2015年11月03日
仁丹と文学散歩 ~その7 坂口 安吾 ~
仁丹と文学散歩 ~その7 坂口 安吾 ~
人は誰しも、運命鑑定や占い師の前に立つと、赤裸々な姿を看破される不安と、予言の持つ宿命的な暗影を持った圧迫感を感じないほど理性的ではないようです。坂口安吾は『女占い師の前にて』(1938年、文藝春秋社)の中で、中学生のとき、知り合いの易者の妻から出し抜けに、「お前さんは色魔だね」と、坂口自身が知る以前に自らの本性を看破されます。無表情を装っても内心の動揺と顔面の不動との均り合いの悪さにより、思わず気分を悪くします。同様に、均斉の典型である寺院の宏壮な伽藍に見える単調な均斉と重心の裏にも、その均斉を生み出すためのあらゆる不均斉がともすれば崩れ乱れ出す危うさを持っています。この、均斉と不均斉のいわば心理的なせめぎ合いについては、本書が掲載された『文学界』の後記で、河上徹も「文学の行われる場は心理の場以外に絶対にない」と直言しているほどです。伏見深草に住んだ坂口は、ある日、均斉を求めて黄檗山万福寺を巡ります。
黄檗山万福寺は隠元の指揮によって建築された伽藍であります。私は隠元が元来支那の人であるのを知らずにゐて、この寺の宝物をみるに及び、彼が異邦の人であるのを知ると同時に、彼が支那から帯同した椅子や洗面器の類ひを見て、彼に対する親しさを肉体的なものにまで深めるやうな稀れな感傷のひとときを持つたりしました。私は隠元の思想に就いては知りません。わづかに白雲庵発行の精進料理のパンフレットによつて彼の思想の一端に触れただけにすぎませんから、いはば仁丹の広告を読んで医学一般を論じるやうな話ですが、私は隠元が好きなのです。
坂口は、仁丹の広告だけで医学知識を論じる軽薄さを皮肉を込めた比喩にして、隠元思想に対する自らの知識不足を弁明しています。困惑した坂口の脳裏にとっさに仁丹の効能書きが浮かぶほど、当時の仁丹は自然同化していたようです。現在の仁丹は厚労省の承認医薬部外品で、分類(「口中清涼剤」)、使用目的、剤型、効能又は効果の範囲が明記されていますが、それ以前は、「効能・効果」に制限、規制はなく、新聞や街頭(電柱など)ポスター、チラシで宣伝効果を狙った広告表記が時代背景を伴って展開されていました。明治の発売当初の赤粒時代は「懐中薬・毒けし」、大正ではコレラの予防として「消化・毒けし」と変化し、徐々に“消化・健胃”の色が濃くなります。薬の能書きが時代を反映する一例といえましょう。広告の向こうに、原稿の筆休めに仁丹に手を伸ばす坂口の背中が見えるようです。
次回は、芥川龍之介を訪ねてみましょう。
~京都仁丹樂會 masajin~
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