仁丹町名表示板 基礎講座六 「設置時期」 ⑤木製の始期

京都仁丹樂會

2012年05月04日 06:48



~ 明治43年か、その直後? ~


琺瑯製設置の一大ピークがヨンヨンイチ、昭和4年4月1日よりも以前にあったとして、さらにそれ以前には木製の設置があったはずです。

木製の設置を進めている過程で琺瑯製の方が優秀とばかりに途中から変更されたとも考えられますが、木製仁丹の存在が確認できたのは今で言うところの上京区、中京区、下京区のみならず、北区の柏野や東山区は本町通りの本町十七丁目など琺瑯製に負けず劣らない広い範囲をカバーしていた節があることや、木製の上に琺瑯製を上張りしているケースも複数確認できていることから、もしかしたら琺瑯製の設置が始まる前にすでに木製の設置が一段落していたとも考えられそうです。




さて、木製の設置がいつから始まったか、つまり始期を考えるときに重要となるキーワードは100周年記念誌にある“1910年(明治43年)”、“郵便配達人”、そして基本的なことですが『仁丹』なるネーミングとビスマルク似のトレードマーク(商標)の誕生時期です。木製にはすでに仁丹とその商標が描かれているのですから。

80年史によれば「仁丹」なるネーミングが商標登録されたのが1900年(明治33年)であり、製品として発売されたのが1905年(明治38年)2月11日、ビスマルク似の肖像の中に仁丹とう文字が描かれたトレードマークは仁丹発売の前年には誕生していたであろうとされています。
現実に仁丹が発売された明治38年の広告には、すでにこの形のトレードマークが登場しています。
ちなみに郵便制度は明治初期に始まっていますので問題ありません。

これらのことから100年史にある「1910年(明治43年)から」というのは何ら矛盾するものではなく、今のところこれ以外によりどころもないことから木製の設置時期は京都にそのままあてはまるのかどうかわからないものの、とりあえず明治43年頃と推定したいと思います。
ただし、デザイン上からは明治38年まで遡ることは可能でしょうが。

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