2012年04月21日
仁丹町名表示板 「設置時期」 ③ヨンヨンイチの検証 地名編

~地名の変遷から~
さて、行政区名が「上京区」「下京区」と表示されているものはヨンヨンイチ、すなわち昭和4年4月1日までに設置されていたとして矛盾する表示板はないでしょうか?
大字や小字に相当する地名、そして通り名などの表示が現状と一致しなくなっている表示板について、思いつくままですが検討を加えてみました。
先ずは地名についてです。
以下はいずれもヨンヨンイチまでには表示行政区に存在した公称の地名です。

「下京区八條小坂町」など八條を冠するものは、南区は別として下京区においては、今はそのまま単に「下京区小坂町」などとなっています。
八條を付けなくなったのは昭和36年4月1日からのことでした。

「下京区梅小路日影町」は昭和35年3月29日に区画整理の関連で「下京区梅小路本町」に変わりました。

「上京区鷹野十二坊町」は昭和16年に紫野十二坊町に変わり、さらに昭和30年9月1日に北区へと分区となり、現在は「北区紫野十二坊町」となっています。

「上京区大宮上野町」は昭和30年9月1日に北区になった後、昭和35年3月29日に「北区紫野上野町」に変更となっています。

「上京区下鴨松之木町」は元々大正7年に上京区に編入された下鴨村でしたが、ヨンヨンイチの分区により左京区となって「左京区下鴨松之木町」と変わります。

「上京区鹿ケ谷宮ノ前町」のこの表示板は現在の左京区鹿ケ谷下宮ノ前町に設置されているものですが、大正7年には公称として存在しており、ヨンヨンイチで左京区に変更、さらに昭和33年6月27日に鹿ケ谷宮ノ前町から分かれて現在は「左京区鹿ケ谷下宮ノ前町」になっています。

これは現在でいう東山区の「慈法院庵町」です。いつ庵町から慈法院庵町に変わったのかと調べていたところ、どうやら明治22年の市制が始まった当初から「慈法院庵町」であったようです。
公称表示を頑なに尊重している仁丹ではありますが、これは長い町名を省略したのか、はたまた誤認があったのかもしれません。
以上のことからは、行政区名が「上京区」「下京区」と書かれているものはヨンヨンイチ以前の設置と言っても今のところ矛盾は発生しないようです。
ただし、ヨンヨンイチの前後で行政区名の変わらなかった現在の「上京区」「下京区」エリアで、ヨンヨンイチ以降に設置があったとしても見分けが付かないわけですが、もしそのようなものがあったとしたら正真正銘「中京区」表示のものも1枚や2枚出現してもよさそうなものです。
なお、地名のみならず通り名の変遷による検討も加える必要がありますので、次回は道路編です。
<参考資料> 京都市地名・町名の沿革 1994年8月 京都市発行
角川日本地図大辞典 26京都府上巻
Posted by 京都仁丹樂會 at 08:53│Comments(0)
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