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2023年05月12日

出現する史料 ~他都市編~

引き続き、国立国会図書館デジタルコレクション関連です。
調査対象はあくまでも京都市における仁丹町名表示板なのですが、調べている過程で、他都市の町名表示板のことも検索に掛かることもあります。興味深いものを2,3ご紹介しましょう。


昭和33年 『高田市史』第2巻

出現する史料 ~他都市編~

高田市史編集委員会 編『高田市史』第2巻,高田市,1958. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3002421 (参照 2023-03-12)

昭和33年に発行された「高田市史」です。このP.176「第三章 恐慌期 第一節 市政」に次のような記述があります。

『実施期日は昭和5年4月1日の年度がわりとし、準備を進めるとともに、新旧対照地図と一覧表(別表)を各戸に配り、また売薬「救命丸」本舗寄贈による町名札と境界札を市内1,500カ所にはりつけた。4月1日には予定通り実施され、102町81区の行政区は、16町49丁となり、48の行政区に改められた。』

あれ?と思いました。救命丸? 酒だったはずなのに・・・
読み進むうちに違和感が次第に大きくなり、早とちりをしていることに気付きました。てっきり奈良県の大和高田市だとばかり思い込んでいたのです。なぜならば、大和高田市には次のような琺瑯製の町名表示板があったからです。

出現する史料 ~他都市編~


しかし、この資料の「高田市」とは新潟県の「えちごトキめき鉄道」(旧信越本線)の高田駅付近にあった高田市だったのです。現在は、直江津市と合併して「上越市」となっています。

ところで、“売薬「救命丸」本舗寄贈による町名札と境界札を市内1,500カ所にはりつけた”とあります。救命丸を発売する宇津救命丸株式会社の本拠地は栃木県の宇都宮市の近くにあり、創業はなんと慶長2年(1597年)だそうです。町名札を設置したのが昭和5年となると、仁丹が京都市で琺瑯製を設置した後で、伏見市でも設置をしようかという頃なので、この高田市の場合も琺瑯製だったに違いないでしょう。また、仁丹を見習ったのではないでしょうか? そして、「境界札」なるフレーズが出てきました。京都でも四辻と町界に仁丹があります。京都の場合は特に区別はありませんでしたが、高田市の町名札と境界札は同じものなか、それとも別の書式だったのか、大いに気になる所です。

新潟県の高田は古い街並みの残る城下町です。何も知らずに3年前に訪れたことがありました。確かに、雁木や疑洋風建築の残る興味深い町並みでした。1,500枚設置されたのであれば、今も残っていても不思議ではありません。しかも琺瑯製であればなおさらです。改めて訪れる目的ができました。

↓ 雁木

出現する史料 ~他都市編~


↓ 疑洋風建築

出現する史料 ~他都市編~


↓ 昭和レトロ感満載の町並み

出現する史料 ~他都市編~


↓ 映画館「高田世界館」

出現する史料 ~他都市編~


↓ 「高田世界館」内部

出現する史料 ~他都市編~




昭和23年 『市民とともに10年』

出現する史料 ~他都市編~

『市民とともに10年』,大阪市公聴課,1958. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3030482 (参照 2023-03-13)

昭和33年3月に発行された大阪市の冊子です。戦後10年間の市政などがまとめられており、巻末の年表の昭和23年3月に『町名表示板16,000枚の寄贈受理』とあるではないですか。

大阪市にはご存じのように琺瑯製の仁丹町名表示板が存在します。それに違いないとは思うのですが、この資料では仁丹なるフレーズはどこにも出てきません。また、大阪の仁丹にはその下に次のようなプレートが設置されています。当会会員、ゆりかもめさんが発見されました。

出現する史料 ~他都市編~

昭和23年1月と昭和26年3月と3年以上の開きがあります。これをどのように解釈するか、引き続き探究が必要なようです。


昭和33年 『経営とPR』

出現する史料 ~他都市編~

福西勝郎 著『経営とPR』,日刊工業新聞社,1958. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3019227 (参照 2023-03-08)

第1部 「経営にPRは最も大切なものである」の項目の中のP.34に次のような記述があります。

『口中清涼剤で有名な仁丹が明治13年当時からやっていたと思われる次のことである。日本の主要な都市に”何町何番地”という同一規格の金属ホーロ引板の町名札が掲げられていた時代がかなり長く続いた。幅13.5センチ、長さ50センチ、色はあい色、文字は白く抜かれ下端部に太いひげをはやし、大礼服を着た男の胸から上の像で表せられている。この古風な画像は、例の”仁丹”の商標で、だから、この町名札は仁丹の宣伝として見られていたのはではなかろうか。仁丹そのものの効能等は少しも謳わず、もっぱら一般人の便宜を図った点で、筆者は日本にも明治時代の初期の頃からこのようにすぐれたしかも典型的なPRが存在していたことに感激を覚えるのである。』

明らかにいくつかの情報がごちゃ混ぜになって、誤った解釈へとミスリードされたようです。先ず”明治13年当時”ですが、仁丹のあの髭の商標が誕生する25年も前になります。森下博氏が5歳の時です。また、琺瑯看板はまだまだ誕生していません。

しかし、非常に気になるのが、“同一規格の金属ホーロ引板、幅13.5センチ、長さ50センチ、色はあい色、文字は白く抜かれ”なる記述です。

今までに確認されている琺瑯製の仁丹町名表示板は次のようなものです。
京都市 幅15センチ、長さ91センチ 白地に黒い文字
伏見市 幅12センチ、長さ60センチ 白地に青い文字
大阪市 幅12センチ、長さ76センチ 白地に黒い文字
奈良市 幅12センチ、長さ60センチ 白地に黒い文字
大津市 幅15センチ、長さ76センチ 白地に黒い文字
八尾市 幅50センチ、長さ20センチ 緑地に白い文字
いずれにも当てはまりません。強いて言えば伏見市と奈良市の大きさが最もそれに近いぐらいです。配色も一致するものはありません。

この記述は仁丹に関しては間違いですが、どこかに13.5センチ×50センチの藍色に白文字の琺瑯製町名表示板が大量にあったことを示唆しているようにも思います。


出現する史料 ~他都市編~


国立国会図書館デジタルコレクションは今後もさらに充実していく様子です。そして、探索も続いていきます。以上はその中間報告第1弾でした。
~shimo-chan~



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Posted by 京都仁丹樂會 at 10:48│Comments(0)基礎研究
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