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2016年05月12日

仁丹町名表示板 京都だけなぜ? ~前編~

仁丹町名表示板 京都だけなぜ?

~前編~


仁丹町名表示板 京都だけなぜ? ~前編~


このような一般的な琺瑯看板は全く同じものを何枚も製作するわけですから、最も合理的な手順で工場で大量生産され、設置先を求めて全国各地へと送り出されたことでしょう。また、製作枚数や送られたエリアは予算や販売戦略に拠ったことでしょう。

しかし、町名表示板となると、事情はかなり違ってきます。個々に異なる町名を入れなければならない、同じものは何枚も要らない(おそらく一桁?)、設置先は限定、といったほとんど注文生産のような世界のはずです。

琺瑯製の仁丹町名表示板は、京都市の他に伏見市(現在は京都市伏見区)、大津市、奈良市、大阪市、八尾市、そして福山市の鞆の浦にあることが確認されていますが、その住所表記の文字部分は京都市のものだけがなぜか特異なのです。どう見ても手書きであり、しかも凹凸を全く感じないのです。

当ブログの 『コペルニクス的転回となるか!?』 で提言されたとおり、今、「リヤカー説」や「工場説」について改めて考え直さなければなりません。そのためには、京都の琺瑯製仁丹町名表示板がどのような材料で、どのような手順で製作されたかを正確に知っておくことが不可欠でしょう。それはすなわち、設置時期となった大正晩年から昭和初期における琺瑯看板の製作技法を知ることから始まるかと思うのですが、それがなかなか難しそうです。

何はともあれ、先ずは京都市と他都市との違いを明らかにするため、各都市の住所表記の部分を詳細に見ていきましょう。


※     ※     ※


伏見市の仁丹

伏見市とはいっても現在の京都市伏見区の一部のことです。伏見市は昭和4年5月1日に誕生し、昭和6年4月1日に京都市に編入されたのでわずか1年11ケ月だけ存在した市です。したがって、伏見市の仁丹町名表示板はその間に製造され設置されたものとなります。

町名部分を手で触ってみると、白い琺瑯をベースとするならば、青い文字部分はその上にぷくっと盛られた形で膨らんでいます。その様子、斜めからのアングルでお分かりいただけるでしょうか?

仁丹町名表示板 京都だけなぜ? ~前編~


ちなみに、商標部分の青色も赤色も同様に白の上にありました。

これら“高低差”の関係は、青・赤>白 といったところです。
この順序は次の写真のように、破損部分から覗く“断層”からも分かります。

仁丹町名表示板 京都だけなぜ? ~前編~


ところで、町名部分の毛筆体フォントは型が使われているようです。
次の写真をご覧ください。同じ町名の仁丹とメンソレータムですが、町名の文字が両者全く同一のようです。表示板全体のサイズや造りも酷似しているので、おそらくは同じ業者により製作されたものではないでしょうか?

仁丹町名表示板 京都だけなぜ? ~前編~




大津市・奈良市・大阪市の仁丹

次に大津市、奈良市、大阪市の仁丹町名表示板です。いずれも白地に、町名部分は黒い文字で、縁取りも黒です。

仁丹町名表示板 京都だけなぜ? ~前編~

左より順に 大津市、奈良市、大阪市


町名部分の様子ですが、周辺の白い部分に比べて明らかに窪んでいるのです。周囲の白い部分よりも1mm程度凹なのです。下の写真からもお分かりいただけるかと思いますが、伏見市の凸とは正反対に、これらの都市では凹となっています。

仁丹町名表示板 京都だけなぜ? ~前編~



商標の部分はというと、白をベースにして赤の部分は盛り上がり、「仁丹」なる黒い文字は町名と同じく窪んでいました。

仁丹町名表示板 京都だけなぜ? ~前編~



これら大津市、奈良市、大阪市における“高低差”は、赤>白>黒 の関係にありました。


ところで、大津市の「膳所網町」なる町名は昭和26年~39年の期間存在しました。大阪市の「南中道町四丁目」は昭和7年~45年の期間存在しましたが、昭和20年に空襲で罹災した一帯であり、さらに大阪市の他のものには昭和26年と刻印された設置許可のプレートも見られます。また、『日常保健に』や『仁丹歯磨』なるコピーはいずれも左横書きであることから、これらの都市の琺瑯製仁丹町名表示板はいずれも戦後の琺瑯看板全盛期のものと考えてよさそうです。


八尾市の仁丹

当ブログでは初めてとなりますが、一応、八尾市にも仁丹町名表示板があります。ただし、ご覧のとおり、趣きは随分と違います。横500mm縦195mmの横長で、大礼服のあの仁丹の商標はありません。

仁丹町名表示板 京都だけなぜ? ~前編~


文字の凹凸は、上部7割程度を占める町名部分については白い文字が緑をベースとしたら窪んでいます。下部3割程度を占める広告コーナーは、白をベースとして緑の文字も赤の文字も凸の状態でした。
つまり全体をとおして白色の上に、緑色と赤色が盛られたようになっており、“高低差”は、緑・赤>白 といったところです。

仁丹町名表示板 京都だけなぜ? ~前編~


全ての文字が左横書きであること、そして映画の全盛期を思わせるコピーなどから、当然戦後の製作でしょう。


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鞆の浦については後編でご紹介しますが、そもそも一般的に琺瑯看板の製作時期については戦前の大正末期~昭和初期、戦後の昭和30年代~40年代に集中します。この両者の間には、戦時中の資材不足などによる長い空白期間があります。

ここでご紹介した仁丹町名表示板は、伏見市は戦前組、大津市・奈良市・大阪市・八尾市は戦後組となります。もちろん京都市も戦前組です。長い空白期間と社会情勢の大きな変化を挟んだ、戦前組と戦後組の製法は全く同じだったのでしょうか? 戦前組の京都市は文字部分がフラット、伏見市は凸、戦後組はすべて凹という特徴は、試行錯誤的な時代と製法が確立した時代の違いを示しているのではないかと考えるようになりました。

それでは、私たちのメインテーマである京都のものはどのような特徴を持っているのでしょうか? 後編で詳しく見て行きたいと思います。

~つづく~

京都仁丹樂會 shimo-chan



タグ :琺瑯

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Posted by 京都仁丹樂會 at 05:24│Comments(0)永遠のテーマ基礎研究
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