2013年07月27日
佐々木酒造さんに仁丹町名表示板設置!
※2012.7.30一部修正
あの佐々木酒造さんの玄関先に、何やら意味ありげに置かれた仁丹町名表示板。
実は、仁丹町名表示板をこよなく愛されている女性が、ネットオークションで購入され、元の場所に付けてくださいと私たちに依頼されたものなのです。
上京區椹木町通智惠光院東入西院町
なる表示です。上品な筆運び、そして90年近くの年月を経ているとは思えない美しさです。
* * *
地図で見たところ、椹木町通の智恵光院を東に入ったところとなるとマンションなど新しいお家が並んでおり、設置させていただけるような場所となると、佐々木酒造さんの蔵しかないことが分かりました。それも西寄り10mの部分に限られるのです。
造り酒屋さんの大きな蔵ですので、北伊勢屋町と西院町とにまたがって建っているからです。
佐々木酒造さんと言えば、洛中の唯一の造り酒屋さんとして知られていましたが、今や俳優の佐々木蔵之介さんのご実家としても有名になりました。
果たして私たちの要望をお聞きいただけるかどうか、不安を抱きながら、勇気をもって我らが滋ちゃんが会社の扉を開いたのでありました。
すると、私たちの不安をよそに、趣旨をご理解いただきご快諾いただけたという次第です。
* * *
さて、こうして日程調整の末、昨日2013年7月26日午前10時50分頃、佐々木蔵之介さんの弟さんでもあり佐々木酒造株式会社の現社長佐々木晃さん、お父さんであり日野トラックのCMですっかりお馴染みの前社長、私たち会員数名、そして寄贈してくださったとある女性が見守る中、当会会員テント虫さんによって神妙に設置されたのでありました。
6本の真新しいネジが眩く見えます。
そして、蔵にも溶け込むかのようにしっくりと調和しています。まるで昔からそこにあったかのようです。
今や一企業の広告の域を超えて京都の立派な文化財のひとつと考え、その保全活動も行っている私たちにとっても、記念すべき日となりました。
この時の様子は今朝の京都新聞にも紹介されました。
~京都新聞 2013.7.27朝刊より~
* * *
さて、この仁丹町名表示板、従来は全く違う場所に設置されていたものなのです。
智恵光院通の反対側、すなわち ”椹木町通智恵光院西入” に存在していたのです。
これがその当時の写真です。
中央の黄色の←の箇所に付いていました。椹木町通の智恵光院を西に入ったポイントから佐々木酒造さんの方角、つまり東を向いて撮っています。
智恵光院西入になぜ東入の仁丹なのか?
実は、今私たちが知っているこの付近の智恵光院通は戦時中の建物疎開跡を利用したもので、それまでは下立売通と丸太町通の間は二条城北小学校のすぐ東側の通りが元祖智恵光院通だったようです。
戦前に設置された仁丹は、じっとそのことを語っていたというわけです。
そして、最近、設置されていた家屋が解体され、オークションを経て、今様の智恵光院東入に帰ってきたというわけです。
設置場所は元々の場所ではなかったのですが、住所表記としては正しい場所になったという不思議な経緯を辿りました。
* * *
ところで、快くご協力いただいた佐々木酒造のみなさまには心より感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
みなさま、とても温和で感じの良い方ばかりでした。そういう意味でも佐々木酒造さんのファンになってしまいました。
感動のあまり、純米大吟醸を購入、午後からの予定もあって行き付けの居酒屋さんの冷蔵庫に預ってもらっていますが、今回のことを思い出しながら、舌鼓を打つつもりで楽しみにしています。
なお、佐々木酒造さんのお酒のラインナップは実に豊富です。
ぜひ、ホームページもご覧ください。
↑ リンクしています
見ているだけでも楽しいのですが、やはりここは実際に色々と飲み比べてみたいものです。
お酒を蔵元まで買いに行くというのも、日本酒好きにはたまりません。
蔵元に行ったついでに仁丹も見る、あるいは仁丹を見に行ったついでに蔵元にも立ち寄るというのもいかがでしょうか。
~京都仁丹樂會 滋ちゃん、テント虫、POOH、デナ桜、idecchi、shimo-chan~
※この記事は、最初2013.7.27にアップしたものですが、まっちゃさんのご指摘により現在の智恵光院通が戦前のそれとは違っていることが判明したため、関係する部分を2013.7.30訂正しました。※
Posted by 京都仁丹樂會 at 11:54│Comments(7)
│トピックニュース
この記事へのコメント
> 住所表示に厳格な仁丹のことですから、当初は智恵光院東入に設置されていたはずです。
こういうことは考えられないでしょうか。
元々設置されていた場所のすぐ西に細い路地のような道がありますが、これが元々の智恵光院通りとは言えないでしょうか?
この道は丸太町通りから下立売通りの間だけあります。そして、下立売通りとこの道の角にある家に「智恵光院通下立売下ル」と書かれた仁丹があります。
あくまで私の推測に過ぎないのですが、元々智恵光院通りは現在よりもっと細い道だったはずです。そして、道幅を拡幅する際にできるだけ直線的な道筋にするために新しく下立売通りから丸太町通りの間に道を造ったのではないでしょうか。
道幅の割に寺之内通りで唐突に終わっていたり、下立売通りで不自然なカーブがあったりと不思議に思うところがあります。
こういうことは考えられないでしょうか。
元々設置されていた場所のすぐ西に細い路地のような道がありますが、これが元々の智恵光院通りとは言えないでしょうか?
この道は丸太町通りから下立売通りの間だけあります。そして、下立売通りとこの道の角にある家に「智恵光院通下立売下ル」と書かれた仁丹があります。
あくまで私の推測に過ぎないのですが、元々智恵光院通りは現在よりもっと細い道だったはずです。そして、道幅を拡幅する際にできるだけ直線的な道筋にするために新しく下立売通りから丸太町通りの間に道を造ったのではないでしょうか。
道幅の割に寺之内通りで唐突に終わっていたり、下立売通りで不自然なカーブがあったりと不思議に思うところがあります。
Posted by まっちゃ at 2013年07月29日 12:36
まっちゃさん、貴重なご意見ありがとうございます。
一度、仁丹が設置されたと考えられる時代の地図を確認する必要がありそうですね。
一度、仁丹が設置されたと考えられる時代の地図を確認する必要がありそうですね。
Posted by shimo-chan at 2013年07月29日 23:14
京の記憶ライブラリー
(http://kyoto-shiryokan.jp/kyoto-memory/index.php)にある、
「京都市明細図」のNW51が該当部分です。
見ましたところ、下立売近辺の変則的な智恵光院の曲がった道路も
含め、住宅があったところがのちに道路に変えられています。
宅地の上に線が引かれています。戦時疎開だと思われます。
下立売、出水から下長者町あたりですと、智恵光院周辺は広く鉛筆で
バツが書かれ、さらに空地という書き込みがあります。
それら上から追記されたものの下にペンで最初に書かれている部分が
道路拡張以前の様子だと思われますが、現智恵光院通りは、丸太町か
ら北上する細い通りはありましたが、現親愛保育園あたりでドンツキ
になっており、下立売まで抜けてはおりません。いっぽう、まっちゃさんの
おっしゃる通りは当時から道ができております。
まっちゃさんのおっしゃる通り、「智恵光院通下立売下ル」仁丹が残っ
ている細い通りが当時は智恵光院と扱われていた可能性は十分ある
と思います。地籍図でさらに確認してみたいと思っています。
(http://kyoto-shiryokan.jp/kyoto-memory/index.php)にある、
「京都市明細図」のNW51が該当部分です。
見ましたところ、下立売近辺の変則的な智恵光院の曲がった道路も
含め、住宅があったところがのちに道路に変えられています。
宅地の上に線が引かれています。戦時疎開だと思われます。
下立売、出水から下長者町あたりですと、智恵光院周辺は広く鉛筆で
バツが書かれ、さらに空地という書き込みがあります。
それら上から追記されたものの下にペンで最初に書かれている部分が
道路拡張以前の様子だと思われますが、現智恵光院通りは、丸太町か
ら北上する細い通りはありましたが、現親愛保育園あたりでドンツキ
になっており、下立売まで抜けてはおりません。いっぽう、まっちゃさんの
おっしゃる通りは当時から道ができております。
まっちゃさんのおっしゃる通り、「智恵光院通下立売下ル」仁丹が残っ
ている細い通りが当時は智恵光院と扱われていた可能性は十分ある
と思います。地籍図でさらに確認してみたいと思っています。
Posted by idecchi at 2013年07月30日 03:26
idecchiさん、コメントありがとうございます。
そうでしたね、明細地図という手がありましたね。
確かに今回の椹木町智恵光院付近では、今で言うところの智恵光院通は存在しないことが確認できました。
また、「建物疎開跡地利用計画図」でも当該の区間が建物疎開の跡地として示されていることが確認できました。
したがって、まっちゃさんご指摘のとおり、今の二条北小学校のすぐ東側の道が、元々の智恵光院通だったと考えなければならないようです。
そうすると、智恵光院通下立売下ル下丸屋町の仁丹も全く矛盾しませんし、そもそもこの仁丹を眺めたときにその疑問に気付くべきでした。
七本松通の今出川北部が名称が付け替えられたのとまったく同様のケースがここでも起こっていたのでしょう。
これも仁丹町名表示板が教えてくれる京都の近代史のひとつです。
念のため、昔の地図で”智恵光院通”なる表記を発見したいところです。
ということで、注意の足りない思い込みの書き込みとなりました。訂正しなければいけないようです。
そうでしたね、明細地図という手がありましたね。
確かに今回の椹木町智恵光院付近では、今で言うところの智恵光院通は存在しないことが確認できました。
また、「建物疎開跡地利用計画図」でも当該の区間が建物疎開の跡地として示されていることが確認できました。
したがって、まっちゃさんご指摘のとおり、今の二条北小学校のすぐ東側の道が、元々の智恵光院通だったと考えなければならないようです。
そうすると、智恵光院通下立売下ル下丸屋町の仁丹も全く矛盾しませんし、そもそもこの仁丹を眺めたときにその疑問に気付くべきでした。
七本松通の今出川北部が名称が付け替えられたのとまったく同様のケースがここでも起こっていたのでしょう。
これも仁丹町名表示板が教えてくれる京都の近代史のひとつです。
念のため、昔の地図で”智恵光院通”なる表記を発見したいところです。
ということで、注意の足りない思い込みの書き込みとなりました。訂正しなければいけないようです。
Posted by shimo-chan at 2013年07月30日 07:04
>昔の地図で”智恵光院通”なる表記を発見したいところです。
住所表記に忠実な仁丹町名看板ですから、何かあの道が智恵光院通だといえる根拠があったからそこあの場所に設置されていたはずです。
仁丹を設置する際に設置場所を決めるために参考にしていた地図があれば何か情報がつかめるのですが。
住所表記に忠実な仁丹町名看板ですから、何かあの道が智恵光院通だといえる根拠があったからそこあの場所に設置されていたはずです。
仁丹を設置する際に設置場所を決めるために参考にしていた地図があれば何か情報がつかめるのですが。
Posted by まっちゃ at 2013年07月30日 12:27
まっちゃさんのご指摘のお蔭で、智恵光院通についての捉え方を間違えていたことが分かりましたので、当初の記事の関連個所を訂正しました。
現在の智恵光院通は戦時中の建物疎開跡を利用して拡幅されたものであり、元々綺麗に1本スジの通った通りではなかったようですが、下立売通と丸太町通との間は、現在で言うところの二条城北小学校のすぐ東側の通りであったと断定してよさそうです。
理由は次のとおりです。
京都市明細地図により、佐々木酒造さん界隈の智恵光院通が戦前から戦後にかけて建設されたことが分かること。
二条城北小学校のすぐ東側の通りで、智恵光院通下立売下ル下丸屋町と智恵光院通下立売下ル中務町なる仁丹が確認できていること。
昭和3年5月24日の京都市告示252号では、智恵光院通の南端を丸太町通中務町486の20としていること。
などがあげられます。
とりわけ、中務町が決めてとなります。現在の智恵光院通では中務町を経由することはありませんから。
以上のとおり、住所表示に頑なに厳格な仁丹町名表示板を信じるべきでした。安易な思い込みで間違ってしまいました。
~京都仁丹樂會 shimo-chan~
現在の智恵光院通は戦時中の建物疎開跡を利用して拡幅されたものであり、元々綺麗に1本スジの通った通りではなかったようですが、下立売通と丸太町通との間は、現在で言うところの二条城北小学校のすぐ東側の通りであったと断定してよさそうです。
理由は次のとおりです。
京都市明細地図により、佐々木酒造さん界隈の智恵光院通が戦前から戦後にかけて建設されたことが分かること。
二条城北小学校のすぐ東側の通りで、智恵光院通下立売下ル下丸屋町と智恵光院通下立売下ル中務町なる仁丹が確認できていること。
昭和3年5月24日の京都市告示252号では、智恵光院通の南端を丸太町通中務町486の20としていること。
などがあげられます。
とりわけ、中務町が決めてとなります。現在の智恵光院通では中務町を経由することはありませんから。
以上のとおり、住所表示に頑なに厳格な仁丹町名表示板を信じるべきでした。安易な思い込みで間違ってしまいました。
~京都仁丹樂會 shimo-chan~
Posted by 京都仁丹樂會 at 2013年07月30日 21:38
佐々木酒造さんに仁丹が復活した日に預っていただいた純米大吟醸「聚楽第」を先日お馴染みさんと一緒にいただきました。
日本酒通が足繁く通うこのお店には、京都のお酒はほとんど見かけません。
強いて言うならば伊根の「京の春」ぐらいなものです。
ローカルなまさに秀逸な地酒がラインアップされているのですが、この純米大吟醸「聚楽第」はみなさん ”うん、美味い!いける!” というような言葉が出ていました。
暑い夏はビールもいいのですが、しっかりと冷やした、しっかりしたお酒を飲むのも良いものです。
佐々木酒造さんの他の銘柄も味わってみたいと思いました。
日本酒通が足繁く通うこのお店には、京都のお酒はほとんど見かけません。
強いて言うならば伊根の「京の春」ぐらいなものです。
ローカルなまさに秀逸な地酒がラインアップされているのですが、この純米大吟醸「聚楽第」はみなさん ”うん、美味い!いける!” というような言葉が出ていました。
暑い夏はビールもいいのですが、しっかりと冷やした、しっかりしたお酒を飲むのも良いものです。
佐々木酒造さんの他の銘柄も味わってみたいと思いました。
Posted by shimo-chan at 2013年08月06日 19:25