2012年01月03日
仁丹町名表示板 基礎講座・第五章 ~はじめに~
第五章 「仁丹町名表示板」の設置範囲
<1> はじめに
去年7月に開講しました仁丹町名表示板基礎講座、しばらく中断しておりましたが、新年を迎えて再び始まりました。
振り返ってみますと、第一章の予備知識では、仁丹町名表示板の設置を推し進めていった「森下仁丹株式会社」の歴史を紐解き、仁丹町名表示板を生み出したパワーの根源が何だったのかを探りました。続く第二章から第四章では、京都と他都市に設置された仁丹町名表示板の比較を試み、表示板の表記方法やルールを、その仕様ごとに分類し検証してみました。特に、京都の仁丹町名表示板を印象付ける独特の住所表示(公称表示)については、様々な具体事例を挙げながら、その特徴を見ていただきました。そして、理解を深めていただけたことと思います。
ここまで基礎講座を読み進んできて、今までは仁丹町名表示板のどれもが同じ様に見えていた方も、表示板一枚一枚の表情が見えてきたのではないでしょうか。そして、いろんなことが気になりはじめたり、忘れていたことを思い出したりしていませんか。例えば、それぞれ一枚ごとに書かれている町名や通り名の文字に秘められた歴史や物語、さらには、祖父母や両親に聞かされていた昔の話、はたまた、町内にある祠堂やぽつんと佇む石碑道標の類いや古い町家の家並みなどなど。
これぞまさに、あなたがもうすでに京都を学び知る京都学の入り口に立っている証しではないでしょうか。そういった意味では、仁丹町名表示板は京都学を歩むための最適の手引きになってくれることでしょう。
さて、この第五章では、一定のルールに基づいて表記されている仁丹町名表示板たちが、京都の町のどんな地域に設置されていったのか、現存している仁丹町名表示板を紹介しながら、その設置範囲に焦点を当てて、設置当時の実態を検証してゆきたいと思います。 また、仁丹町名表示板の設置が進められていった頃は、京都市が周辺の郡部や町村を呑み込みながら拡大していった時代とも重なっています。その合併吸収の推移を年表にしてまとめてみましたので、あらためて京都市の拡大を検証する資料としてご参照下さい。
Posted by 京都仁丹樂會 at 12:20│Comments(0)
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