京つう

  歴史・文化・祭り  |  洛中

新規登録ログインヘルプ


2013年10月26日

木製仁丹設置時期の裏付け発見 2/2

前回の続きです。

木製仁丹の設置時期について、基礎講座に加え、前回ご紹介の『京都ダイレクトリー』に収録されている写真の画像から察するに、ピーク期を1,2年早めて、

  ① 始 期    明治43年かその直後
  ② ピーク期  大正3,4年頃まで
  ③ 終 期    大正7,8年

というところまで分かってきました。

さて、ここでもうひとつ、木製仁丹設置時期を裏付ける資料を発見しました。
当時の京都新聞(京都日出新聞)です。
京都で起きている町名表示板の設置ですから、御当地の新聞に載らないはずはないだろう!との期待的観測のもと、樂會で新聞記事を少しずつ読んでいく作業を始めました。

すると、やはり、設置時期をうかがわせる記事に出会うことができました。
これ ↓ がその新聞です。大正元年9月2日の京都日出新聞です。


~京都日出新聞 大正元年9月2日 4面より~


記事とは言っても、仁丹町名表示板に関わる直接的なものではなく、読者からの投稿欄である「落しふみ」というコーナーでした。ここに仁丹町名表示板に対する、京都市民の率直な意見が交わされていたのでありました。
赤い四角で囲った部分が、仁丹に関わる記事ですが、これでは読めないのでしょうから、以下、発見した投稿欄の記事を順番に御紹介します。


(1)大正元年9月2日 4面



●「仁丹」の広告兼用町名札は中々行届いて大層喜ばしい事であるがどうも私は「仁丹」の字が目障りになるも普通の広告方法に窮した結果こんな所にまで及ぼしたといふやうでもしこれに広告の意を現さず公共利便の為のみにせられたならば見る度にその札の奥にはそゞろ森下氏その人の人格がしのばれてそして又自と「仁丹」その物も思ひ出されて来て暗に可い広告になつたであろーに(蕗の葉)


(2)大正元年10月22日 5面



●此頃仁丹の広告を町名の上に書て町内の承諾も得ず前の札を剥取て張つたのは横暴だ然るに彼は警察が許したのだと云ふ人があるが正か其様な事は有まい(大正の浪人)


(3)大正元年11月4日 4面



●仁丹商標付の町名札は成程一挙両得的の好趣向だが何等の実用上功の無い町名其物を大書して何通何町何入の指示名を却つて小さく割書にしたのは字配の都合からかは知らぬが何だか間が抜けてゐるよ(穴さが士)


(4)大正元年11月5日 5面



●仁丹広告附の町名札に反感を持つ薬屋さん達は一ツ仁丹君の向ふを張つて各町々に広告用の街灯を点じては如何だ之れは装飾電灯よりも実用的で夜間通行者に何れだけ便利を与へるか知れないよ(世話焼爺)


(5)大正2年1月22日 4面



●(略)△仁丹の町名札を俗悪だとか何とか一概にケナシて仕舞ふた人も有つた様だが我輩は屡々利便を得た事少なからずだ王辰爾の知恵でヤツト読み得る様な古札は真ツ平だ(志賀の里人)


(6)大正2年3月13日 4面



●近頃でも無いが各辻々に仁丹の町名入り(所々間違つて居るが)広告が出来たのでどれだけ吾々の様な地理を知らない者が喜ぶか知れません尚此の頃喜ばしく思つたのは上京塔之段大正座があのいやな月夜でも暗らい〱相国寺の内に十本程街灯をたてゝくれたので夜る通行する人は非常によろこんで居ます同じ広告でも此の様なのは沢山の人がよろこんでいやみの無い広告法の様に思ひます(マイナス史)

※     ※     ※


大正元年の9月から翌3月あたりにかけ、投稿欄で再三、仁丹の町名表示板に関する投稿が見られたのです。

まず(1)です。大正元年の9月の投稿を見てみると、「中々行届いて大層喜ばしい事である」との文面があります。この時点で、市内には既に相当数の町名表示板が設置されていたことをうかがわせます。(6)の大正2年3月の投稿でも、「近頃でも無いが各辻々に仁丹の町名入り広告が出来たので…」との記載から、それ以前に相当数の設置があったことがうかがえます。


そのうえで、この木製仁丹の設置に対して、賛否両論があることがうかがえるのです。

例えば(2)です。大正元年10月の投稿では、既にあった町名表示の上に、承諾もえないまま木製仁丹を貼りつけた、と抗議しています。しかもこれを警察が許した云々…ということから、設置に当り警察の認可が必要であった可能性を示唆しています。
(5)のように利便を得たもので、やっと読むことのできる古札はまっぴら、と書いているものから見ても、木製仁丹以前から、京都の辻々もしくは各町内に、なんらかの表示板は設置されていたようです。

他方、木製仁丹に好意的な反応も見られます。
(1)のように大層喜ばしい、だとか、(4)のように、反感を持つのは仁丹とライバル関係にある薬屋だとか、(6)のように、どれだけ地理を知らない者が喜ぶか知れない、というような評価です。

興味深かったのが、木製仁丹の表記法に対する注文です。
(3)の投書では、「町名其物を大書して何通何町何入の指示名を却つて小さく割書にしたのは字配の都合からかは知らぬが何だか間が抜けてゐるよ」との指摘があります。確かに、現存している木製仁丹を見てみると、その後に設置された琺瑯仁丹とは表記法に明らかな違いがあるのです。




『基礎講座 3.表記方法 ②標準仕様』『基礎講座 3.表記方法 ⑥木製仕様』でも説明しましたが、琺瑯仁丹は通り名が大きいフォント、その下に町名が小さいフォントで記載されているのに対し、木製仁丹は通り名が小さいフォントで2行、その下に町名が大きいフォント1行で記載されている場合が多く見られます。ほぼ同じ位置に設置されている(いた)上の木製と琺瑯の対比画像でも、このことは指摘できます(残念ながら木製は既に消滅)。

おそらく、このことを(3)の投書は指しているものだと思われます。これら京都市民からの指摘を受け、琺瑯仁丹に貼り替える際には表記方法の改善が行われたのかもしれません。

※     ※     ※


以上、賛否両論、様々な意見が交わされました。それだけ木製仁丹が目立ち始めてきたということでしょう。
この頃、すでに木製仁丹の設置ピーク期を迎えていたとまで言えないのかもしれませんが、少なくとも始期は大正元年と言えるまでに絞り込めました。もう少しで明治に突入ですが、果たしてそこまでの資料が出現するかどうかですね。

また、大正3~4年とするピーク期についても、もう1,2年早めてもよいのかもしれません。

ということで、始期、ピーク期、終期の最新考察は次のようになりました。

  ① 始 期    明治43年かその直後  少なくとも大正元年は確実
  ② ピーク期  大正2,3年頃まで
  ③ 終 期    大正7,8年

~おわり~

京都仁丹樂會 idecchi & shimo-chan




同じカテゴリー(設置時期)の記事画像
木製仁丹設置時期の裏付け発見 1/2
仁丹町名表示板 基礎講座六 「設置時期」 ⑬まとめ
仁丹町名表示板 基礎講座六 「設置時期」⑫琺瑯仁丹の終期
仁丹町名表示板 基礎講座六 「設置時期」⑪京都への設置再び
仁丹町名表示板 基礎講座六 「設置時期」⑩京都の次は伏見
仁丹町名表示板 基礎講座六 「設置時期」 ⑨琺瑯仁丹の始期
同じカテゴリー(設置時期)の記事
 木製仁丹設置時期の裏付け発見 1/2 (2013-10-14 07:36)
 仁丹町名表示板 基礎講座六 「設置時期」 ⑬まとめ (2012-06-23 17:35)
 仁丹町名表示板 基礎講座六 「設置時期」⑫琺瑯仁丹の終期 (2012-06-16 18:30)
 仁丹町名表示板 基礎講座六 「設置時期」⑪京都への設置再び (2012-05-27 10:53)
 仁丹町名表示板 基礎講座六 「設置時期」⑩京都の次は伏見 (2012-05-21 21:33)
 仁丹町名表示板 基礎講座六 「設置時期」 ⑨琺瑯仁丹の始期 (2012-05-20 11:00)

Posted by 京都仁丹樂會 at 21:58│Comments(1)設置時期
この記事へのコメント
「落し文」に書かれた仁丹、idecchiさんが発見されました。
あんな小さな、読みにくい文字群の中からよくぞ発見されたものです。
お手柄です。

私も日出新聞ローラー作戦に参加していますが、仁丹町名表示板に直接関わる記事や、全く関係のない記事でもその写真の背景に写っていないかなどを探していました。
ですから、記事ではない部分は飛ばしていました。
まさか投稿欄で取り上げられてたとは驚きです。

しかも、単純なマイクロフィルムですから、パソコンでキーワードで検索できるような世界ではなく、視野の中から拾うわけです。
非常に疲れます。1時間ぐらいで集中力は萎えてしまいます。

でも、その当時の京都のまちの様子がよく分かります。
仁丹町名表示板の設置された時代背景を読み解くには、非常に有益だと思います。
謎を解くヒントがいっぱい埋もれているようにも思います。
Posted by shimo-chan at 2013年11月02日 09:21
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。