永遠のテーマ 木製仁丹 謎の記号

京都仁丹樂會

2013年12月15日 22:31

謎多き仁丹町名表示板の研究課題の中でも、おそらく解明できないであろうという課題に対して、「永遠のテーマ」なるカテゴリーを与えています。

第一弾は、永遠のテーマ 商標の上と下
第二弾は、永遠のテーマ 設置方法    でした。
            ↑ 青字の部分をクリックすると記事にリンクします。以下も同様です。 

さて、今回は第三弾です。
それは木製仁丹の左下に記されている記号です。

琺瑯製には見られない不思議な記号が、木製仁丹には見られるのです。
とは言っても、木製仁丹自体がほとんど姿を消してしまい、残っていたとしても色褪せていて読み取れない場合が多く、判読可能なものとなると限られてくるのではありますが、とりあえず以下のようなものがあります。


先ずは、ご存知、西陣の慈眼庵町ですが、この左下に目を凝らすと、菱型の枠の中に『六.八』と読み取れる記号が見られます。




次に、昨夏、突如としてお地蔵さんの裏から出現した上柳原町にも同じく菱型の枠に『六.』と読める記号があります。残念ながらの部分は解読できませんが。




さらに、東福寺の上野酒店さんで保管されている本町十七丁目では、丸の枠内に『五.十』と記されているようです。




※     ※     ※


さて、これらの記号は一体何を意味しているのでしょうか?

単なる設置する側の整理番号でしょうか?
それとも、設置を認めた許可番号みたいなものなのでしょうか?
菱型枠と〇枠との違いは何か意味があるのでしょうか?

西陣学区の慈眼庵町が    六.八
室町学区の上柳原町が    六.
月輪学区の本町十七丁目が 五.十

昔の番組の番号であるとか、学区に起因する番号ではなさそうです。

idecchiさんの研究発表 明治期の新聞にみる仁丹広告(7) では、少なくとも明治44年以後は管轄の警察署から許可を得なければならなかったようです。
その関係の番号なのでしょうか?
大阪の仁丹町名表示板の場合は、認可に関わる金属製のプレートが一緒に設置されているように、それと同様のものなのでしょうか?

認可された時期が大正6年8月とか大正5年10月なのでは?と考えれば記号の意味は通りますが、でも、これもidecchiさんの発表 木製仁丹設置時期の裏付け発見 2/2 で大正元年から2年という早い時期から御大典の大正4年までにほぼ設置を終了していたと考えてよさそうなので、大正5年、6年というのはいささか該当しそうにありません。

ということで、推理を試みるも、やはり迷宮に立ち入ってしまいました。
それにデータが3つだけというのも無理があります。とは言っても、データ数は今後も期待できませんが。

みなさんの推理はいかがでしょうか?

京都仁丹樂會 shimo-chan


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