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2015年09月29日

旧大宮通 探索記 その3

旧大宮通 探索記 その3

旧大宮通の探索記、最終回です。
第1話では旧(元)大宮通を歩いてみた様子、第2話では並行する大宮通を歩くとともに過去の地図も検証して、次のような変遷を経たことが分かりました。

旧大宮通 探索記 その3

それでは公称表示を頑なに守っていた仁丹町名表示板は、この近辺ではどのような表記になっていたかを調べてみましょう。

過去現在の記録には、次の数字のポイントに仁丹町町名表示板がありました。

旧大宮通 探索記 その3




先ずは「旧大宮通」に直接面した仁丹には次のようなものがありました。

旧大宮通 探索記 その3

      旧大宮通中立売上ル梨木町
      旧大宮通上長者町下ル藤五郎町
      旧大宮通下長者町上ル藤五郎町

いずれも1本目の通り名として「旧大宮通」を採用しています。

そして、旧大宮通から東西に少し入ったところでは、次のようになっていました。

旧大宮通 探索記 その3

      中立売通旧大宮東入飛弾殿町
      上長者町通旧大宮東入常陸町
      上長者町通旧大宮西入藤五郎町

いずれも直近の縦の通りとして「旧大宮通」を採用しています。

一方、大宮通はどのようになっていたでしょうか。
同じ表記のもの2枚ではありますが、大宮通に直接面していたものとして、次の2枚がありました。

旧大宮通 探索記 その3

      大宮通上長者町上ル和水町
      大宮通上長者町上ル和水町 

1本目の通り名として「大宮通」を採用しています。

そして、東西に入ったところでも次のように縦の通り名は「大宮通」でした。

旧大宮通 探索記 その3

       中立売通大宮西入新元町
     10 下長者町大宮西入清元町

余談ですが、10番の仁丹、下長者町通の「通」の字が抜けていますね。職人さんが書き漏らしたのでしょう。

肝心の“新大宮通”と呼ばれていた一条~中立売間におけるデータが欲しいところですが、あいにく把握されておりません。“大宮通中立売上ル糸屋町”などといった仁丹町名表示板がきっと存在したであろうと思うのですが。

以上から、琺瑯製仁丹町名表示板では「旧大宮通」と「大宮通」とは全く別の通りとして認知していたことが分かります。琺瑯製仁丹町名表示板が設置されたのは大正15年~昭和4年の間であり、第2話でご紹介したとおり大正2年の地図ですでに大宮通と元大宮通とが書き分けられていましたから、当然と言えば当然のことでしょう。


※     ※     ※


それでは、当ブログで度々参考にしている昭和3年の京都市告示第252号には今回の大宮通や旧(元)大宮通について何か記載があったのでしょうか? 調べてみると、次のようになっていました。
旧大宮通 探索記 その3


旧大宮通もしくは元大宮通の名称については、すでに整理済なのかその名はありませんでしたが、ここでは大宮通について定義されていました。
旧名の箇所に大宮通が3区間に分けて表示されています。①は上京区の今宮神社御旅所から二条城の北まで、②は二条城の南から九条通までと特に疑問などは浮かびません。
注目は③です。大徳寺通もかつては大宮通と呼ばれていたことでしょう。


※     ※     ※


昔の地図を見てみましょう。
日文研所蔵地図データベースにある「實地測量亰都市全圖(明治35年)」などが分かり易いかと思います。

旧大宮通 探索記 その3

日文研所蔵地図データベース「實地測量亰都市全圖(明治35年)」より

↑ 青い文字をクリックすると、当該地図にリンクします


先の告示における①の大宮通北端である上京区の「若宮竪町104」というのは地図のポイントA、現在で言うところの今宮神社御旅所の南西交差点付近と考えられます。

同じく告示の③でいう旧名大宮通の南端である「建勲道若宮横町131」はポイントB付近と考えられ、そこから大宮村のメインストリートCとなって北へ北へとクネクネと御園橋に通じています。市街の碁盤の目の中の大宮通の延長とは決して言えず、大宮村側から見て京のまちの大宮通に通じているといった意味合いの“大宮通”だったのではないでしょうか。それが、告示第252号により「大徳寺通」と名称変更されました。

一方、現在、京都市で一番長い商店街と言われる「新大宮商店街」を貫く現在の大宮通はまだこの地図では現れていません。地図のポイントAから北へとまっすぐ続く大宮通のことです。昭和に入ってからの区画整理で登場します。
非常に興味深いことに、このエリアでは商店街のある大宮通のことを“新大宮通”、大徳寺通のことを“旧大宮通”と呼ぶこともあり、今回テーマとした西陣界隈の“新大宮通”、“旧大宮通”と相通じるものがあります。

次の写真 ↓ がその“新大宮通”です。左上の商店街の幟にその名が見えます。

旧大宮通 探索記 その3


そして、次の写真 ↓ が大徳寺通です。京都らしからぬ、曲線を描きながらの通りが続きます。

旧大宮通 探索記 その3


※     ※     ※


ところで、大徳寺通を改めて歩いて驚きました。なんとここでは“旧大宮通”なる名称が今も健在なのです。電柱のプレート、神社の解説板、町内に掲げられた住宅地図、などすべて旧大宮通なのです。むしろ、大徳寺通の名称を見つけることができませんでした。

旧大宮通 探索記 その3

↑ 大徳寺通の電柱のプレート


旧大宮通 探索記 その3

↑ 久我神社の解説板


旧大宮通 探索記 その3

↑ 町内に掲げられた住宅地図


とりわけ電柱のプレートについては、先の地図のBポイント、すなわち大徳寺通の南端ですでに「旧大宮」で登場、大徳寺のすぐ横でも旧大宮、結局のところ上賀茂と西賀茂の分岐点であるDポイント近くまですべて旧大宮となっていました。ちなみに“新大宮”通における電柱は「大宮」となっています。このエリアでは公称の「大徳寺通」に対し、通称とも言うべき「旧大宮通」に完全に軍配が上がっているのでありました。

※     ※     ※


以上、仁丹町名表示板にある『旧大宮通』なる表記から端を発した探索でした。今回は一部現状と一致しなくなった表記の表示板、あるいは間違っていないが今となっては意外な表記の表示板のように、仁丹町名表示板自体がかつての京都のまちの姿を教えてくれるということにはなりませんでした。つまり、琺瑯製仁丹町名表示板の設置当時も現在も、上京区の旧(元)大宮通界隈のまちの姿は変わっていなかったという結論に終わりました。それでも今まで抱いていた疑問はすっきり解けました。(かと思えば、北区では新たな“旧大宮通”が登場したわけですが。)
他にも京都には『旧○○通』という名称が散見されます。これらと仁丹町名表示板との関連も調べれば何か面白い発見があるかもしれませんね。

~おわり~

~京都仁丹樂會 shimo-chan~



【参考】過去の関連ブログ記事
(青い文字は当該記事にリンクしています)

●現状と一致しないことで、忘れかけた近代史を教えてくれる仁丹町名表示板

七本松通について
七本松通 ~仁丹町名表示板に見る近代史~

今出川通について
仁丹町名表示板 「設置時期」 ④ヨンヨンイチの検証 道路編
日本交通学会エクスカーション

智恵光院通について
智恵光院通(1/4) ~仁丹町名表示板に見る近代史~

六条通について
六条通 1/3 ~仁丹町名表示板に見る近代史~


●今となっては意外な表記で、忘れかけた近代史を教えてくれる仁丹町名表示板

西中筋通について
堀川通・西中筋通 ~仁丹町名表示板に見る近代史~

花屋町通について
3つの花屋町通 ~仁丹町名表示板に見る近代史~

東山線通について
東山線通の謎 1/3 ~仁丹町名表示板に見る近代史~


タグ :旧大宮通

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