仁丹町名表示板の正確さと不思議

京都仁丹樂會

2013年05月04日 17:15



京都新聞4月19日夕刊の記事です。

昨年1 0月14日の、まいまい京都「京都仁丹樂會といく、下京の仁丹町名表示板」でも話題になりました、京都市広報板に表示されている住所表示のことですね。

広報板の下に張られている、白い横長のプラスチックに住所表示がしてあるのですが、それが現状と一致していない、あるいは間違っている、読みが違うというものです。

日頃あまりじっくり眺めることはなく、また見たとしてもその疑問に気付く人は京都で生まれ育った人か、京都に詳しい人だけでしょう。

広報板は広報板であり、住所表示板ではないのですから、その住所表示についてあれこれ言うのは酷と言えば酷なのですが、ただ役所が設置しているとなるとそれが正しい住所表示だと思い込むのが一般です。
そこが問題なのですよね。

一度このことに気付いてしまうと、広報板を見るたびについついあら探しをするかのように、住所表示も見てしまうのですが、疑問を抱くような表記はいっぱいあります。

設置場所の移転にともなう住所表示のズレは大目に見るとしても、問題はこれはいくらなんでも最初からおかしいやろという住所表示です。

例えば、これ↓ 一例です。


下 京 区 烏 丸 東 入 ル 匂 天 神 町
Shimogyo-ku Karasuma Higashi Nioitenjin-cho


「えっ!」と声が出そうになりました。

設置場所の住所表示は正しくは、
  下京区高辻通烏丸東入上る匂天神町
もしくは、
  下京区仏光寺通烏丸東入下る匂天神町
であって、”烏丸東入ル” はあまりに乱暴です。

ちなみに、近くの仁丹は次のように正確な表現で、正確な場所に設置されています。



※  ※  ※


ところで、なぜこのようなことが起こるのでしょうか?

思うに、設置希望は町内会からおそらくは区役所に要望が寄せられ、そして作成から設置まで業者に丸投げされているのではなかろうか? と想像します。

要望から設置までの間に、住所表示のチェックがかかっているのかどうかです。
もし、かかっているのであれば担当者があまりにも無知だということになります。

でも、もしかしたら役所でも部署が違うとこうなるのかもしれません。
京都の公称住所を扱っている部署を経験した人は当然のように知っていても、そうでない場合は知らないということがあるのかもしれません。

京都の住所表示のルールは独特です。日本唯一でしょう。でも、京都では“常識”です。
果たして、その ”常識” を職員のみなさんがご存知なのかどうかです。
京都の人ばかりではないでしょうから。

先日、芦屋小雁さんの「京都人の取扱説明書」なる本が出版されました。
京都のローカルルールを紹介したようなもので、その中に住所の説明もありました。

ひょっとしたら、京都の住所表示は “常識” であって、いちいち研修などを設けて教える以前のことなのではないか?と今回の記事で、ふと、そこまで考えてしまいました。

※  ※  ※


でも、観光客を呼び入れ、歩くまち京都を謳うのであれば、放置できるものではないでしょう。
観光客に親切どころか、かえって間違いを起こさせるとか混乱させるような罠を仕掛けているようなものです。

ときおり、この白い住所表示のプレートが取り外されているものを見かけますが、もしかしたら不適切なので取り外されているのもあるのかもしれませんね。

広報板は町内会のためにというのであれば、むしろ町内会名を表記した方が地域色が出ていいなと思いますし、住所表示板としても役立てるというのであれば、もっとしっかりとチェックするべきでしょう。

設置場所が決定したら、正しい住所表示は自ずと決まるわけですから、新聞記事にあるような "京都の地名は難しい漢字が多いことが理由と考えられる"なんていう弁明は全く理解できるものではありません。

※  ※  ※


ここまで書き進んで、ふと思い立ち、京都市情報館を見てみました。
すると「広報板」で検索したらすぐに 設置要綱(リンクしています)なるものが見つかりました。

そして、広報板の下部は「町名表示板」として位置づけられており、さらに「町名表示板を取り付ける場合は、設置場所の住所を記載するものとする」とあります。

なるほど、それでは正確に記載しなければ、と思いましたが、どのレベルまでを想定した住所なのか、ちょっとひっかかりました。

また、“取り付ける場合は”とありますから、取り付けなくてもよいとも受け取れます。
だから、間違っていたら外せば問題は解決なのかも。

※  ※  ※




ところで、広報板の住所表示がこんな状況なのに対して、仁丹町名表示板の表記の正確さ、設置場所の厳格さと言ったらあまりにも立派です。

上の写真は ”究極の90度” です。
柱のどの面に設置するかで変わる京都の住所表示のルールを見せつけてくれます。
簡単なようですが、大変なことだったでしょう。

いったいどうして、仁丹はこれほどまでに正確さにこだわったのでしょうか?
不思議でなりません。

琺瑯仁丹は大正時代から設置が始まり、昭和の御大典で加速度的に設置が進んだのではないかと『基礎講座六 「設置時期」⑧琺瑯仁丹と御大典』で述べましたが、御大典で多くの人が訪れることを意識した行政側が、住所表示もインフラの一種であるとして、正確な表現で正確に設置することを条件に、森下仁丹に設置を認めたのではないでしょうか?


あくまでも推理ではありますが、広告と公共性という利権が一致、持ちつ持たれつの関係だったのではないか?と想像するに至りました。
さて、裏付ける資料が今後出てくることがあるのでしょうか?


~京都仁丹樂會 POOH、shimo-chan~


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