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2015年03月30日

全国津々浦々の考証(その3)

全 国 津 々 浦 々 の 考 証 (その3)
~東京で仁丹発見!!!①~

シリーズ1回目でもご紹介した、私たちにはおなじみの「大阪、東京、京都、名古屋といった都市からスタートした町名看板はやがて、日本全国津々浦々にまで広がり」というフレーズに立ち返ってみましょう。

確かに大阪や奈良、大津などには戦後の琺瑯製の町名表示板こそあるものの、戦前期、とりわけ京都で木製の町名表示板が設置されたことが確認されている明治末から大正初期、ならびに琺瑯製の設置が進んだ大正末期から昭和初期にかけて、京都以外でも森下仁丹によって町名表示板が設置されていたのかどうか、これまでは確たる証拠を見つけることができていませんでした。

ただし、先行研究によると、東京にも仁丹の町名表示板(東京では「町名番地札」と呼ばれていたようです)が設置されていたという記述があります。山本武利『広告の社会史』法政大学出版局、1984年によると、
「電柱広告特に東京中にはりめぐらされた仁丹の広告には、仁丹が大阪企業の商品であることから、一部の東京市民の大阪商人への反発を買ったらしいが、次第に『仁丹の町名番地札に依って東京市民が実際どれ程便利を被ってゐるか知れない』という感謝の声が高まってきた」
とあります。ここで引用されている感謝の声は、大正8年8月13日付の『国民新聞』の「はがき便り」という投稿欄に寄せられた読者からの声です。


『国民新聞』大正8年8月13日


国民新聞の投書欄にある通りだとすれば、少なくとも大正の前半あたりには東京市内に仁丹の町名表示板が設置されていたということになります。ただし、震災や戦災で資料が焼失してしまい…という理由からか、これまで関心を持つ人がいなかったせいなのか、森下仁丹の社史はじめ、広告研究の文献などには詳細な記述は一切ありません。東京市民が便利を被ったという仁丹の町名表示板、はたして、いつ、どのくらいの枚数が設置されていたのでしょうか。

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私たち京都仁丹樂會でも、その資料探しに長らく力を入れて来たのですが、ついに!そのデータが詳細に記された資料を、東京都の公文書館で見つけることができました!大正時代、東京市によって作成された『町名札ニ関スル書類』です。

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東京市においても、家主などが便宜上必要な場所には町名番地札などを設置していたようですが、明治40年に東京勧業博覧会を開催したことを一つの契機に、東京を訪れる観覧者への便宜を図るため、市が予算を設け初めて6万2千枚を東京市内に設置したそうです。なお、この東京勧業博覧会は明治政府により開催された内国勧業博覧会が明治10年、14年、23年(いずれも東京)、28年(京都)、36年(大阪)と5回で終了してしまったため、東京府がそれを引き継ぐような形で上野公園や不忍池周辺を会場に開催されたもので、東京府『東京勧業博覧会事務報告 下巻』(明治42年)によれば、全国から680万人余りもの観客が集まったといいます。大正、昭和の御大典など、多くの旅行客が京都を訪れたのと同様に、東京においても観光客への道案内の重要性は非常に高まっていたと言えるでしょう。
その東京市が、大正10年3月、町名番地などの標示に関して、京都、大阪、神戸、横浜、名古屋という当時の5大都市に向けても、同様の町名表示板の設置状況を問い合わせているのです。

東京市「町名番地等標示ニ関シ照会ノ件」庶発二三五号(大正10年3月11日)

書き起こしてみると以下のような文章です。
「指道標及町名札等掲出ニ関シ左記事項承知致度候条乍御手数折返御回報相煩度此段照会候也
   京都、大阪、神戸、横浜、名古屋 各市役所宛
                      記
  一、市ノ費用ヲ以テ始メテ是カ施設ヲナシタル年月、及毎年ノ予算額内訳及町名番地札等ノ取付数(年別表)
  一、町名番地等標示ノ方法及町名札等ノ形式
  一、其他参考トナルヘキ事項 」


それに対して各自治体からおおむね1カ月ほどの間に回答が寄せられています。たとえば京都市の回答は以下のようなものです。

京都市役所 土第二三一六号(大正10年3月23日)

「大正十年三月十一日庶発第二三五号ヲ以テ御照会ニ係ル事項本市ニ於テハ該当スヘキモノ無之候条此段及回答候也但指道標ハ町ニ於テ以前便宜建設セシモノニシテ現今稀ニ存スルモノ有之候ヘ共年月日予算額内訳等ハ従テ不明ニ候尚本市内各町ニハ現ニ「仁丹」本舗ヨリ貼付ノ町名札有之候


つまり、京都市では、過去に町が自主的に設置した「指道標」があったものの、現在残っているものは稀であること、市が予算を設けて町名表示板を設置したことはなく、「仁丹」により貼り付けられた町名札があると回答しているのです。市が公式に仁丹の町名表示板の存在を認めている文書が出てきたことに驚かされました。

なお、京都も含めた各自治体からの回答をまとめると以下のようになります。
・京都市:市の予算では一切設置なし。但し仁丹による「町名札」はあり。
・大阪市:明治36年、初めて市費で町名札を作成、それ以来毎年修繕、増設。
       直近1年の予算は409円、町名札は1003枚。
・横浜市:該当設備なし
・名古屋市:大正2年の陸軍特別大演習を契機に町名札を掲示。
        また、街角の電柱に町名方向を表示した街灯700個を設置。
        大正10年度の予算2180円。
・神戸市:明治36年市の費用で初めて設置、以後必要に応じ修理増設。


これら回答をまとめると、東京市からの問い合わせが行われた大正10年時点で、仁丹による町名表示板が設置されていたのは、京都ならびに東京のみであることがわかります。

さらに興味深いことに、東京市からの問い合わせは、当時東京に町名表示板を設置していたという森下仁丹に対しても行われているのです。 
~つづく~


京都仁丹樂會 idecchi


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Posted by 京都仁丹樂會 at 02:35│Comments(0)基礎研究
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