2013年02月03日
もうひとつの御前通 ~仁丹町名表示板に見る近代史~

町家の多い京都にあって、強烈なインパクトを与えてくれるのがこの建物です。
一度見たら忘れられません。
油小路通と正面通の交差点にある「本願寺伝道院」です。
明治45年に真宗信徒生命保険株式会社の社屋として建築され、現在は京都市指定有形文化財ともなっています。
さて、この建物の写真を古地図に見つけました。
日文研、すなわちの中の「京都市街全図」にです。
大正2年7月1日の発行で、その裏面一面には大丸や京都電気鉄道など様々な広告が集められおり、そこにこの特徴的な建物が目に留まりました。

真宗信徒生命保険株式会社としての広告でした。
ここで注目したいのが、「京都市油小路御前通角」なる、その表現なのです。
2本目に来る御前通に「通」なる一字を付けています。
通り名を組み合わせる住所表示では、2本目の通り名には「通」なる文字を付さないのがルールなのですが、なぜか御前通だけは例外で「通」なる文字を付け加えるのです。
その法則がやはりここでも生きていたのかもしれません。
ただし、ここでいう御前通は、北野天満宮へと通じる現在の南北の御前通とは別物です。

昨年11月の「正面通」でも触れましたが、現在の正面通のうちの、西本願寺~東本願寺間はかつて御前通と呼ばれていたのです。
それが、昭和3年5月24日付けの京都市の告示により、この部分も正面通へと名称変更された経緯があったのです。次の写真がかつての御前通です。

そして、この近くに、これも「正面通」で紹介しましたが、次のような
「西中筋通正面通上ル堺町」
なる仁丹があるのです。

でも、正面通の「通」なる文字は不要であり、もしかしたらもともとは
「西中筋通御前通上ル堺町」
ではなかったのか、告示を意識して”御前”の2文字を”正面”の2文字に書き換えたのではなかったのか、とこのような推理をしたのです。
ちょうどその2文字には塗料を削り取ったような不自然な傷が多数あるのです。
正面通とした場合は「通」なる文字は不要なのですが、消すと間延びするので、バランスを考えてあえて残したのかもしれません。
この仮説を補強するためには、さらなる同様の資料を集めないといけませんが、とりあえず可能性が出てきたような気になりました。
どうでもよいようなテーマですが、これがもし事実であったならば琺瑯仁丹の設置は告示の前後に行われていたことになりますし、また告示どおりにやらなければならないという仁丹の立場も見えてきます。
※ ※ ※
ところで、話はガラッと変わりますが、御前通から「通」なる文字が省略されると、どのような不都合があるのでしょうね?
京都仁丹樂會 shimo-chan
Posted by 京都仁丹樂會 at 16:37│Comments(4)
│仁丹に見る近代史
この記事へのコメント
西本願寺界隈で発見しました看板ですので、こちらにコメントをさせていただきます。
2月8日に東中筋通北小路上ル東側の呉服屋の玄関先に『下京區 北小路通東中筋西入 紅葉町』なる看板を発見しました。
あくまでも私の推測ですが、北小路東中筋北西角に駐車場として使われている更地があるのですが、そこに家があった頃に設置されていた看板なのでしょうか。とはいえ、家があったのは相当前になると思います(私の記憶している範囲では、既に家がありませんでした)。
ちなみに、この町名はずっと「こうようちょう」だと思っていましたが、正しくは「もみじちょう」なんですね。
(この町内にある京都市の掲示板の下に住所がかいてあるのですが、そのローマ字表記がKoyo-choとなっていたためずっと「こうようちょう」だと思いこんでいました。)
2月8日に東中筋通北小路上ル東側の呉服屋の玄関先に『下京區 北小路通東中筋西入 紅葉町』なる看板を発見しました。
あくまでも私の推測ですが、北小路東中筋北西角に駐車場として使われている更地があるのですが、そこに家があった頃に設置されていた看板なのでしょうか。とはいえ、家があったのは相当前になると思います(私の記憶している範囲では、既に家がありませんでした)。
ちなみに、この町名はずっと「こうようちょう」だと思っていましたが、正しくは「もみじちょう」なんですね。
(この町内にある京都市の掲示板の下に住所がかいてあるのですが、そのローマ字表記がKoyo-choとなっていたためずっと「こうようちょう」だと思いこんでいました。)
Posted by まっちゃ at 2013年02月08日 21:06
まっちゃさん、お久しぶりです。
紅葉町の仁丹、またまた大発見ですね。
私たちも誰一人見つけていなかったようです。
先日の浮田町といい、貴重なご意見ありがとうございます。
古物商の方が家の方と交渉して譲り受け、はずして持っていくという事象が近頃目立っており、心を痛めているのですが、一方でこのように大切にされている埋蔵仁丹の情報に触れることは、少し明るい気分になりました。
ところで、町名の読みは本当に難しいですね。
何が正しいのか、京都市が読ませようとしている読み、すなわち公称が本当に正しいのかというのはよく悩むところです。
また、町内のあちこちで見かける京都市の掲示板ですが、あの住所表示や読みは非常にいい加減です。信用できません。
匂天神町では「下京区烏丸東入ル匂天神町」とあり、東西の通りが抜けていますし、「下京区松原通不明門下る吉水町」は”下る”なら不明門通が先にこなければなりません。
木製仁丹の福田寺町では”FUKUDAJI-CHO”となっていました。
どうやら町内から設置の注文があると、ほとんどそのまま業者に発注され、業者が設置しているようです。
このような誤った住所表示では転入届は受理されないはずなのに、部門が違うとこうなってしまうんですね。
紅葉町の仁丹、またまた大発見ですね。
私たちも誰一人見つけていなかったようです。
先日の浮田町といい、貴重なご意見ありがとうございます。
古物商の方が家の方と交渉して譲り受け、はずして持っていくという事象が近頃目立っており、心を痛めているのですが、一方でこのように大切にされている埋蔵仁丹の情報に触れることは、少し明るい気分になりました。
ところで、町名の読みは本当に難しいですね。
何が正しいのか、京都市が読ませようとしている読み、すなわち公称が本当に正しいのかというのはよく悩むところです。
また、町内のあちこちで見かける京都市の掲示板ですが、あの住所表示や読みは非常にいい加減です。信用できません。
匂天神町では「下京区烏丸東入ル匂天神町」とあり、東西の通りが抜けていますし、「下京区松原通不明門下る吉水町」は”下る”なら不明門通が先にこなければなりません。
木製仁丹の福田寺町では”FUKUDAJI-CHO”となっていました。
どうやら町内から設置の注文があると、ほとんどそのまま業者に発注され、業者が設置しているようです。
このような誤った住所表示では転入届は受理されないはずなのに、部門が違うとこうなってしまうんですね。
Posted by shimo-chan at 2013年02月09日 09:05
shimo-chanさん、お久しぶりです。
紅葉町の仁丹ですが、お店がお休みの時は、もしかしたらシャッターが閉まっている可能性があります。
確認に行かれる時は、平日のほうが良いかも知れません。
紅葉町の仁丹ですが、お店がお休みの時は、もしかしたらシャッターが閉まっている可能性があります。
確認に行かれる時は、平日のほうが良いかも知れません。
Posted by まっちゃ at 2013年02月09日 11:34
申し訳ありません。訂正です。
2月9日に休日はシャッターが閉まっているかもしれませんとコメントをさせていただきましたが、平日でも閉まっていました。また、シャッターではなく、引き戸でした。
2月9日に休日はシャッターが閉まっているかもしれませんとコメントをさせていただきましたが、平日でも閉まっていました。また、シャッターではなく、引き戸でした。
Posted by まっちゃ at 2013年02月20日 19:33