2025年05月18日
「雲龍」の裏に「仁丹」?
京都市内には仁丹町名表示板を踏襲したような様々な町名表示板が存在します。
これもその1枚です。

スポンサーは俵屋吉富さん。お馴染みの「雲龍」の広告を兼ねています。
3ケタの郵便番号の普及を契機として昭和40年代後半にでも設置されたものでしょう。同じデザインで広告部分のみが違うのが多数存在します。かのフジイダイマルもこのタイプです。
この写真の撮影は2004年10月、もう20年前です。
ところが、その時はまったく気付かなかったのですが、よくよく見るとその下からは見慣れた青い縁が覗いています。これは紛れもなく琺瑯「仁丹」! 今時分気付いても後の祭りで、すでに両者ともその姿はありません。地元に残っていたらいいのですが・・・
おそらく、商標が上にあって、「上京區中長者町通西洞院東入仲之町」と書かれていることでしょう。行政区は昭和4年4月1日を跨いでも同じ上京区のままなので、そのまま使用して差し支えなかった「仁丹」ですが、郵便番号普及の名のもとに上から貼られたのかもしれませんね。
なお、「仲之町」は上京区には4カ所もあります。成逸、小川、仁和、そしてこの中立学区です。中立学区の仲之町には、すでに1枚存在しています。


創業明治12年の老舗、澤井醤油本店さんです。
こちらは「上京區中長者町通新町西入仲之町」です。
これの、”新町西入”が”西洞院東入”でもう1枚あったのでしょう。
こちらにも3桁の郵便番号を書いた「フジイダイマル」がありますが、仁丹町名表示板は2階に設置されていたので上から被されることはなかったようです。


ちなみに、かつて、同じようなケースが下京区でもありました。


しかし、今は、仁丹町名表示板は復活しています。
これもその1枚です。

スポンサーは俵屋吉富さん。お馴染みの「雲龍」の広告を兼ねています。
3ケタの郵便番号の普及を契機として昭和40年代後半にでも設置されたものでしょう。同じデザインで広告部分のみが違うのが多数存在します。かのフジイダイマルもこのタイプです。
この写真の撮影は2004年10月、もう20年前です。
ところが、その時はまったく気付かなかったのですが、よくよく見るとその下からは見慣れた青い縁が覗いています。これは紛れもなく琺瑯「仁丹」! 今時分気付いても後の祭りで、すでに両者ともその姿はありません。地元に残っていたらいいのですが・・・
おそらく、商標が上にあって、「上京區中長者町通西洞院東入仲之町」と書かれていることでしょう。行政区は昭和4年4月1日を跨いでも同じ上京区のままなので、そのまま使用して差し支えなかった「仁丹」ですが、郵便番号普及の名のもとに上から貼られたのかもしれませんね。
なお、「仲之町」は上京区には4カ所もあります。成逸、小川、仁和、そしてこの中立学区です。中立学区の仲之町には、すでに1枚存在しています。


創業明治12年の老舗、澤井醤油本店さんです。
こちらは「上京區中長者町通新町西入仲之町」です。
これの、”新町西入”が”西洞院東入”でもう1枚あったのでしょう。
こちらにも3桁の郵便番号を書いた「フジイダイマル」がありますが、仁丹町名表示板は2階に設置されていたので上から被されることはなかったようです。


ちなみに、かつて、同じようなケースが下京区でもありました。


しかし、今は、仁丹町名表示板は復活しています。
~shimo-chan~
Posted by 京都仁丹樂會 at 15:45│Comments(0)
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