永遠のテーマ 商標の上と下

京都仁丹樂會

2012年08月26日 23:06

※当記事は2012.9.1上書き訂正をしました。
詳しくは2012.9.1付コメントをご覧ください。


仁丹探しをされた方ならば、必ず気付くことに商標の位置の違いがあります。

森下仁丹株式会社の商標、すなわち”ビスマルク”とか”薬の外交官”などと言われている例のカイゼル髭のおじさんのマークのことですが、表示板の上端にある「上タイプ」と、下端にある「下タイプ」の2つのバージョンが存在するのです。



「上タイプ」は上京区に多く存在するのですが、よくよく見ると中京区や左京区でも見られます。

商標の上と下。
なぜなのか分からないのです。今のところ、解決が見込めない”永遠のテーマ”なのです。


そこで、少し踏み込んで検証してみました。

先ずは統計資料からです。
私たちがかつて存在を確認した琺瑯仁丹の数は1264枚です。この数字には平成の復活バージョンは含んでいません。
このうち、「上タイプ」が266枚、「下タイプ」が998枚という内訳です。
「上タイプ」はおよそ21%を占めることになりました。


~2012.9.1現在 京都仁丹樂會調べ~


この「上タイプ」266枚について、さらに詳しく分布を調べてみました。
例のごとく学区単位で集計してみたら、先ずは上京区の場合、次のような興味深い結果が得られました。


~2012.9.1現在 京都仁丹樂會調べ~


「上タイプ」しか確認できていないのが、嘉楽、桃薗、小川、京極、正親、聚洛、中立の各学区。
原則として「上タイプ」だが、一部「下タイプ」も見られるのが、成逸、乾隆、西陣、翔鸞、待賢の各学区。

一方、すべてが「下タイプ」なのは、室町、仁和、出水、滋野、春日の各学区。
原則として「下タイプ」だが「上タイプ」も一部混在するという学区はなし。

とにかく、現時点でのデータではこのようになりました。

これらを地図で表現してみると次のようになります。ベースとなっている学区地図は、上京区役所HPのものを利用させていただきました。



いかがでしょうか?
学区単位で集計を取ることが果たして良いのかどうか分かりませんが、なんだか学区単位で設置が進んでいったのではないかということを強く連想させる結果となりました。
少なくとも「上タイプ」と「下タイプ」をランダムに設置していたとは思えません。

もし、「上タイプ」と「下タイプ」とで、設置された順番があったとしたならば、それはやはり「上タイプ」が先だったのではないでしょうか?
理由は、木製が基本的に上だったのでそれを踏襲した可能性があること、明らかに後から設置されたロクヨンイチ組の右京や左京が下であったことからです。
そして、「上タイプ」が先に設置されたのであれば、学区地図における青と水色の両エリアで先ず設置が進み、その後何らかの理由で「下タイプ」に変更されて茶色のエリアを設置、さらに水色エリアにおける追加分が「下タイプ」であった。このような推理の道筋が成り立つのではないでしょうか。

ちなみに、成逸、乾隆、西陣の各学区では原則として「上タイプ」ですが、1枚だけ「下タイプ」が混じっています。
気になるでしょうから、ここに紹介しておきます。



また、翔鸞学区の9枚も気になりますよね。
上七軒の真盛町4枚と社家長屋町2枚、突抜町1枚、西今小路町1枚、そして御前今出川上ルの北町が1枚です。

最後の御前今出川上ルの北町については琺瑯仁丹が3枚確認できており、そのうちの1枚のみが「下タイプ」なのです。
次の写真のとおりです。




次に上京区以外の分析です。

中京区では現時点では城巽、龍池、初音の3学区のみに「上タイプ」が存在している結果となりました。次のとおりです。

~2012.9.1現在 京都仁丹樂會調べ~

ここにも学区単位という結果が顕著に表れました。非常に興味深い結果です。
初音学区に「下タイプ」が1枚確認できましたが、城巽・龍池学区は現在のところすべて「上タイプ」しか確認されていません。

これら3学区の位置関係は次のようになります。この学区地図も中京区役所HPにあったものを利用させていただきました。



中京区の真ん中の隣接した3学区にのみ「上タイプ」が色濃く存在しているとは、ここでもやはり学区単位での設置計画があったのでしょうか。
念のため周囲の学区を点検してみましたが、やはり現時点では「上タイプ」はこの3学区でしか確認されていませんでした。

なお、初音学区の下タイプ1枚は次のものです。




あと、左京区は次のとおりです。


~2012.8.8現在 京都仁丹樂會調べ~


実は左京区の場合、「上タイプ」は新洞学区にしか存在しないのです。しかし、100%「上タイプ」なのです。
地図はありませんが、新洞学区というのは三条京阪の北側から二条通りまでの学区で、新〇〇通がいっぱいある一画です。

※      ※      ※


以上のことから、謎を解くまでには行きませんでしたが、「上タイプ」はどうやら学区単位で集中していることは言えそうです。

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ところで、なぜ「上タイプ」と「下タイプ」が存在するのか?
以前、当ブログでもやりとりのあった、いくつかの説を、ここで改めて紹介しておきます。

≪上京・下京 一目瞭然説≫
上京区と下京区しかなかった昭和4年以前、上京区は商標を上に、下京区は商標を下にして一目瞭然にしようとしたのではないかという説。もしかしたら、そのつもりで設置を始めた可能性もなきにしもあらずだが、現状を見れば成り立たず。

≪上から目線説≫
一般の縦長の琺瑯看板では、商標の位置は圧倒的多数が上である。だから、仁丹町名表示板も当然のように上に付けた。しかしながら仁丹の場合は髭を生やした威厳のある人物であった。上から見下ろしているのがけしからんとなったので、途中から下につけるようになった。森下仁丹の商標自体も、世の中の空気を読んで髭の長さを短くしているなど、上から目線の是正もあったのではないかという説。

≪宣伝効果説≫
京都の仁丹町名表示板は、大津や奈良と違って90センチの長尺である。それがむしこ窓に設置されたら、上端の商標が軒下の影になって目立たない。広告がより目立つようにと下にしたという説。

≪デザイン説≫
単なるデザイン上の問題。上にあるより下にある方がバランスがよかろうという説。

ということで、いずれの説も決め手がありません。謎は謎のまま、やはり”永遠のテーマ”でしかないようです。
みなさんはどのようにお考えでしょうか?

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