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2014年09月03日

鞆の浦 仁丹探訪記(3)

鞆の浦 仁丹町名表示板 探訪記(3)

鞆港のバス停から、港を挟んでほぼ対角線上にある淀媛神社まで歩いて、5枚の仁丹町名表示板を見つけました。残るは次の10枚です。

鞆城跡入口
桝屋清右衛門宅前
旧魚屋萬蔵宅前
備後国安国時前
ささやき橋前
沼名前神社前
鞆小学校前
鞆の津ミュージアム前
小烏神社前
鞆中学校入口

時刻は午後2時30分。何となく気の向くままに歩いてきましたが、ここからは手堅くかつ効率良く見つけるため、地図を見て作戦を練りました。
そして、まっすぐ北上すると鞆小学校、ささやき橋、沼名前(ぬなくま)神社、安国寺と続くのが分かったので道なりに北へと進んでいくことにします。
今回のルートはこんな感じです。赤のラインです。


途中、やはり、入ってみたくなるような魅力的な通りの誘惑を受けながらも、まっすぐ北へと進みます。




するとレトロな琺瑯看板が何枚か貼られたお家を発見しました。




先ず目に付くのがお馴染み浪花千栄子さんのオロナイン軟膏。
この看板は、当初、オロナミンCの大村崑さんが引き続き起用されるところ、浪花千栄子さんの本名が“なんこう きくの”さんであるところから浪花さんに変更されたというエピソードがあります。
「太田胃散」「メンソレータム」はポピュラーですね。
それから「神農湯」「引起散」は初めてお目にかかりました。

思わぬ収穫ににんまりしながら歩いていると、6枚目の仁丹に出くわしました。
いつの間にか鞆小学校前まで来ていました。


6枚目  鞆町後地 鞆小学校前 江の浦町




この坂の上が鞆小学校でした。調べたら明治44年からこの場所にある鞆の浦唯一の小学校、鞆のみなさんの思い出がたっぷり詰まった場所に違いありません。
小学生たちの姿はありませんでしたが、趣たっぷりの町並みの中を元気に賑やかに通う光景はさぞ絵になることでしょう。

※    ※    ※


そのまま道なりに北上を続けます。地図によればぼちぼち「ささやき橋」のはずです。
でも、橋も川も見当たりません。
少し不安になりかけたとき、すぐ横のブロック塀に7枚目の仁丹を先に見つけてしまいました。
いささか意外な場所でした。


7枚目  鞆町後地 ささやき橋前 江の浦町




そして、突き当りを右に曲がると、ありました「ささやき橋」が。




でも、『えっ!これが橋?』という短さじゃありませんか。

解説によると、『応神天皇の頃、百済よりの使節の接待役・武内和多利と官妓・江の浦は、役目を忘れ夜毎この橋で恋を語り合っていました。』とありました。それで“ささやき”なのでしょう。

※    ※    ※

再び突き当りになって、道なりに北上していくと、次は何だか活気のある空間へと出ました。
祇園さんと親しまれている沼名前(ぬなくま)神社の門前でした。


何も知らずに訪れた7月12日は、沼名前神社の夏祭りの日で、夜にはお手火(おてび)神事という勇壮な火祭が行われるのでした。
夜店も多く出るようで、そのための準備にみなさん追われていました。

ところで、本探訪記(1)から不思議に思われているでしょうが、家々に縄が張られています。正確には雷型の紙垂(しで)が吊るされた縄ですが、これは聖域の内側と外側を表すもので、祭の間見られる光景だそうです。


そうそう、うっかり忘れるところでした。ここ、沼名前神社には仁丹ゆかりの見どころがあるのでした。境内に入り注意深く探していくと、それはすぐに見つけることができました。ここです。



森下仁丹の創始者森下博の鋳造です。実は当神社の神主の息子として生を受けていたのでありました。鋳造の裏には昭和13年の銘文が付けられており、森下博の生い立ちやモットー、鞆町への貢献などがつづられていました。
ただし、初代の鋳造は戦時中の金属供出令で撤去され、現在のものは昭和27年に復刻されたようです。供出後の様子が写された貴重な写真は、「ブログ鞆の浦日記」で見ることができます。やはり百聞は一見にしかずですね。

※    ※    ※

再び門前に戻ると、すぐに8枚目の仁丹を発見です。


8枚目   鞆町後地 沼名前神社前 祇園町


そのまま進路を東にとると、住宅街の中に天保8年の鳥居がど~んと建っていました。
背後に沼名前神社の本殿も見え、なかなか好ましい光景です。




ところで、この鳥居、よくよく見ると民家のベランダの中に食い込んでいるのですね。
京都の京極にも同様のものがあって、美容院の店内にニョキっと突き出ています。



※    ※    ※

鳥居をくぐって、今度は120度ほど大きく左折、北西へと進みます。
町の中心から遠ざかって行きますが、地図によればこの先に備後安国寺があるはずなのです。
そして、このような住宅街の中に入りました。


正面に見えるお寺が安国寺なのでしょう。この辺りに9枚目の仁丹がありそうです。
どこに潜んでいるかは分からないので、京都での体験を生かし、時折振り返りもしながら、注意深く進んでいきます。
でも、見つけることができないまま安国寺の前までやってきて、このような場所へと出ました。


これはいかにもありそうな雰囲気です。しかし、やはり発見できず仕舞い。
おかしいなぁと思いながら今度は東へと進むと、ようやく見つけることができました。


9枚目  鞆町後地 備後国安国寺前 御幸二丁目



なるほど、地図を見るとおそらくはこの通りがかつてのメインルートだったのでしょう。そこに安国寺入口の案内をしていたのです。
反対側から歩いて来たので見つからなかったはずです。

さて、次は南へと進み、町の中心へと戻ることにします。

~つづく~

京都仁丹樂會 滋ちゃん・たけちゃん・shimo-chan



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