京つう

歴史・文化・祭り  |洛中

新規登録ログインヘルプ


2015年04月18日

全国津々浦々の考証(その5)

全 国 津 々 浦 々 の 考 証 (その5)
~東京で仁丹発見!!!③~

これまでまとめて来たように、森下仁丹により9万枚を超える規模の町名表示板が東京市とその周辺地域に設置されたとなれば、あとはその現物が見たくなるところです。現在の東京で仁丹の町名表示板が存在している、という情報に触れたことはありません。わたしたち京都仁丹樂會以外にも、全国には琺瑯看板やその他さまざまな看板類の撮影やデータ収集をされている方々がいらっしゃいますが、その方々のサイトやブログでもこうした情報には接することができませんでした。そうなれば、ひたすら当時の古写真、絵ハガキ類に片っ端からあたっていくしかありません。

全国津々浦々の考証(その5)

『東京名所写真帖 : Views of Tokyo』明治43年、尚美堂
(国会図書館近代デジタルライブラリー)

たとえば上の画像は、明治43年の『東京名所写真帖 : Views of Tokyo』に掲載されている浅草の仲見世の画像です。仁丹ではありませんが、仲見世の左側の壁面についているのが明治末に東京市内で貼られていた町名札のようです。右に拡大したものを合わせて貼りつけましたが、「浅草公園第二区」という表示が読み取れます。この時代の東京市内の写真のなかには、類似のものを何点か見ることができます。おそらく、東京市の予算で設置されたのはこのような形状のものだったと思われます。このように、当時の写真に仁丹町名表示板が写り込んでいないか探す作業を続けた結果、ようやく念願のものに出会えたのです。

**********


全国津々浦々の考証(その5)


歴史写真会『歴史写真』大正10年1月号(国会図書館近代デジタルライブラリー)


上の写真を見て、分かるでしょうか?写真中央少し上の壁に町名表示板が取り付けられています。そこにはハッキリと、仁丹のロゴが見えるのです。
全国津々浦々の考証(その5)


この写真「虚説流布に脅され預金者東京貯蔵銀行に殺到す」の有難いところは、左側の説明文から、撮影場所及び撮影時期が特定できるところです。抜き書きするとこのような文面です。
「虚説流布に脅され預金者東京貯蔵銀行に殺到す」
…略…
即ち大正九年十一月六日東京東京貯蔵銀行の取付騒ぎなども全く此種の悪戯に基因するもので…写真は当日同銀行銀座支店取付の光景である


この文章から、東京貯蔵銀行の銀座支店で撮影された大正9年11月6日の画像であることが分かります。

写真の町名は「尾張町」とあります。当時の資料を当たると、写真にある東京貯蔵銀行支店は「京橋区尾張町2丁目14番地」にありました。
全国津々浦々の考証(その5)

東京市区調査会『東京市及接続郡部地籍地図. 上卷』大正1年
(国会図書館近代デジタルライブラリー)


おそらく「京橋区」が上に横書きで書かれ、太字で「尾張町」、その下は「二丁目 十四番地」 かと思われます。この場所、現在は「銀座六丁目10地区第一種市街地再開発事業」として、松坂屋銀座店跡地を含む2つの街区を整備する再開発事業の最中ですが、つい最近まで三井住友銀行銀座支店がありました。


**********


こちらは京都仁丹樂會関東支部grv1182さんが発見された、芝区にあった三友商会という店舗の画像です。店の左側に取付けられていると思われる町名表示板にも同様に、上に区名、その下に太字で町名、判読が難しいですがおそらくその下に番地、一番下に仁丹ロゴ、というまったくおなじレイアウトが見てとれます。

全国津々浦々の考証(その5)

『遊覧東京案内.1922版』大東社、大正11年 (国会図書館近代デジタルライブラリー)



**********



また、こちらも関東支部grv1182さんが発見されたものです。これは土木学会が設置している「土木学会附属土木図書館」のデジタルアーカイブスのなかで紹介されている歴史的資料のうち、関東大震災の調査報告資料に掲載された数多く写真の一枚です。東京市芝区車町の変電所を写したもので、板塀に設置されています。
全国津々浦々の考証(その5)

土木学会編『大正十二年関東大地震震害調査報告  第三巻』昭和2年
(土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス「関東大地震震害調査報告掲載写真」
 No.152.車町変電所 (芝区車町)」より画像使用 ※掲載届出済)


この画像を拡大してみるとこんな感じです。
全国津々浦々の考証(その5)


芝区車町は当初は芝車町という名称でしたが、明治44年に芝区車町に変更されています。現在の高輪2丁目~芝浦4丁目ですから、品川駅の北側あたり、赤穂浪士のお墓で有名な「泉岳寺」のすぐ近くに位置します。


**********


これら3枚の町名札以外にもまだまだ眠っている資料は数多くあるのではないかと樂會では考えております。
何か御存じの情報、資料などがありましたら、是非ともご一報下さい。

東京で見つかった公文書と古写真、ここからいくつか分析を試みたいと思いますが、それはまた次回以降ということで。
~つづく~


京都仁丹樂會 idecchi


同じカテゴリー(基礎研究)の記事画像
木製の設置経緯に迫る新聞記事発見!
匂天神町の”かぶせ仁丹”
出現する史料 ~他都市編~
舞鶴からも出現!
仁丹町名表示板 京都だけなぜ? ~後編~
仁丹町名表示板 京都だけなぜ? ~前編~
同じカテゴリー(基礎研究)の記事
 木製の設置経緯に迫る新聞記事発見! (2024-04-09 08:31)
 匂天神町の”かぶせ仁丹” (2024-03-14 12:41)
 出現する史料 ~他都市編~ (2023-05-12 10:48)
 舞鶴からも出現! (2021-02-28 18:40)
 仁丹町名表示板 京都だけなぜ? ~後編~ (2016-05-14 12:39)
 仁丹町名表示板 京都だけなぜ? ~前編~ (2016-05-12 05:24)

Posted by 京都仁丹樂會 at 04:42│Comments(0)基礎研究
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。