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2015年04月27日

全国津々浦々の考証(その6)

全 国 津 々 浦 々 の 考 証 (その6)
~東京で仁丹発見!!!④~


これまでもこのブログで発表してきたように、京都仁丹樂會では、京都で木製および琺瑯製の町名表示板が設置された時期に関して

 【木製の始期】 明治43年かその直後
 【木製のピーク】 大正一桁の前半
 【木製の終期】 大正7、8年頃

 【琺瑯製の始期】 大正末期(遅くとも大正14)
 【琺瑯製のピーク】 昭和 3年まで
 【伏見市の時期】 昭和 4年頃
 【右京・左京の追加】 昭和 6年頃
 【琺瑯製の終期】 昭和10年頃



という推定をしました。

東京市の公文書『町名札ニ関スル書類』からすると、東京において木製の町名表示板の設置が進んだのは、大正7年12月から大正9年10月でした(全国津々浦々の考証 (その4)~東京で仁丹発見!!!②~)。京都において木製町名表示板が終期を迎え、琺瑯製の設置が始まる、ちょうどその間の部分と重なってきます。

前回紹介した古写真から発見された東京の木製の町名表示板3枚を、京都のものと比較してみるとどのような特徴が見えてくるでしょうか。


京都では上の写真のように、細かいレイアウトが微妙に異なることがお分かりいただけるかと思います。仁丹のロゴは表示板上部に付けられ、その下の住所表記の多くでは、区の表示はなく、通り名が小さい文字で表記され、その下に大きく町名が記されるパターンが多くみられました。



また、商標の下に通り名の一部をローマ字で表記しているものや、方向を示す指先マークを描いているものも見られます。デザインを模索している途中であったのではないかと思われます。






今回発見した東京の町名表示板に関してはまだサンプル数があまりに少ないため、書式を特定できる状況にはありません。今後の画像や資料の発掘しだいで、京都同様にレイアウトの異なるものが発見される可能性ももちろんあります。ただ、現時点で写真で確認できている範囲では、この「尾張町」のもののように、ロゴは下部にあり、上部に小さい文字で区名が記され、その下に太字で町名、その下に丁目、番地が書かれるという形式になっています。区名を小さく横書きにするという表記は、京都では木製のものには確認されておらず、琺瑯製の町名表示板のほとんどで採用されている形式です。京都における木製、琺瑯製のちょうど間の時期に設置が始まった、という性格が表れているのかもしれません。

なお、京都では琺瑯製に代わると町名の文字が小さくなり、通りの名が大きく表示されるようになりました。これは「木製仁丹設置時期の裏付け発見 2」の回でも紹介したように、木製の町名表示板を設置した当時の『京都日出新聞』の投書欄に「何等の実用上功の無い町名其物を大書して何通何町何入の指示名を却つて小さく割書にしたのは字配の都合からかは知らぬが何だか間が抜けてゐるよ」という記事が載ったように、京都市民からの指摘を受け、琺瑯製に切り替える際にはより利便性の高い表記方法に改められたのではないでしょうか。




上の写真のように、同じ住所、町名の表示板でも、木製時代と琺瑯時代とでは、表記される通りと町名の文字の大きさが明らかに異なっています。


**********



京都の町名表示板には書かれていない情報として、写真で確認された東京の町名表示板には番地まで記されており、設置にあたってはその番地が該当する限られたエリアの建物にしか設置できないものとして作られたもののように思われます。これは、京都の場合、通りの名前を組み合わせた独特の住所の公称表示が存在していること、さらに東京においては当時地番と町名が錯綜しており、あまりにも規則性のない番地の割り振りが多くみられたために様々な支障をきたしていたことなど、それぞれの地域の実情が反映されているのではないでしょうか。



『読売新聞』明治36年2月21日


たとえば、明治36年2月21日の読売新聞に掲載された記事を抜き書きしてみると、
「東京ハ市街が曲りくねつて居る上、番地が乱雑になつて居て、十番地の隣に八番地があつて其の隣へ突然五番地が現はれて来るやうな始末だから、始めて行く家を探すのハ非常に骨が折れる。」


同様の指摘は他にも見られます。

東京は分りにくいと何人も非難して居るでせう。一つは市区整然としてゐないのと町名の乱雑が原因となつてゐるのです。此の町名の乱雑で市民地方人及び外人などが非常に迷惑してゐます。
…(略)
恐らく東京の番地ぐらゐ乱脈なところはないだらう。一寸知人の家を探すにもてんで見当が付かない。一、二、三と云ふ風に順々になつてゐたならば、どんなにか便利だらう。東京市の力で整理して貰へないものかしら。…(略)…一日中知人の家を尋ねて歩く時のなさけなさ、心細さ、又大切な時間をつまらないことにつかつてしまふことの口惜さ、誰もが一度や二度は、きつと経験をもつてゐることだらう。町にしても妙に入りくんで居て、今此処が△町だと思ふと、その向ひ側は▲町になり、その裏は又△町だと云ふ風になつて居るのも見受ける。

東京市政調査会 編『小市民は東京市に何を希望してゐるか』大正14年
(国会図書館近代デジタルライブラリー)


町界が複雑だというのは京都にも当てはまりますが、不思議にそのような苦情は聞きません。通り名を使って表現するのが主体なので気にならないのかもしれませんね。
とはいえ、上記のような状態が多くの場所で発生していたとすれば、地理に不慣れな観光客や来訪者はさぞかし不便な思いをしたことだと思います。東京の表示板に番地まで付していたのには一定の合理性があるように思えるのです。
~つづく~


京都仁丹樂會 idecchi


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Posted by 京都仁丹樂會 at 02:24│Comments(0)基礎研究
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