2014年03月16日
京都仁丹樂會 京都景観賞で「特別表彰」される
昨日、平成26年3月15日、「平成25年度 京都景観賞 屋外広告物部門」における「特別表彰」を京都仁丹樂會が受けました。
この賞は、 『 京都にふさわしい広告景観の創出に多大な貢献をしている個人または団体を表彰するものです 』 とあり、私たち京都仁丹樂會を含めて4つのグループが選ばれ、当会と森下仁丹株式会社とで1つのグループです。
会場はホテルグランビアでした。
当初、森下仁丹株式会社さんと連名での表彰と思っていたのですが、両者別々に表彰されました。表彰状も理由も別々です。
森下仁丹さんは京都の景観に相応しい琺瑯看板を設置したこと、私たち京都仁丹樂會はその保全に努めていること、という一応別々の理由です。
それぞれの代表が登壇して表彰状を受け取りました。
当日配布された冊子には次のように紹介されていました。
『 京都仁丹樂會は、全国でもっとも多くの町名琺瑯看板が現存する京都において、それらを将来にわたって保全される活動を通じて、優れた京都広告景観の形成に多大な貢献をされています 』
私たちは常々“仁丹町名表示板は今や一企業の広告の域を超えた京都の立派な文化財”ということを言っていますので、広告というよりも京都の文化財だという認識で保全活動も行ってきたわけですが、いずれにしてもその活動が認められたことは喜ばしいことです。
そして同時に、その前提としての”京都の文化財”という価値についても認められたはずです。
しかし、本当に仁丹町名表示板を大切にしておられるのは、設置されている家に住まわれている方々であり、町内の方々です。さらに私たちの要望を快く受け入れてくださった佐々木酒造さんのような例もあります。
これらの方々をも代表しての今回の特別表彰だと思っています。
これを機会に、大切にしなくてはという気運がますます広がるとともに、盗難と言う心無い行為がなくなることを祈っています。
さて、ところで、上のパンフの内容を見て、仁丹町名表示板に関心を持って当ブログをご覧いただいている方からしたら、『うん?』と驚く箇所がありますよね?
先ずは写真の説明です。「明治版」と「平成版」とあります。
“明治版”なんてあり得ない明らかな間違いですよね。
説明文にも「明治43年から市内各所に町名琺瑯看板を設置」とありますが、それが当てはまるとしたら木製の仁丹町名表示板であり、今回の受賞の対象となった琺瑯仁丹ではありません。しかも明治43年というのが京都の木製仁丹に対しても言えることなのか不明のままです。
私たちの推薦書では、「大正末期から昭和3,4年にかけて設置した」と明記したのですが、やはり社史における『郵便配達人が家を捜すのに苦労しているという当時の人々の悩みに応え、1910年(明治43年)からは、大礼服マークの入った町名看板を次々に掲げ始めた。当初、大阪、東京、京都、名古屋といった都市からスタートした・・・』という何度も何度も様々なところで引用されているこのフレーズに、負けてしまったのだと考えています。
とにかく唯一の公式見解は非常に強いものであり、このような印刷物になったことから、ますます独り歩きするのではという危惧も生まれました。
でも、誰もが否定できない調査方法や裏付けで、私たちの研究成果が引用されるようになるよう、ますます頑張ろうじゃないかと決意を新たにしたわけでもありました。
ところで、今回の応募総数は昨年のおよそ1.6倍の1,277件もあったそうです。
そのような中から、私たちが推した琺瑯製仁丹町名表示板を支持していただいことが非常に嬉しく思います。
2回の審査委員会が実施されたようですが、どのような意見が交わされたのかぜひ覗きたかったものです。
京都景観賞屋外広告物部門で受賞した各種看板は、『京都かんばんねっと』(←リンクしています)で様々に検索して見ることができます。
なかなか面白く、ついつい見入ってしまいます。審査委員会の様子なども少し紹介されています。
この賞は、 『 京都にふさわしい広告景観の創出に多大な貢献をしている個人または団体を表彰するものです 』 とあり、私たち京都仁丹樂會を含めて4つのグループが選ばれ、当会と森下仁丹株式会社とで1つのグループです。
会場はホテルグランビアでした。
当初、森下仁丹株式会社さんと連名での表彰と思っていたのですが、両者別々に表彰されました。表彰状も理由も別々です。
森下仁丹さんは京都の景観に相応しい琺瑯看板を設置したこと、私たち京都仁丹樂會はその保全に努めていること、という一応別々の理由です。
それぞれの代表が登壇して表彰状を受け取りました。
当日配布された冊子には次のように紹介されていました。
『 京都仁丹樂會は、全国でもっとも多くの町名琺瑯看板が現存する京都において、それらを将来にわたって保全される活動を通じて、優れた京都広告景観の形成に多大な貢献をされています 』
私たちは常々“仁丹町名表示板は今や一企業の広告の域を超えた京都の立派な文化財”ということを言っていますので、広告というよりも京都の文化財だという認識で保全活動も行ってきたわけですが、いずれにしてもその活動が認められたことは喜ばしいことです。
そして同時に、その前提としての”京都の文化財”という価値についても認められたはずです。
しかし、本当に仁丹町名表示板を大切にしておられるのは、設置されている家に住まわれている方々であり、町内の方々です。さらに私たちの要望を快く受け入れてくださった佐々木酒造さんのような例もあります。
これらの方々をも代表しての今回の特別表彰だと思っています。
これを機会に、大切にしなくてはという気運がますます広がるとともに、盗難と言う心無い行為がなくなることを祈っています。
※ ※ ※
さて、ところで、上のパンフの内容を見て、仁丹町名表示板に関心を持って当ブログをご覧いただいている方からしたら、『うん?』と驚く箇所がありますよね?
先ずは写真の説明です。「明治版」と「平成版」とあります。
“明治版”なんてあり得ない明らかな間違いですよね。
説明文にも「明治43年から市内各所に町名琺瑯看板を設置」とありますが、それが当てはまるとしたら木製の仁丹町名表示板であり、今回の受賞の対象となった琺瑯仁丹ではありません。しかも明治43年というのが京都の木製仁丹に対しても言えることなのか不明のままです。
私たちの推薦書では、「大正末期から昭和3,4年にかけて設置した」と明記したのですが、やはり社史における『郵便配達人が家を捜すのに苦労しているという当時の人々の悩みに応え、1910年(明治43年)からは、大礼服マークの入った町名看板を次々に掲げ始めた。当初、大阪、東京、京都、名古屋といった都市からスタートした・・・』という何度も何度も様々なところで引用されているこのフレーズに、負けてしまったのだと考えています。
とにかく唯一の公式見解は非常に強いものであり、このような印刷物になったことから、ますます独り歩きするのではという危惧も生まれました。
でも、誰もが否定できない調査方法や裏付けで、私たちの研究成果が引用されるようになるよう、ますます頑張ろうじゃないかと決意を新たにしたわけでもありました。
※ ※ ※
ところで、今回の応募総数は昨年のおよそ1.6倍の1,277件もあったそうです。
そのような中から、私たちが推した琺瑯製仁丹町名表示板を支持していただいことが非常に嬉しく思います。
2回の審査委員会が実施されたようですが、どのような意見が交わされたのかぜひ覗きたかったものです。
京都景観賞屋外広告物部門で受賞した各種看板は、『京都かんばんねっと』(←リンクしています)で様々に検索して見ることができます。
なかなか面白く、ついつい見入ってしまいます。審査委員会の様子なども少し紹介されています。
~京都仁丹樂會一同~
Posted by 京都仁丹樂會 at 22:15│Comments(4)
│トピックニュース
この記事へのコメント
受賞おめでとうございます。
会員ではない私も非常に感激しております。
今回の受賞がきっかけで、いかに仁丹町名看板が京都に必要不可欠であるかということを盗んでおられる方に理解していただけることを願っています。
もちろん、盗むということ自体は、決して許されることではありませんが・・・。
会員ではない私も非常に感激しております。
今回の受賞がきっかけで、いかに仁丹町名看板が京都に必要不可欠であるかということを盗んでおられる方に理解していただけることを願っています。
もちろん、盗むということ自体は、決して許されることではありませんが・・・。
Posted by まっちゃ at 2014年03月16日 22:29
受賞おめでとうございます。
まっちゃさんと同じですが、喜びに同意します。
さて工事中不明・隠れていた仁丹町名表示板が復活しておりません。
一つは真盛町。 工事は終了しているのに仁丹は復活しておりません。
もう一つは福島町。 仁丹はあるのですが、隠れたままで非常に見にくくなっています。
仁丹樂会でこれらの状況を改善されるなら、仁丹樂会の実力を評価しましょう。
今のままでは、今後は独自の動きにならざるを得ない。
まっちゃさんと同じですが、喜びに同意します。
さて工事中不明・隠れていた仁丹町名表示板が復活しておりません。
一つは真盛町。 工事は終了しているのに仁丹は復活しておりません。
もう一つは福島町。 仁丹はあるのですが、隠れたままで非常に見にくくなっています。
仁丹樂会でこれらの状況を改善されるなら、仁丹樂会の実力を評価しましょう。
今のままでは、今後は独自の動きにならざるを得ない。
Posted by ひでやん at 2014年03月18日 22:30
社史と言うものは、恐ろしくまた最強であると言う事を痛烈に感じますね。
仁丹の明治版とはまさに、そのような間違った社史のフレーズから出て来た様な物ですね。この間違った情報を正しく直すのはちょっと大変かもしれませんね。
仁丹の明治版とはまさに、そのような間違った社史のフレーズから出て来た様な物ですね。この間違った情報を正しく直すのはちょっと大変かもしれませんね。
Posted by デナ櫻 at 2014年03月21日 20:12
>社史と言うものは、恐ろしくまた最強であると言う事を痛烈に感じますね。
でも、今回の件、森下仁丹の公式フェイスブックでは、
『仁丹の町名琺瑯看板は、約85年もの間、京都市民に親しまれてきました』
と書かれていますので、ちょっと救われた気持ちになっています。
でも、今回の件、森下仁丹の公式フェイスブックでは、
『仁丹の町名琺瑯看板は、約85年もの間、京都市民に親しまれてきました』
と書かれていますので、ちょっと救われた気持ちになっています。
Posted by shimo-chan at 2014年03月21日 20:49