2015年01月12日
埋蔵仁丹「田中大堰町」出現!
今回の真盛町盗難事件の報道番組をたまたま見ておられた方が、「あれ?ウチにあったのも仁丹では?」と建て替え前の家に貼られていた町名 表示板 を捨てずに保管していることを思い出され、確認したらやっぱり仁丹だったと、私たちに知らせてくださいました。
それが、コレ!です。
今は京都市左京区ですが、上京区の表示のままです。この付近は元々は上京区でしたが、昭和4年4月1日に左京区が新たに誕生し、編入されたエリアなのです。したがって、昭和4年4月1日よりも以前に設置されたことが分かります。
当会としては今まで把握していなかった仁丹町名表示板であると同時に、仁丹町名表示板の空白地帯がこれでまたひとつ消えました。
さて、驚くのは埋蔵仁丹の出現のみではなく、町名の表記方法もでした。
今まで、田中エリアで発見された仁丹は次のようなものでした。
上京區 田中関田町 鞠小路通 東今出川 下ル
上京區 田中関田町 東今出川通 鞠小路 東入
上京區 田中関田町 東今出川通 鞠小路 東入
下京區 田中下柳町 東今出川通 川端 東入下ル
上京區 田中馬場町 川端通 御蔭橋 下ル
いずれも表記方法は、「町名+通り名」のタイプでした。
このエリアは公称町名に通り名を付けないのですが、仁丹町名表示板は町名をメインとしながらも、通り名でも表現できなくはないよとばかりに、町名の後に小文字で通り名を付け加えていました。
しかしながら、今回出現した田中大堰町は「町名のみ」のタイプだったのです。“鞠小路通東今出川上る”なる通り名が付加されても構わない場所にあったそうですが、とにかく現物は町名のみなのです。
この点、非常に興味深い個体というわけです。
今回は、盗難事件の騒ぎで皮肉なことに埋蔵仁丹が1枚出てきたことになったのですが、京都のまち、まだまだ埋蔵されているのでしょうね。
それが、コレ!です。
上京區 田中大堰町
今は京都市左京区ですが、上京区の表示のままです。この付近は元々は上京区でしたが、昭和4年4月1日に左京区が新たに誕生し、編入されたエリアなのです。したがって、昭和4年4月1日よりも以前に設置されたことが分かります。
当会としては今まで把握していなかった仁丹町名表示板であると同時に、仁丹町名表示板の空白地帯がこれでまたひとつ消えました。
さて、驚くのは埋蔵仁丹の出現のみではなく、町名の表記方法もでした。
今まで、田中エリアで発見された仁丹は次のようなものでした。
上京區 田中関田町 鞠小路通 東今出川 下ル
上京區 田中関田町 東今出川通 鞠小路 東入
上京區 田中関田町 東今出川通 鞠小路 東入
下京區 田中下柳町 東今出川通 川端 東入下ル
上京區 田中馬場町 川端通 御蔭橋 下ル
※下柳町の行政区名が下京区となっているのは明らかに書き間違えです。
いずれも表記方法は、「町名+通り名」のタイプでした。
このエリアは公称町名に通り名を付けないのですが、仁丹町名表示板は町名をメインとしながらも、通り名でも表現できなくはないよとばかりに、町名の後に小文字で通り名を付け加えていました。
しかしながら、今回出現した田中大堰町は「町名のみ」のタイプだったのです。“鞠小路通東今出川上る”なる通り名が付加されても構わない場所にあったそうですが、とにかく現物は町名のみなのです。
この点、非常に興味深い個体というわけです。
今回は、盗難事件の騒ぎで皮肉なことに埋蔵仁丹が1枚出てきたことになったのですが、京都のまち、まだまだ埋蔵されているのでしょうね。
~京都仁丹樂會~
Posted by 京都仁丹樂會 at 09:29│Comments(3)
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この記事へのコメント
教えて下さい。上京区縦書き表記は、衣笠、鷹野、下賀茂地区だけですか、表記の違いは、どの様な理由が考えられますか。もう一つ北白川地区の情報有りますか、宜しくお願い致します。
Posted by やっくん at 2015年01月28日 21:13
やっくんさん、いらっしゃいませ。
行政区の縦書き表記は、私たちは過去に次のものを確認しています。
衣笠北高橋町
平野鳥居前町
平野宮本町
北野紅梅町
鷹野十二坊町
下鴨宮崎町
下鴨松ノ木町
下鴨芝本町
仁丹町名表示板は都市によって大きさやデザインが決まっています。
京都の場合は通り名を書かなければならないので、他都市と比べて縦が約90cmと大きな規格となっています。通り名を使う中心区対応といったところでしょうか。
でも、周辺では通り名を使わない住所表示もあり、そのような場合は余白があり過ぎるので、バランスを考えて行政区名を堂々と大きな字で縦に書いたのではないでしょうか? もちろん推測ですが、それ以外に思いつかないので。
また、北白川エリアですが、過去も含めて現時点で全く見つかっていません。設置されていても全く不思議ではないのですが・・・
でも、いずれ古写真などで出会う日が来るかもしれませんね。
行政区の縦書き表記は、私たちは過去に次のものを確認しています。
衣笠北高橋町
平野鳥居前町
平野宮本町
北野紅梅町
鷹野十二坊町
下鴨宮崎町
下鴨松ノ木町
下鴨芝本町
仁丹町名表示板は都市によって大きさやデザインが決まっています。
京都の場合は通り名を書かなければならないので、他都市と比べて縦が約90cmと大きな規格となっています。通り名を使う中心区対応といったところでしょうか。
でも、周辺では通り名を使わない住所表示もあり、そのような場合は余白があり過ぎるので、バランスを考えて行政区名を堂々と大きな字で縦に書いたのではないでしょうか? もちろん推測ですが、それ以外に思いつかないので。
また、北白川エリアですが、過去も含めて現時点で全く見つかっていません。設置されていても全く不思議ではないのですが・・・
でも、いずれ古写真などで出会う日が来るかもしれませんね。
Posted by shimo-chan at 2015年01月29日 21:36
shimo-chan有難う御座います、地元の衣笠にも確認されているんですね、調べてみたら、衣笠、23、北野、5、平野、10、そして、鷹野は、2,町内が存在しますので、当時設置されていたようですね。確か、衣笠街道町も古物店の写真が、当会に出ていました。北区に移行した時,縦書き上京文字が大きいので、長く存在する物が少なかったのですかね。枚数も,一町一枚ではと考えます。また宜しくお願い致します。
Posted by やっくん at 2015年01月30日 10:51