2023年08月19日
パワースポット誕生?
徳川家康と仁丹?
先日、2023年6月30日の京都新聞朝刊を見て、その奇妙な光景に目が点になりました。
家康も「仁丹」を好んで口にしていたという記事ではありません。いくら超ロングセラー商品でも、それは無理です。
早速、現地へ行ってみました。ここです。
確かに、紛れもなく、仁丹と徳川家康が至近距離におられるではないですか。
場所は、上京区の佐々木酒造さんの蔵です。
この仁丹町名表示板は今から10年前に佐々木酒造さんご協力のもと設置させていただきました。
その経緯については、当ブログ2013年07月27日の記事「佐々木酒造さんに仁丹町名表示板設置!」をご覧ください。
さて、新聞記事の内容は、次のような石碑が建てられたというものでした。
佐々木酒造さんの所在地には、その昔、徳川家康が住んでいたというのです。
その邸宅跡だという石碑でした。
ここは「聚楽第」の南に当たり、徳川家康の邸宅があったという史料に合致するのだそうです。
横には詳しい説明板も設置され、それによれば幕末には北側に徳川幕府若年寄の永井尚志邸宅があり、新選組局長近藤勇や坂本龍馬も訪問していたとあります。
なんとビッグな名前のオンパレードでしょうか。
そもそも、佐々木酒造さんといえば洛中唯一の酒蔵であり、俳優佐々木蔵之介さんのご実家としても有名です。そして、そこにはその昔、徳川家康が住み、近藤勇や坂本龍馬も近所を歩いていた。さらには、今年創業130周年を迎えた森下仁丹創業者にして日本の広告王の異名を持つ森下博氏も参集。
この時空の重なり、まさにパワースポットに思えてきました。
ちなみに、この石碑を建てられたのはNPO法人「京都歴史地理同好会」であり、その理事長は「御土居堀ものがたり」などで知られる中村武生先生です。先生の著書「京都の江戸時代をあるく」のあとがきでは、京都では「鎌倉・室町時代はまだしも、江戸時代なんて『昨日』のように扱われる」と述べられていたのが印象的でした。同じ尺度で言えば、仁丹町名表示板に関わる謎はまさに“今日”なのです。にもかかわらず、謎の多いことにもどかしさを感じます。
先日、2023年6月30日の京都新聞朝刊を見て、その奇妙な光景に目が点になりました。
家康も「仁丹」を好んで口にしていたという記事ではありません。いくら超ロングセラー商品でも、それは無理です。
早速、現地へ行ってみました。ここです。
確かに、紛れもなく、仁丹と徳川家康が至近距離におられるではないですか。
場所は、上京区の佐々木酒造さんの蔵です。
この仁丹町名表示板は今から10年前に佐々木酒造さんご協力のもと設置させていただきました。
その経緯については、当ブログ2013年07月27日の記事「佐々木酒造さんに仁丹町名表示板設置!」をご覧ください。
さて、新聞記事の内容は、次のような石碑が建てられたというものでした。
佐々木酒造さんの所在地には、その昔、徳川家康が住んでいたというのです。
その邸宅跡だという石碑でした。
ここは「聚楽第」の南に当たり、徳川家康の邸宅があったという史料に合致するのだそうです。
横には詳しい説明板も設置され、それによれば幕末には北側に徳川幕府若年寄の永井尚志邸宅があり、新選組局長近藤勇や坂本龍馬も訪問していたとあります。
なんとビッグな名前のオンパレードでしょうか。
そもそも、佐々木酒造さんといえば洛中唯一の酒蔵であり、俳優佐々木蔵之介さんのご実家としても有名です。そして、そこにはその昔、徳川家康が住み、近藤勇や坂本龍馬も近所を歩いていた。さらには、今年創業130周年を迎えた森下仁丹創業者にして日本の広告王の異名を持つ森下博氏も参集。
この時空の重なり、まさにパワースポットに思えてきました。
ちなみに、この石碑を建てられたのはNPO法人「京都歴史地理同好会」であり、その理事長は「御土居堀ものがたり」などで知られる中村武生先生です。先生の著書「京都の江戸時代をあるく」のあとがきでは、京都では「鎌倉・室町時代はまだしも、江戸時代なんて『昨日』のように扱われる」と述べられていたのが印象的でした。同じ尺度で言えば、仁丹町名表示板に関わる謎はまさに“今日”なのです。にもかかわらず、謎の多いことにもどかしさを感じます。
~shimo-chan~
Posted by 京都仁丹樂會 at 11:46│Comments(2)
│トピックニュース
この記事へのコメント
初めて知りました。京都にはまだまだたくさんの名所があるんですね。健
Posted by guild at 2023年08月19日 20:32
色々な歴史がありますね。
勉強になります。
ギルド洛南店 宮脇
勉強になります。
ギルド洛南店 宮脇
Posted by メガネのギルド洛南店 at 2023年08月20日 00:04