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2024年04月09日

木製の設置経緯に迫る新聞記事発見!

昨年末に刊行した『京都を歩けば仁丹にあたる』の出版を記念して、1月末に大垣書店烏丸三条店さん主催のトークイベントが行われました。
(参照:https://jintan.kyo2.jp/e586346.html

その際ご参加くださった方にはお話しした内容にもなりますが、木製の町名表示板の設置時期とその経緯に、より迫ることのできる新聞記事に出会いましたので、ご報告します。


これまでにも、当ブログ、ならびにそれらをまとめた『京都を歩けば仁丹にあたる』のなかでもご紹介してきた通り、森下仁丹社内には木製仁丹の設置経緯を明示する資料は基本的に存在しておらず、古写真や新聞記事などからその設置時期の推定を進めてきました。

ブログ記事ではこちらです。(参照:https://jintan.kyo2.jp/e565991.html

大正元年8月末から9月初めの京都日出新聞(現京都新聞)の読者投稿欄「落とし文」に載せられた、読者からの投稿文にある内容がこれまでの時点では最も古い記事でした。といっても設置がされ、市民がそれを見かけてハガキを書き、記事に採用されるまでの期間が一定程度あるだろうことから、少なくともそれより前、つまり、この年の7月末までは明治45年ですので、明治45年には設置が始まっていたと考えてもよいのではないか、というのが、これまでの私たちの設置時期の推定でした。今回の新聞記事は、その内容の補強になるものだと思います。


今回新たに見つけた新聞記事は、京都日出新聞ではなく、大阪朝日新聞の京都版である、『大阪朝日新聞京都附録』の大正元年8月14日の紙面です。当時国内でも最大手の新聞であった大阪朝日新聞は、京都版として、「京都附録」というものを合わせて発行していました。地方図書館や国会図書館、大学などの図書館などでは、マイクロフィルム、契約している新聞データベースなどで閲覧することが可能です。

木製の設置経緯に迫る新聞記事発見!

大阪朝日新聞京都附録 大正元年8月14日


この紙面の一番下の段に次のような記事がありました。

木製の設置経緯に迫る新聞記事発見!


現代文風に書き直しますと、
●市内の町名札
京都市内各所の町名札の形状はまちまちで、体裁の悪いものも少なくなかったところ、大阪の売薬商森下博が、町名札の一部に仁丹の広告をつけ、市内各町に掲出したいと京都府警察部に届け出てきた。森下博が出願してきた町名札と従来のものを比べたところ、体裁も良く、一般公衆の目に留まりやすいものである。そのため、今後破損・退色した場合にはすぐ補修することを条件に、仁丹の町名札を認めることとした。出願形式も省略し、掲出場所は公同組合長に相談させたうえで対応するよう、所轄の警察署に連絡があった。



この新聞記事から分かる重要な点がいくつかあります。
① 森下博から、京都府の警察部に町名表示板掲示の出願がされた
② 市内には以前から町名札が設置されていたが、書き方はバラバラで体裁が悪かった
③ 森下の出願に対して、現行のものと比較した上で仁丹の方がよいと判断された
④ 府の警察部で一括して認めたので、個別の出願許可は省略された
⑤ 将来破損・退色した場合はすぐに補修させる条件がついた
⑥ 設置場所は「公同組合長」に相談させたうえで適宜対応とした


木製の設置経緯に迫る新聞記事発見!


明治以降、京都や東京など、主要都市各地には利便性をはかるため町名札の設置が進められました。これは当時の新聞記事や京都府の公文書でも出てくることです。例えば、次に示す『京都府布達要約』(京都府調査掛編纂、明治十四年十二月)には、明治元年九月の布達第五十三として、「今般町組御改正ニ付是迄町々木戸門其家毎表エ差出置候町名札左之雛形之通書改候様申付候事」として、町名札の雛形が図示されています。

木製の設置経緯に迫る新聞記事発見!

『京都府府令達要約』自明治元年至明治13年 [第1編],京都府内務部,明14-31. 国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/788398 (参照 2024-04-06)


なお、図の上部にある「何京」というのは、当時2つの区しかなかった京都市の「上京」「下京」を、その次に縦書きされている「何番組」とは、京都市内にある学区を表します。例えば「成逸学区」は「上京第一学区」、「乾学区」は「下京第一学区」というような形で、上京区には35学区、下京区に38学区が存在していました。昭和4年4月に現在の様な「成逸学区」「乾学区」といった学区名が正式に呼称として定着することになりましたが、これは、昭和4年に新たに中京区や東山区が分区して市内が5つの区になったときに、これまでの「何京何番組」という呼称が変化することの混乱を避けるとともに、学区の歴史を尊重するため、従来呼ばれていた学校名を正式に学区としたものです。(京都日出新聞 昭和4年3月31日)

おそらく、こうした上からの指示に応じて、明治初期にはまだ各町の入り口にあったと思われる木戸門や、各住宅の表に貼られていた札が書き換えられていったものと思われますが、基本的には各町ないし各家の自主的なもので、サイズや書かれ方もバラバラ、見づらいものになっていたのだと思います。

それに対して、森下博からの設置申請は、京都府(警察)側としても非常に魅力的な提案であったと思われます。現物を比較した上でこちらの方が見やすい、という判断がされていますし、もし劣化したり破損した場合には、すぐに補修させることも条件としていますので、警察・自治体側は一切費用負担が発生しないわけです。そのうえで、本来であれば都度都度各警察署にお伺いを立てなければならない設置申請について、府の本部で許可するので、各署にその旨宜しくね、と指示出しましたというわけです。その後の設置を容易にしたという点からすると、森下博が直接警察の本部に交渉をして、トップダウンでの設置を認めさせたことは、非常に才覚にあふれた手法だったと思います。

木製の設置経緯に迫る新聞記事発見!


木製の設置経緯に迫る新聞記事発見!

木製の仁丹町名表示板の例


以前ブログでも紹介したように、明治末、京都府は広告掲示に対する大変厳しい規制を行いました。京都府令第136号「広告物取締法施行規則」(1911(明治44)年8月11日)と、京都府訓令第54号「広告物取締法令施行手続」(明治44年8月22日)では、京都市内にも沢山ある御陵や御墓周辺をはじめ、勝地旧跡、鉄道沿線、高瀬川、堀川、鴨川沿いなどにも広告の設置が認められないことになっています。ただし、「公益性」のあるものについては例外とされました。(参照:https://jintan.kyo2.jp/c16856.html

記事を書いているidecchiの想像になりますが、森下博はまず、この京都府令、京都府訓令の地域に該当しない場所から、明治45年頃から少しずつ、町名表示板を付けて行ったのではないでしょうか。とはいえ、設置場所には様々な制限がありますから、市内何処にも付けられるわけではありませんし、一つ一つお伺いを立てていてはキリがない。いくつか設置したものと、それまで各町なりが自主的に付けているものとを比較させる形で、京都府の本部に掲出許可をもらいに行き、補修を条件に市内全域への設置許可をもらい、それを受けて同じ年(ただし元号が変わって大正元年)の8月以降、一気に市内各所への設置が始まったのではないでしょうか。

設置条件の一つである「破損・退色した場合の補修」も、その後につながる話です。明治末から大正初めの木製町名表示板の設置から十数年経過すると、当然ながら木にペンキ塗りの町名表示板の中には、退色がみられるものであったり、何かのトラブルで破損するものも出てきていたと思われます。約束通りに補修するのであれば、一気に、より耐久性が高く見栄えも良い琺瑯製の町名表示板が登場することにもつながっていくのです。

なお、記事中に出てくる「公同組合」とは、明治30年末から31年にかけて町単位に設置された京都独自の住民自治行政組織のことで、現在ある町内会に該当するものです。昭和15年に町内会となりこの「公同組合」は姿を消しましたが、記事からすると、設置に当たってはそれぞれの町内会と相談して場所を決めたという事ですので、各町の境目や辻々に住所に正確に町名表示板が設置されている、また、当ブログ「仁丹町名表示板 公称と通称」で紹介したように、地域によっては通称名などが追加されているものが存在するというのも、そうした各町との連携で設置されたとすれば、納得のいくところかと思います。
(参照:https://jintan.kyo2.jp/c13940.html))

こうした新聞記事や古資料、まだまだ各所に眠っているのではないかと思います。今後も引き続き、資料探索を進めながら、設置状況とその背景に迫っていきたいと思います。

~ idecchi ~



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Posted by 京都仁丹樂會 at 08:31│Comments(0)設置時期基礎研究
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