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2021年11月03日

琺瑯仁丹 設置時期再考2

琺瑯仁丹 設置時期の再考(2)
~大正時代の写真を探せ~


こうして、琺瑯仁丹が写り込んだ写真で、なおかつ大正時代に撮影されたことに疑いの余地のない写真を探すことに挑戦しました。

その方法として誰しも先ず思いつくのが当時の新聞ではないでしょうか。
ありがたいことに、京都には京都日出新聞、京都日日新聞、朝日新聞京都地方版といった3紙があります。

琺瑯仁丹 設置時期再考2


あれだけ街の至る所に設置された琺瑯仁丹のこと、新聞の中のどこかの写真に写っているだろう、楽勝だと高をくくって作業に取り掛かりました。

ただし作業は楽勝ではありません。いずれの新聞もデジタル化されているわけではなく、マイクロフィルムを見るしかないのです。マイクロフィルムリーダーなる機器を操って一コマごとに丁寧に見ていきます。正直、気の遠くなるような作業です。1日でできる量も限界があり、写真のみならずテキストにも気を配りながら根気よく毎日のように続けました。

“大正14年2月18日”の写真に写っているのだからと、順序良く、また確立の高さから大正時代のラスト、大正15年から順次遡って調査を行いました。

琺瑯仁丹 設置時期再考2


まずは情報量の多い京都日出新聞の大正15年から着手。残念ながら見つかりませんでした。
偶然写っていないだけだろうと、次に京都日日新聞の大正15年に着手します。
ボリュームは日出の半分ぐらいなので、作業量も半減しましたが、残念ながらここでも見つけることができませんでした。
それではと朝日新聞京都地方版の大正15年に移ります。ボリュームはさらに半分ほどに減ります。しかしながら、これまた見つからず。
結局、大正15年の3紙からは目的の写真や情報を見出すことはできませんでした。

でも、この段階ではまだまだ希望に満ちていました。大正15年分にはたまたま写っていないだけだろうと。そして、大正14年についても同様に3紙を調べていきます。しかし、またもや見つかりません。「塩」や「たばこ」の琺瑯看板は発見できるものの、琺瑯仁丹は写っていないのです。
そして、大正13年、12年と遡っていくものの徒労の毎日が過ぎていきました。

まちの隅々にまで設置された琺瑯仁丹、こうも見つからないものか? もしかして、何か重大な見落としをしているのではないか、道を誤っているのではないかと立ち止まりました。そして、「しまった!」と思いました。
琺瑯仁丹に使われている昭和2年5月の商標は、大正時代から新聞広告では登場しているものの、それは大正15年4月からだったことを思い出しました。にもかかわらず、それよりも遡って探すということは間違っているのではと。

琺瑯仁丹 設置時期再考2

改めて、新聞紙上における新旧商標の転換点を精査してみました。
新旧の商標とは次のようなものです。
琺瑯仁丹 設置時期再考2


この2つの違いは、最も分かりやすい点は外交官の胴体部分の外枠が3本線から2本線に変わるところです。次に「仁丹」の2文字が毛筆調からデザイン調に変わります。あとは細かくなりますが、帽子や肩回りの簡略化です。

当時、連日のように新聞広告を出しているので、商標の変更ポイントは容易に分かりました。以前は、日出新聞だけを見て大正時代にすでに使用されていたとしましたが、全国紙も含めて改めてチェックしてみたところ、次のような結果を得ました。

京都日出新聞
 旧商標 使用最終日 大正15年3月26日
 新商標 使用開始日 大正15年4月1日

京都日日新聞
 旧商標 使用最終日 大正15年3月24日
 新商標 使用開始日 大正15年4月11日

朝日新聞大阪本社版
 旧商標 使用最終日 大正15年3月28日
 新商標 使用開始日 大正15年4月1日

大阪毎日新聞
 旧商標 使用最終日 大正15年3月27日
 新商標 使用開始日 大正15年4月1日

中外商業新聞(日経新聞の前身)
 旧商標 使用最終日 大正15年3月28日
 新商標 使用開始日 大正15年4月4日

東京日日新聞(毎日新聞東京本社の前身)
 旧商標 使用最終日 大正15年3月26日
 新商標 使用開始日 大正15年4月1日

読売新聞
 旧商標 使用最終日 大正15年3月26日
 新商標 使用開始日 大正15年4月4日

東京朝日新聞(朝日新聞東京本社版)
 旧商標 使用最終日 大正15年3月30日
 新商標 使用開始日 大正15年4月3日

これらを見るともう、大正15年4月1日から商標を変えたと強く意思表示をしているのが明らかです。社史にある昭和2年5月とは随分かけ離れている印象を与えますが、大正時代は大正15年12月25日まで、そして昭和元年はわずか数日しかなく、翌週には昭和2年になります。すなわち、わずか5カ月の差でしかないのです。

こうなると、大正15年4月1日を1年以上遡って、まだ世に出ていな商標を琺瑯仁丹が使うでしょうか? 常識的にはあり得ないでしょう。となると“大正14年2月18日撮影”の例の産寧坂の写真を怪しく思ってきました。そして、その写真を本格的に検証することにしました。

~つづく~
~shimo-chan~



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Posted by 京都仁丹樂會 at 09:55│Comments(0)設置時期
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