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2015年07月12日

仁丹と文学散歩 ~その3 高見順~

仁丹と文学散歩 ~その3 高見 順~


日記は三日と続かないものの代表です。この日記を小学生から56歳でガンに仆れるおよそ50年間書き続けたのが高見順です。しかも高見の日記は1日分が一つの短編になるような長いものもあり、結局、原稿用紙にしておよそ1万4千枚になりました。なかでも注目されるのは日本で一番忘れがたい年といわれる昭和20年の日記です。高見の没後に夫人の尽力で『敗戦日記』(1991年、文芸春秋社)としてまとめられました。


~昭和20年8月8日 毎日新聞より~

敗戦色が濃く、国民全体に焦燥と諦観が指数関数的頂点に達した昭和20年8月6日、広島は原爆を被弾しました。高見は、8月8日付毎日新聞の「広島に少数の新型爆弾を投下・・・・、各所に火災発生・・・・、今後は少数機といへども軽視することなく・・・・」という淡々とした記事を見て、「これでは、みんなのんびりするのは当たり前だ」とその被害抑制報道を嘆いています。当時高見は、久米正雄、川端康成、中山義秀らと『文学報国』という文庫本を発行し、執筆した文人仲間が交代で売り子までしていました。その売れ行きの不振を嘆いている時に、原爆が話題になりました。そのときの様子を9日の日記にこう書き留めています。

朝、久米家へ行った。文庫の支払金計算。川端さん、中山夫妻も来る。不還本がひどく多い。原子爆弾の話が出た。仁丹みたいな粒で東京がすっ飛ぶという話から、新爆弾をいつか「仁丹」と呼び出した。「そのうち、横須賀にも仁丹が来ますな」「二里四方駄目だというが、するとまあ助かりますかな」
昼食後、今日は私の当番なので、妻と店へ行く。いつもながらの繁盛である。「仁丹」が現われても、街に動揺はない。


大本営や新聞は、あくまで「小型の新型爆弾」で通し、爆弾の威力をつとめて矮小化していますが、高見ら文人はすでに原子爆弾という表現をしているところに、当時の教養人たちの透視力がのぞかれます。東京市では原爆直後ですら動揺も少なく、空襲の焼け跡を片付けるそばでいつも通り飲み屋は営業中、という平常と恐怖が混在する雰囲気でした。ただ、高見たちも、原爆の図体そのものは報道通り小型爆弾と認識したらしく、困惑気味に原爆を小粒でピリッとする「仁丹」にたとえています。この日記と同日に長崎にも原爆が投下されています。後日この小粒の本性を知った高見は、「仁丹」と比喩した自身をどう処したのでしょう。高見の膨大な日記の中で、「仁丹」という文字が現われたのはこの終戦の8月9日という歴史的な日だけ、というのも何かの因縁かもしれません。

次回は、太宰 治を訪ねてみましょう。

~京都仁丹樂會   masajin~


タグ :高見順文学

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Posted by 京都仁丹樂會 at 09:58│Comments(0)文学と仁丹
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