2017年08月29日
速報 木製仁丹の保存をめぐる嬉しいニュース!!
京都市内に残る仁丹の町名表示板、その数680枚ほど。そのなかでも、大正初期に設置されたと思われる(当會ブログ記事「木製仁丹設置時期の裏付け発見」も参照ください)木製の町名表示板(以下、木製仁丹)は、現存するものは両手に収まるほどしかありません。そんな「木製仁丹」をめぐるたいへん嬉しいニュースが飛び込んできましたのでご紹介したいと思います。
堀川今出川のほど近く、西陣の京都市考古資料館脇に「慈眼辻子」と呼ばれる細い通り(「辻子」)があります(当會メンバーの酒瓮斎さんブログ「辻子――慈眼・石屋・山名の3辻子――: 酒瓮斎の京都カメラ散歩」も参照ください)。
慈眼庵町のまちなみ

その辻子の名のついた「慈眼庵町」で現役の道案内を続けてきた木製仁丹は、とりわけ保存状態がよい町名表示板でした。というのも、耐久性の高い琺瑯製とは異なり、木にペンキが塗られているだけの木製仁丹は、長年の雨風や日射によって多くは彩色が色あせ、文字そのものも判読が厳しくなってしまうこともしばしばであるのに対し、この辻子の向き、また設置方向などが日光や雨風の影響を受けにくかったためか、設置当時の文字や仁丹のロゴなどが極めて鮮明で、彩色も鮮やかな状態が奇跡的に維持されてきたものであったからです。参考までに、当會メンバーが保存している別な木製仁丹の写真と比較してみると、いかに慈眼庵町の木製仁丹の状態がよいかが分かるかと思います。
左:慈眼庵町 中央・右 他町の木製仁丹(当會メンバー保存)

そんな慈眼庵町の木製仁丹が消えている!との一報が私たちに寄せられたのは3月末の事でした。設置されていた町家の隣家が取り壊しとなり、木製仁丹もなくなっているというのです。この木製仁丹は慈眼庵町の皆様もたいへん大切にされているものでもありましたので、きっと町内で保管されているのだろう、とその後の成り行きを見守っていたところ、5月に町内会長様より、隣戸の取り壊しに伴い損傷を防ぐため取り外されたとのことで、何せ劣化と盗難の危険性と隣り合わせでもあり、現物のまま再設置するのか、レプリカを設置して現物は町内で保管されるのか、など保存方法を検討中であるとの連絡をいただきました。
その結果を楽しみに待ちつつ、何かお手伝いできることが有ればと思っていたところ、先日、ふたたび町内会長様より、うれしいお知らせがありました。ちょうど町内に看板関係の方が越してこられ、相談されたところ、レプリカの製作をお引き受けいただき、本物はアクリルケースに収めて行事の際に出すよう町内持ち回りで保存されるということになったそうです。
このレプリカの出来栄えが素晴らしいの一言!
再設置されたレプリカ

「誰もレプリカに気付かず皆さん本物と思っております」との言葉通り、以前あったものの色合いをほぼ完ぺきに再現されています。
再設置された風景とそれを確認する近所の方々


(写真の人物部分を一部加工しました)
そして、大切に保存されることになった本物は、地蔵盆の折に町内に披露されたとのことでした。

私たち仁丹樂會でも、劣化が著しい木製仁丹をどのような形で長期保存すればよいか、また取り壊しなどの理由で町名表示板が消滅の危機に瀕した時、それを町内の財産として、設置されている町で保存もしくは再設置してもらえるようなよい方法はないだろうか、という議論をしていたところでした。今回の慈眼庵町の皆様がなさった取り組みは、劣化と消滅の危機に瀕している木製仁丹の保存のありかた、ならびに長年内外の人々に「道案内役」としての役割を続け、京都の歴史の生き証人となっている木製・琺瑯製の仁丹の町名表示板を、「町内の文化財」として一緒に大切に残していこうとされる取り組みの模範的なものとして、仁丹樂會一同、心より感謝申し上げたいと思います。
このような取り組みが京都市内に広がり、多くの皆様に、この貴重な文化財を一緒になって大切に見守っていただけるようなまちになって欲しいと強く願う次第です。
******************
堀川今出川のほど近く、西陣の京都市考古資料館脇に「慈眼辻子」と呼ばれる細い通り(「辻子」)があります(当會メンバーの酒瓮斎さんブログ「辻子――慈眼・石屋・山名の3辻子――: 酒瓮斎の京都カメラ散歩」も参照ください)。
慈眼庵町のまちなみ

その辻子の名のついた「慈眼庵町」で現役の道案内を続けてきた木製仁丹は、とりわけ保存状態がよい町名表示板でした。というのも、耐久性の高い琺瑯製とは異なり、木にペンキが塗られているだけの木製仁丹は、長年の雨風や日射によって多くは彩色が色あせ、文字そのものも判読が厳しくなってしまうこともしばしばであるのに対し、この辻子の向き、また設置方向などが日光や雨風の影響を受けにくかったためか、設置当時の文字や仁丹のロゴなどが極めて鮮明で、彩色も鮮やかな状態が奇跡的に維持されてきたものであったからです。参考までに、当會メンバーが保存している別な木製仁丹の写真と比較してみると、いかに慈眼庵町の木製仁丹の状態がよいかが分かるかと思います。
左:慈眼庵町 中央・右 他町の木製仁丹(当會メンバー保存)

そんな慈眼庵町の木製仁丹が消えている!との一報が私たちに寄せられたのは3月末の事でした。設置されていた町家の隣家が取り壊しとなり、木製仁丹もなくなっているというのです。この木製仁丹は慈眼庵町の皆様もたいへん大切にされているものでもありましたので、きっと町内で保管されているのだろう、とその後の成り行きを見守っていたところ、5月に町内会長様より、隣戸の取り壊しに伴い損傷を防ぐため取り外されたとのことで、何せ劣化と盗難の危険性と隣り合わせでもあり、現物のまま再設置するのか、レプリカを設置して現物は町内で保管されるのか、など保存方法を検討中であるとの連絡をいただきました。
その結果を楽しみに待ちつつ、何かお手伝いできることが有ればと思っていたところ、先日、ふたたび町内会長様より、うれしいお知らせがありました。ちょうど町内に看板関係の方が越してこられ、相談されたところ、レプリカの製作をお引き受けいただき、本物はアクリルケースに収めて行事の際に出すよう町内持ち回りで保存されるということになったそうです。
このレプリカの出来栄えが素晴らしいの一言!
再設置されたレプリカ

「誰もレプリカに気付かず皆さん本物と思っております」との言葉通り、以前あったものの色合いをほぼ完ぺきに再現されています。
再設置された風景とそれを確認する近所の方々


(写真の人物部分を一部加工しました)
そして、大切に保存されることになった本物は、地蔵盆の折に町内に披露されたとのことでした。

******************
私たち仁丹樂會でも、劣化が著しい木製仁丹をどのような形で長期保存すればよいか、また取り壊しなどの理由で町名表示板が消滅の危機に瀕した時、それを町内の財産として、設置されている町で保存もしくは再設置してもらえるようなよい方法はないだろうか、という議論をしていたところでした。今回の慈眼庵町の皆様がなさった取り組みは、劣化と消滅の危機に瀕している木製仁丹の保存のありかた、ならびに長年内外の人々に「道案内役」としての役割を続け、京都の歴史の生き証人となっている木製・琺瑯製の仁丹の町名表示板を、「町内の文化財」として一緒に大切に残していこうとされる取り組みの模範的なものとして、仁丹樂會一同、心より感謝申し上げたいと思います。
このような取り組みが京都市内に広がり、多くの皆様に、この貴重な文化財を一緒になって大切に見守っていただけるようなまちになって欲しいと強く願う次第です。
京都仁丹樂會
Posted by 京都仁丹樂會 at 01:10│Comments(2)
│トピックニュース
この記事へのコメント
隣が取り壊され看板が無くなっているのを見て
残念でなりませんでした
暫くの間、近くを通ると遠回りしてでもこの前を通り
掛かってなかな?と淡い期待をしていました
すると、また掛かっているのを見て込み上げるものがありました
しかし、よく出来たレプリカですね!
実物も大切に保管されているそうで本当に良かった!
私の心の中ではこの看板は西陣文化財です
どうか未来永劫、大切に保管してほしいです。
残念でなりませんでした
暫くの間、近くを通ると遠回りしてでもこの前を通り
掛かってなかな?と淡い期待をしていました
すると、また掛かっているのを見て込み上げるものがありました
しかし、よく出来たレプリカですね!
実物も大切に保管されているそうで本当に良かった!
私の心の中ではこの看板は西陣文化財です
どうか未来永劫、大切に保管してほしいです。
Posted by 西陣整体
at 2017年09月05日 23:10

西陣整体さん、この度は、逐次情報ありがとうございました。
ほんとうにいい形になりました。
お町内のみなさんに愛され守られ、
これからも素敵な姿を見せてくれることになります。
これからもよろしくお願い致します。
ほんとうにいい形になりました。
お町内のみなさんに愛され守られ、
これからも素敵な姿を見せてくれることになります。
これからもよろしくお願い致します。
Posted by ずんずん at 2017年09月17日 15:55