詰北側に仁丹の看板(上写真)、南側に大阪行きのりばとの看板が見えます(下左写真)。もうひとつはアサヒビールの看板、当時都ホテルの前の屋根の上に載っていたようです(下右写真)。

明治期の新聞にみる仁丹広告(6)

もう少し解像度のよさそうな画像を探していて見つけたのが、シリーズ4回目でも紹介した森安正編『絵はがきで見る京都』(光村推古書院)所収の絵はがきに写っている五条大橋の画像です。京阪の大阪行き電車乗り場(当時は五条始発)の左(北)側に、仁丹の大きな看板が見えます。

明治期の新聞にみる仁丹広告(6)

「醜悪なる屋外広告(16) ※原文ママ、本当は17回目です
京都の屋外広告取締 京都の趣味の破毀者

屋外広告の取締に就いては遊覧客が集合する様な名所古蹟のある国では既に非常に厳重なる取締規則が出来て居る、其の最も厳重なのがあるのは京都府と奈良県とだ。参考の為めに京都府令を示さう。
道路河川其他公衆の自由に往来出入する事を得る地及之に面したる場所に建設し又は掲出したる広告塔広告札及看板の類にして公安風俗を紊り又は風致を害し若くは危険の虞ありと認むるときは所轄警察官署に於て之が移転改造又は除却を命ずることあるべし…(略)…右の府令及び告諭は屋外広告取締規則として十分なものだ。
右の府令と告諭とによれば京都市には醜悪なる屋外広告を立て得る余地は全く無い、然るに事実は之に反して屋外広告が都市の天然の風致及び市街の体裁を損じて居る事が頗る多い。
三條通り松原通り五條通りの如きは醜悪なる広告で市の外観を打こはして居る。殊に残念なのは都ホテルの目の前に屋根の上に大なる朝日ビールがある、ホテルに宿泊する欧米人が眺めて彼のビール瓶を取除て欲しいと云へり、又日本人は都会組織を知らぬ看板だと眺めて居る。
京都では橋の風致が京都人士に多大な影響を与へるのだから、市の名所古蹟を大切にすると同時に橋の風致を保存すべきだ。然るに京都では有名な橋詰は広告を以て蔽はれて居る、例へば五條の橋詰の如きは不潔な小さい家屋に大きな醜悪な広告で此の通り、風致も何もあった物でない。殊に五條橋詰の大阪行電車の停留場の如きは其建築の粗悪劣等無趣味実に言語に絶して居る。又大阪行乗場と書いた大きな看板の殺風景さ加減と云ったら話にならぬ。京都には前掲の如き厳重な取締規則があるのに何故警察署では之を活用しないか、又日本唯一の旧帝都に市庁に於て何故市の外観取締役を設けないか。
若し京都市街の風致を商人や下劣無趣味な実業家の為すが儘にしておくと、京都特色の美的工芸品は年々下等なものとなると云ふ事に感付ぬらしい。嗚呼残念な事だ。
京都市民よ京都の美術工芸品の製作動力たる趣味には東山が大なる影響を与える事を知れ、又人が其影響を受くるのは橋の上に於ける眺望なる事をも知れ。而して京都の趣味養成の為めに早く此醜悪なる広告を取除けよ。」

~1910(明治43)年7月6日、東京朝日新聞~


…なんとまあ、厳しい批判でしょうか。ここまで言われる程、当時の屋外広告はありとあらゆる場所でその宣伝技術を競っていました。さて、町名表示板が設置される経緯とこれらの動きはどのようにかかわってくるのでしょうか。次回は行政当局の広告規制について考えてみたいと思います。
~つづく~


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Posted by 京都仁丹樂會 at 00:56│Comments(0)広告から見る仁丹
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