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2015年09月10日

旧大宮通 探索記 その1

旧大宮通 探索記 その1


旧大宮通 探索記 その1


最初、何と読むのだろうと思いましたが、旧大宮通 探索記 その1は「旧」の旧字体である「舊」のさらに俗字でした。したがって、写真の仁丹は「旧大宮通」という訳です。

仁丹町名表示板を求めてホウロウしていると、時折「旧」とか「元」などという表現に出くわすことがあります。本家、総本家、元祖などの語句と同じく何となく好奇心が湧くというものです。

今回は、以前よりずっと気になっていた「旧大宮通」について探索してみることにしました。旧というからには元祖大宮通?なのだろうかと。
3回に分けてご紹介します。


現在の地図によれば上京区を南北に通り抜ける大宮通のうち、一条通~下長者町通間で1本東に並走しているのが旧大宮通となっています。イメージとしては、次の図のようになります。

旧大宮通 探索記 その1

先ずは、現地を改めて歩いてみました。千両ヶ辻とも言われる今出川大宮から大宮通を下がっていきます。間もなく一条通だというところで、今までの一方通行の狭い大宮通に突如として、このような ↓ 広い空間が出現します。

旧大宮通 探索記 その1


写真の正面、黄色い矢印が大宮通、横断歩道が横たわるのが一条通です。そして今立っている場所が横神明通であり、横神明~一条間だけがこのように不自然に広くなっているのです。てっきり、戦時中の建物疎開かと思いましたが、京都市の「建設行政のあゆみ 京都市建設局小史」別添資料「建物疎開跡地利用計画図」には記録はなく、そうではなさそうです。理由は他にありました。詳細は続編で。

※     ※     ※


次に一条通を東に入り、初めてのT字路が旧大宮通の北端です。そこから南を望んだ旧大宮通はこんな ↓ 感じです。道幅は狭く、比較的古い町並みが残っています。町名で言えば下石橋南半町、庇町、梨木町界隈です。

旧大宮通 探索記 その1



もう少し下がっていくと右手に石柱に取り囲まれた公園があり、そこに京都市の広報板がありました。その住所表示も「旧大宮通」となっています。

旧大宮通 探索記 その1


旧大宮通 探索記 その1


この公園、石の鳥居もあって神社のうに見えるのですが、後醍醐天皇の側近となった武将、名和長年がこの地で足利尊氏軍と戦い討死した場所で、長らく「チョウ塚」と呼ばれていたものを明治時代に遺跡とされたところです。

旧大宮通 探索記 その1


旧大宮通 探索記 その1


そして、さらに昭和13年、同じ側近であった楠木正成に比べて知名度が低いのが残念と、地元の有志により石碑も建てられ公園として整備されたそうです。時あたかも太平洋戦争突入前夜、「大日本國防婦人會」の文字も見られ、戦意高揚の場としても使用されていたのであろう当時の面影も残っていました。

旧大宮通 探索記 その1



旧大宮通をさらに下がるとすぐに比較的広い道路と交差します。中立売通です。京都電気鉄道が明治33年にチンチン電車を付設した道路です。後の京都市電北野線です。ここに旧大宮通を冠した仁丹町名表示板が現存します。

旧大宮通 探索記 その1


旧大宮通 探索記 その1

上京区旧大宮通中立売上ル梨木町


※     ※     ※


中立売通を渡り、さらに旧大宮通を下がっていきます。今までと同様の道幅で続いていきます。

旧大宮通 探索記 その1



そして、上長者町通と交差した後、下長者町通で次の写真のように突き当りとなります。
ここが旧大宮通の南端です。

旧大宮通 探索記 その1



この付近に、旧大宮通と表記のある仁丹町名表示板がある一方で、京都市の広報板や電柱は「元大宮通」となっていました。

旧大宮通 探索記 その1


旧大宮通 探索記 その1


旧大宮通 探索記 その1



ちなみに、現在の一般の地図では「旧大宮」ではなく「元大宮」が使用されています。京都市の「京都市指定道路図提供システム」でも「元大宮通」となっていますので、今では元大宮通と呼ぶのが一般的なようです。

以上、とりあえずは旧大宮通を北端から南端までおよそ400mを歩いてみた様子です。
次回では、旧大宮通と大宮通との関係をひも解いてみたいと思います。

~京都仁丹樂會 shimo-chan~


~つづく~


タグ :旧大宮通

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Posted by 京都仁丹樂會 at 07:13│Comments(5)仁丹に見る近代史
この記事へのコメント
盗難情報です。
「寺町通上御霊前下ル高徳寺町」の表示板が盗まれました。9月9日の夕方にはあったのですが、9月10日の夕方には消滅しておりました。表示板の前には、小さい入り口があるのですがそれが開いたままになっていました。
毎日前を通っているのでよく見ております。真相のほどよろしくお願いします。
Posted by 一市民 at 2015年09月11日 13:17
一市民さん、情報提供ありがとうございます。
関係者の方々にお聞きしたところ、突然消失してしまったことにみなさん一様に驚きと落胆のご様子でした。そして、警察への盗難届をお勧めしておきました。

私たちは捜査機関ではありませんし、そのような権限もございませんので、せいぜいここまでしかできません。今後も同様ですが、この手の情報は微妙な問題を含んでおりますので、すぐに動いても直ちにその状況をお知らせできないこともあります。お返事が遅れましたことご了承いただきますようお願いします。
Posted by 京都仁丹樂會京都仁丹樂會 at 2015年09月28日 00:18
お返事ありがとうございます。ただ、この表示板の付いていた家がシルバーウィークあけより解体が始まりましたので家の方が持って行った可能性もありますね。それでしたら埋蔵になってしまいますので、そこにあってこその表示板ですからそのあたりも微妙です。結局、表示板として役に立っていないのですから廃棄処分されたほうがマシではないでしょうか? このように、家の方が持って行ってしまうのは、表示板が大切なものだから、持って行こうと考えたのではないでしょうか? 一概に表示板は大切にしようとふれ回らなかったほうがよかったのではないでしょうか? 埋蔵の表示板を増やすだけですから、その辺りはどうお考えですか? よろしくお願いします。
Posted by 一市民 at 2015年09月29日 13:25
一市民さん、仁丹町名表示板に対する愛情のこもったご意見ありがとうございます。
今回のケースは、ご想像なさったようなことではありませんでした。
また、盗難届も出されたようです。
Posted by 京都仁丹樂會京都仁丹樂會 at 2015年10月04日 21:49
復活情報です。
昨年に盗難(?)にあったものと思われる「寺町通上御霊前下ル高徳寺町」の表示板が復活いたしました。ここ2週間程の事です。盗難届も出ていたようなので奇跡の復活です。どのような経路があったのか気になるとこですが、まずは良かったです。
Posted by 一市民 at 2016年06月24日 14:48
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