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2015年06月20日

仁丹と文学散歩 ~その2 水上 勉~

仁丹と文学散歩 ~その2 水上 勉~


浄瑠璃の一つに、「壺阪霊験記」があります。目の不自由な按摩師の沢市が妻のお里の信心と壷阪寺の霊験により、目が見えるようになったという感涙語りです。

十歳で若狭を出て京都の寺に入った水上勉は、中学を出た後、寺を抜け出し、行商や下駄屋の店番などを転々としました。この若くして体験した庶民の生活感覚が勉の体液となり、のちの市井の息吹を漂わせる筆遣いを育む要因となりました。

勉は、小さい時に家を飛び出し、職を転々と変えていった貞一という叔父に、強い共感を持ったようで、この叔父を題材にした作品をいくつか書いています。叔父は目の悪い母(勉の祖母)に壺阪霊験記のレコードを聴かせたり、眼病にご利益があるといって柳谷観音に祖母を連れて行ったりしています。この話を想起して書いたのが、『壺阪霊験記』(1953)です。この中の短編「下駄と仁丹」で、母と祖母が下駄の鼻緒を結んでいる傍らで、髪結い亭主づらの祖父がわめいている場面が出てきます。

~仁丹時報147号(昭和8年2月11日)より~


それは、
祖父が道楽をしたころのやつし金冠ののぞく前歯をみせながら、「はぁい、仁丹じゃ、仁丹じゃ。子供らこっち、大人はあっち、おっ母んやお父つぁんをよんでこいや」と高声でいっていた声がいまも耳にのこっている。ぼくは、この祖父から、小さな穴のある板金のサジでひと掬いの仁丹さえ、貰ったことはなかった。だが不思議に味だけはおぼえている。祖母か、母のどちらかにねだって、祖父のいないスキに口に入れたものだろう。その味は祖父が大声でいうほどのものでなくて、にっきと金平糖に似た甘味がまじっていて、二つ三つ舌にのせていただけで色がおち、口の中は真っ赤になった。
という印象的な文章です。

文章背景からおそらく昭和10年前後と思われる時代の仁丹は、現在のように銀白色ではなく、その上に甘味をつけた赤いニッキをまぶしていたようで、仁丹を信玄袋の中の缶にいれ、仁丹がちょうどはまる穴のあいたサジですくって口に入れるという、当時の食べ方、道具などがうかがえます。なぜか祖父はこの袋を片時も手放さず、祖父が中風で寝込んだ時に勉が袋を内緒で開けて仁丹をつまみ食いしたところ、仁丹のほかに下駄の鼻緒が出てきました。それは若い女物の別珍の鼻緒でした。祖父が決して信玄袋を祖母に見せなかった訳と男女の愛憎を、若年の勉がそれとなく気づく、細やかな描写がうねっています。

次回は、高見 順を訪ねてみましょう。

~京都仁丹樂會  masajin~


タグ :文学水上勉

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Posted by 京都仁丹樂會 at 09:38│Comments(1)文学と仁丹
この記事へのコメント
>文章背景からおそらく昭和10年前後と思われる時代の仁丹は、現在のように銀白色ではなく、その上に甘味をつけた赤いニッキをまぶしていたようで

銀粒仁丹の発売を調べたところ、昭和4年でした。
京都の仁丹町名表示板が「赤」の目立つ木製から「白」の目立つ琺瑯製に付けかえられたのは、もしかしたら銀粒仁丹の発売と関係があるのではという仮説もありましたが、琺瑯製は大正14年から昭和3年位までの設置と分かった今はその仮説は崩れました。

昭和10年頃となるとすでに銀粒が発売されていましたが、記事中の仁丹時報によると銀粒発売後の昭和8年でもまだまだ赤粒の地位は確固たるものだったのかもしれませんね。

ところで、現在までの各種仁丹の発売を森下仁丹の年表などからピックアップしたら次のようになりました。


明治38年11月 「仁丹(赤大粒)」発売
昭和 2年 7月 「赤小粒仁丹」発売
昭和 4年11月 「銀粒仁丹」発売
昭和 9年 7月 「ローズ仁丹」発売
昭和35年 4月 「強力仁丹S」発売
昭和35年 9月 女性仁丹「リミー」発売
昭和44年 8月 「梅仁丹」発売
昭和50年10月 「グリーン仁丹」発売
昭和53年 2月 「レモン仁丹」発売
昭和59年 4月 「白仁丹」発売
昭和62年 4月 「新うめ仁丹」発売
平成 4年 5月 「カプセル仁丹」発売
平成21年11月 「JINTN116」発売
平成25年11月 「梅仁丹120」発売

結構あるものなのですね。驚きました。
これらすべてが今現在も続いているわけではなさそうですが、発売は分かるもののいつまでかというのがいまひとつ分かりません。

色々と試行錯誤が繰り返されていますが、現在も売っている銀粒の仁丹は、果たして昭和4年発売のものと同一のものと言ってよいのでしょうか?
Posted by shimo-chan at 2015年06月20日 11:01
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