大阪にも埋蔵仁丹が

京都仁丹樂會

2015年02月21日 08:48

当ブログをご覧になった大阪市の石田さんから、“大阪にも埋蔵仁丹があるよ” とその写真を提供してくださいました。このようなものです。


~ご提供 大阪市の石田さん~

貴重な情報、ありがとうございました!

京都の仁丹町名表示板のことを調べるには、他都市の仁丹町名表示板はもちろんのこと、ある程度はその他一般の町名表示板のことも知っておかなくてはなりません。
大阪の仁丹町名表示板は、京都市のようにたくさんは残っておりませんが、設置された当時はたくさんあったように思います。

それは、現存する町名表示板が大阪市内の広い範囲から見つかることでもわかります。
設置時期が、大阪特有の許可証(「仁丹町名表示板大阪市の場合」 リンク先参照)を参考にするならば、昭和26年3月16日。これは戦争も終わって6年たっています。もっと残っていても良さそうなものなのに。

ですが、大阪は京都のように住所が通り名ではないところから、町名が変われば、古い看板は、ややこしいだけの邪魔者になってしまいます。昭和40年3月、大阪市は住所の表示をわかりやすく合理的に改める『住居表示に関する法律』を施行し、その中で仁丹町名表示板は、舞台を去らなければならなかったのでしょう。


~昭和40年新しい住居表示の整備(写真で見る大阪市100年より)~


そう考えると、今ある大阪仁丹町名表示板は、歴史のすきまをくぐり抜けた貴重な生き証人とも言えます。今回のように、消滅を免れ、埋蔵していただいていたことは、ほんとうに奇跡と言えます。ありがとうございました。

※     ※     ※


今回ご提供のデータ3件を入れて次のような表をつくりました。
ここで言う赤仁丹・黒仁丹ですが、京都市では商標の色使いは1種類なのに対し、大阪市では2種類が確認されています。「赤仁丹」とは大礼服の中の仁丹なる文字が赤色のもの、黒仁丹とはそれが黒色のものを私たちはそう呼んでいます。



ご覧のように現在のデータからは、赤仁丹と黒仁丹は区毎に基本的に使い分けされていることがわかります。これらをさらに地図で表すと次のようになります。




ちなみに、京都市では同じ商標でもその位置が上に描かれているのと下に描かれているのがあり、それぞれ“学区”というかつての小学校の通学区域毎に顕著に分かれているのですが、そのことを思い起こさせます。( 「永遠のテーマ 商標の上と下」 リンク先参照)

なお、旭区においては次のように赤仁丹と黒仁丹の両方が見つかっています。



他区においても、今はまだ見つかっていないだけで、もしかしたら両方あったのかもしれません。今後のデータの“発掘”が待たれるところです。

~京都仁丹樂會 ゆりかもめ~

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