2015年06月07日
仁丹と文学散歩 ~その1 堀 辰雄~
仁丹と文学散歩 ~その1 堀 辰雄~

仁丹町名表示板への人の思い入れは十人十色です。
よく知らないが聞いたことはある人、思わず笑顔がこぼれて回顧に耽る人、まるで我が子のように行方を見守る人、ほっとけはおけずに保護活動に奔走する人、人、人。
この、いわば一企業の販促品を端緒とする看板が、なぜ、人々の生活史の琴線に触れる存在となって、それぞれのノスタルジーを刺激するのでしょうか。この答えを探るヒントとして、これから、文学作品における仁丹の描写場面を掘り起こして、作家たちと仁丹とのかかわりを読み解く旅に出発してみませんか。
この旅の最初の登場者は堀辰雄です。
堀は明治37年に東京麹町に生まれ、幼年期を向島小梅町で過ごしました。幼年期は近くの牛島神社や三囲神社で遊んでいたようで、その近くには一時、森鴎外も居を構えていました。昭和4、5年頃には川端康成も横浜桜木町から浅草にくると、堀の家に立ち寄ったようで、武田鱗太郎も訪問客の一人でした。
その堀が幼年期の思い出をまとめたのが、『幼年時代』(1938)です。
その中の「口髭」という章で堀は、母の面影に重なる煙草屋のおよんちゃんというおばさんとの悲哀を述懐しています。また、子供のころに口髭を生やした人に好感を持っていて、それが煙草屋からの帰り道にある仁丹看板の口髭姿を見るたびにうれしくなった様子を生き生きと描写しています。
その場面は、
“・・・・そのおよんちゃんの間借りしている煙草屋からの帰りみち、駒形の四つ辻まで来ると、ある薬屋の上に、大きな仁丹の看板の立っているのが目のあたりに見えた。私はその看板が何んということもなしに好きだった。それにも、大概の仁丹の広告のように、白い羽のふわふわした大礼帽をかぶり、口髭をぴんと立てた、或えらい人の胸像が描かれているきりだったが、その駒形の薬屋のやつは、他のどこよりも、大きく立派だった。それで、私はそれが余計に好きだったのだ。そして帰りがけにそれを見られることが、そうやっておばさん達のところへ母に連れ立って行くときの、私のひそかな悦びになってもいた。・・・・”
と表現されています。
自分の恵まれた子供時代と対照的であったおよんちゃんとの切ない時の流れを連想させるランドマークとして、四つ辻にあった仁丹看板を心の奥深く刻み込んだ堀の幼児期の心情が、てらいのない文章で綴られています。堀の幼い記憶にも仁丹看板が淡く、そして苦い回想の光を投げかけているのがよく伝わってきます。
次回は、水上勉を訪ねてみましょう。
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Posted by 京都仁丹樂會 at 09:45│Comments(0)
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