公称表示は明治22年4月1日から
さて、このような通り名を使った住所表示と言うのはいつからあるのでしょうか?
そのルーツは条坊制の平安京にまで遡るのでしょうが、様々な通り名が付けられたのは戦国時代なのだそうです。
その後、新たな通りが次々に誕生し、同じ通りでもエリアによって呼び名が違うなど、歴史や生活に密着しながら長い長い歳月をかけて名称は様々に変貌を繰り返しつつ、現在に至っているようです。
今現在でも新たな通り名が誕生していますから、この流れは今も生きていると言えるでしょう。
ところで、このような通り名の組み合わせによる公称表示が正式に定められたのは、どうやら明治22年4月1日からのようです。
次のような告示がありました。
明治22年3月28日京都府告示第24号 「諸官庁へ差出す書面の記載方」
京都市街人民並に各郡町村の内、今般数町村を合併せし町村人民より府庁其他諸官庁へ差出す書面の住所記載方の義は、来る4月1日より左の書式に依るへし
京都市何区何通何小路何町上ル下ル又は東入西入何町何番戸
何郡何町村字何何番戸
~ 一部省略 ~
昔の文書なのでいささか分かり難い部分もあるのですが、要するに京都府が府下の市町村やその住民に対して住所表示の統一を指示したものであり、ここにしっかりと京都市中においては通り名を用いた住所表示にも言及しています。
この通達によって戸籍簿や登記簿の住所表示の方法が定められたとありますので、現行の住所表示は明治22年4月1日から正式にスタートしたものと考えてよさそうです。
公称ですから複数の名称、読み方がある場合、“どちらでも良い”と言うわけにはいきません。
役所が強制的にいずれかに決めてしまうことになります。
でも、今使われている公称の住所表示を見ていると、通り名やその組み合わせの部分については、地元で使われて定着しているものを最大限認めているように思えます。
現実に私たちが転入届などをするときは通り名の組み合わせはその町名で認められている範囲内で自由に選ぶことができるという点では、他都市では見られない“選択の余地”があるということになります。
以上をもちまして、京都の中心区における公称の住所表示についての説明を終わらせていただきます。
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