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2015年09月23日

仁丹と文学散歩 ~その5 宮本 百合子~

仁丹と文学散歩 ~その5 宮本 百合子~


昭和5年(1930年)。世界恐慌が起きて日本も失業と農業危機が深刻化し、労働者、農民の活動に支配権力の弾圧のせめぎあいの陰で、軍国主義の発露である戦争へのざわめきが刻々と押し寄せていました。この切迫した鼓動を自らにベクトル化したのが宮本百合子の『刻々』(1951年、中央公論社)です。百合子はこの年、3年にわたるソビエト旅行から帰国し、直ちに日本プロレタリア作家同盟に加盟し、翌年に日本共産党に入党しました。この自覚的階級的活動は、その後の百合子の生涯にわたって展開される弾圧抵抗の原動力に連鎖していきます。百合子は1932年、日本プロレタリア文化連盟を襲った大弾圧で検挙され、80日間拘留されたのをはじめとして、計3回検挙投獄の苦難を受けましたが、それら権力による弾圧がかえって百合子の運筆を促す反作用を加速しました。

百合子の拘留中に中川という看守長がひんぱんに声をかけてきます。目の前でわざと特高に電話をかけ、次のめぼしき連行者を指示し、権力を誇示してみせます。

自分(註:百合子のこと)を椅子にかけさせておき、「ちょっとすみませんが田無を呼び出して下さい」と、特高に目の前で電話をつながせた。「ア、もしもし中川です。明日の朝早く細田民樹(註:小説家)をひっぱっておいてくれませんか。え、そうです。細田は二人いるが、民樹の方です。ついでに家をガサっておいて下さい。――じゃ、お願いします」 そんな命令をわざわざきかせたりした。「――これも薯づるの一つだ」 そして、嘲弄するように、「マ、そうやってがんばって見るさ」 ポケットから赤いケースに入った仁丹を出して噛みながら言った。




看守長の権威主義と収監者へのおもねりの間に見られる相反性が、獄中の殺伐感をうまく緩和しています。しかし、『刻々』は当時の特高警察の取調べを暴露したため検閲を通らず、掲載の見合わせを余儀なくされ、結局発刊までに18年を要した、と夫の宮本顕治(元共産党委員長)は述懐しています。当時、仁丹は口なぐさめ、口腔清涼用にタバコと一緒にポケットに常備する人が多く、食後、喫煙後や会話途切れの一服、いわゆる‘生活における間(ま)’として愛用されたようです。看守長は百合子に、空威張りで負け惜しみを込めた皮肉を飛ばしながら、無意識にポケットを探りました。弁舌では百合子にかなわず、悔し紛れに思わず仁丹にすがろうとした姿が滑稽です。また、薄暗い房内に浮かぶ仁丹ケースの‘赤色’が、まるでレンブラントの「夜警」の‘光り’を彷彿とさせるような、鮮やかな色彩効果を放つと同時に、仁丹の‘間’としての役回りを十分に果たしています。

次回は、永井荷風を訪ねてみましょう。

~京都仁丹樂會 masajin~




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Posted by 京都仁丹樂會 at 09:54│Comments(0)文学と仁丹
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