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2016年03月15日

仁丹と文学散歩 ~その11 加能 作次郎 ~

仁丹と文学散歩 ~その11 加能 作次郎 ~
  

自らの少年期の難苦を描いた加能作次郎の処女作『世の中へ』(大正7年、読売新聞連載)は、出生地の能登に盛んな浄土真宗的な諦念に由来する穏やかな、人情味のある私小説で、自然主義後派の流れを汲む現実的で、広がりの大きい作品です。十三歳の作次郎は、継母に気兼ねする父親を憚り、ほとんど逃げ出すように故郷の山河に別れを告げ、四條橋の西詰めで宿屋を営む伯父を頼って京都に出ました。先に京都に出た姉と過ごす京都の雑踏は、商家の丁稚にとって、緊張と疲労が解けやらぬものでしたが、店務めは漁仕事からみれば退屈と窮屈そのものでした。そんなある八月の日盛りの中、まだ街の東西も知らず、言葉もろくに聞き取れない丁稚は、西洞院蛸薬師の伯父の妾宅まで、使いに出されます。小さな背中に背丈ほどの大包みを荷う恰好は、まるで亀が後脚に立って蠢いているようでした。


~大正10年頃の新京極~


私が來て間もない頃であつた。或る日私は使にやられた。眞中に四つ目の紋を、一端に浪華亭と白く染め抜いた一反風呂敷に、夜具か何かを嵩高かさだかに包んだ私の身體よりも大きな包みを背負つて、私は敎へられた通り、辻々の電信柱に貼つてある町名札を見ながら、西へ西へとよちよちと歩いて行つた。それが私が使に出された始めての經驗であつた。そして、もう四條通りも端に近い或る町の、狹い露地奥の小さなしもた家で、私はその大きな包みを下した。私は家の中へは上らなかつたが、入口の土間に立つて居ながら、奥の方に子供でも生んで寢て居るらしい若い女の姿を見た。それがお信さんであつた事が後になつて解つた。

道を尋ねる術も知らず、そんな勇気もない丁稚が唯一頼りにし、迷子にならず路地一つ間違いもしなかった「町名札」とは、一体何でしょう。大正10年3月に東京市は京都市に市の費用で施設した町名番地札の照会を出し、その返書に京都市は、「町名札は該当なし。町による道標は稀にあるが年月、予算は不明。各町には仁丹が貼付した町名札あり」としています。つまり、町や市製の町名札ではどうやらなさそうです。では、京都市もその存在を認めた仁丹の町名表示板のことでしょうか。しかし、京都での仁丹町名表示板は設置対象が家屋であり、辻々の電柱には貼られていないことから、それでもないようで、残念ながらその正体はつかめません。田舎から出てきて間もない少年を、迷わず行き先に導く水先案内となった“作り人知らず”の町名札は、今では京都の辻々を行き来した大正人の眼底に残るのみです。
次回は、海野十三を訪ねてみましょう。

京都仁丹樂會   masajin


タグ :加能作次郎

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Posted by 京都仁丹樂會 at 17:25│Comments(0)文学と仁丹
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